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●政友会…農村基盤…広軌より鉄道網の拡大
憲政会…産業界基盤…広軌化、幹線輸送力の拡大
●鉄道の高速化には、レールの重量化、エアブレーキ、自動連結器導入
連結器の交換は決定後、6年をおいて全国同日に実施
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第1章 帝国の鉄道―国有化後の新体制
第2章 興隆する国有鉄道―輸送の充実
第3章 都市化のなかで―通勤・通学から観光開発まで
第4章 大陸へ、ヨーロッパへ―東アジアの鉄道網と国際観光
第5章 大恐慌下の鉄道―さまざまな打開策
第6章 鉄道の戦時動員―しのびよる軍靴のもとで
著者:老川慶喜(1950-、埼玉県、経済学者)
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西洋の最先端の技術だった鉄道を明治の日本は貪欲に吸収していった。
私鉄が興り、国鉄に吸収されて、敗戦の日も走り続けていた日本の鉄道は、
日露戦争、第一次大戦、太平洋戦争などと密接に繋がっていたのが分かった。
最初の東京駅の構造が、出口と入り口がそれぞれ両端にあって、真ん中が皇族用の出入り口になっていて、利用客から不評だったというのはトリビア。
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時に「少し意外!?」と思ったり、「何十年も前じゃないか?!」と驚くような発想が登場していたりと、興味深く読んだと同時に、色々と考えた…
前作を読んだ際にも、所謂“温故知新”というようなことを思ったが、本書もそうした想いが沸き起こる…
お薦め!!
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「幕末・明治篇」に続く老川日本鉄道史の第2弾。鉄道国有化から敗戦までを描く。本書においても,近代日本経済史を,鉄道を中心に見ることで,従来の通史とは異なる新たな解釈が思い浮かばれる。
とりわけ興味深かったのは,日本経済ないしは北東アジア経済におけるウラジオストックの位置づけだろう。従来の植民地史研究や帝国日本研究サイドに立脚すると,日満間の結びつきは朝鮮半島を軸にしてしまうが,ロシアを視野に入れることで,東京―米原―敦賀―ウラジオストック―満蒙というルートが日本の鉄道史に与えた影響力の大きさに,改めて目を奪われよう。
「キセル乗車」(174頁)のエピソードは微笑ましく感じられたし,敗戦翌日の1945年8月16日においても「国鉄は時刻表のとおりに動いていた」という最後の一文が,日本の鉄道史を一言で集約できているといえるのではないだろうか。
なお本書(初版)においても,JR相模線が「JR相模原線」(204頁)と記されていたのは看過できない誤字である。
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国鉄の成り立ちというものが漠然としていたため、この本を手に取った。
国が積極的に鉄道を推進した、というよりも地方各地に私鉄が敷設され、その路線を国鉄に組み入れていく方針であったことは発見であった。
また各地の有名私鉄はその歴史も古く、戦前より人々の移動を支えていたことも発見であり、国鉄を補うという自分の持っていたイメージを覆された。
敗戦の日も鉄道はいつもと変わらず走り続けたという言葉が感動的であった。
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広軌改築計画の挫折、軽便鉄道の普及、阪急、東急、西武、東武、小田急などの私鉄と沿線の開発、弾丸列車の計画と関門海底トンネルの開通などが取り上げられる。
1908年に八王子と東神奈川を結ぶ横浜鉄道が開通し、その後1917年に国有化された。
1926年に二俣川・厚木間に神中鉄道が開業。同年に相模鉄道が茅ヶ崎から厚木に達し、31年に橋本まで延伸した。神中鉄道は、33年に横浜まで延伸した。41年に東京横浜電気鉄道が相模鉄道の筆頭株主となって傘下に収め、43年には神中鉄道を合併した。
1927年に小田急小田原線、29年に江ノ島線が開通。
1937年に、手狭になった市ヶ谷の陸軍士官学校が新磯村と麻溝村に学校と練兵場を移転した。隣接して開院した第三陸軍病院は、現在国立相模原病院になっている。