日本鉄道史 大正・昭和戦前篇 日露戦争後から敗戦まで
著者 老川慶喜 著
日露戦争後、帝国日本の鉄道は第一次世界大戦期の重工業化と国際化によって黄金時代を迎えた。後藤新平を総裁とする満鉄が設立され、シベリア経由「東京発パリ行き」の欧亜連絡列車の...
日本鉄道史 大正・昭和戦前篇 日露戦争後から敗戦まで
商品説明
日露戦争後、帝国日本の鉄道は第一次世界大戦期の重工業化と国際化によって黄金時代を迎えた。後藤新平を総裁とする満鉄が設立され、シベリア経由「東京発パリ行き」の欧亜連絡列車の運行が始まる。さらに関東大震災以後の都市化の波は小林一三の阪急、五島慶太の東急などの私鉄を発展させた。大正天皇の大喪輸送とともに昭和の幕が開き、大恐慌を経て戦時動員へ。一九〇七年から四五年八月の敗戦に至る怒濤の四〇年を描く。
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日本鉄道史 大正・昭和戦前編
2020/05/07 12:30
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投稿者:ひこにゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
国鉄を中心に、私鉄・路面電車・地下鉄・南満州鉄道までカバーする概括的な鉄道史の続編です。著者自身が手掛けたという沿線の自治体史や鉄道会社社史の他、官公庁の報告書や新聞記事、さらに田山花袋や徳冨蘆花らの文章まで参照しながら、標題時期の鉄道事情が詳しく述べられています。首都圏では京急・東急・小田急・京王、関西では近鉄と南海が合併して一つの会社だった時期があったこと、関門トンネルや東海道新幹線のいくつかのトンネルが戦時中に掘られたこと、終戦翌日も国鉄は時刻表のとおりに動いていたことなどは知りませんでした。また、昭和初めのお召列車の運行時刻、国際周遊券の経由地、特急燕号の食堂車のメニューなど、具体的な情報も満載で興味深く読めました。
このように網羅的でinformativeな好著であるのに、前編に続いて誤謬が散見されました。
37頁 「軽便鉄道に指定変更されたものが三三社」 → 二七社
58頁 「柏原」 は 「かしわら」 でなく 「かしわばら」
65頁 「上野~直江津(上越線、九三年四月)」 → 信越線
75頁 図2-4 縦軸の単位は(千円)でなく(百万円)
84頁 「一九二二年の市内人口は約二四七八万人、郊外人口は約一四三二 万人」 「二三年には、市内人口約一五二七万人、郊外人口約一七一六万人」 の人数はすべて一桁過大
86頁 「建設費一億六二〇二万人」 → 円
90頁 図3-2 縦軸の単位は(人)ではなく、おそらく(千人)
109頁 「目黒蒲田電気鉄道」 のルビ
156頁 「一九三六年には訪日外国人観光客が四万二五〇〇〇人」・・・ゼロが一つ多い
204頁 「JR相模原線」→ 相模線 (ブクログでも指摘されている)
こういう誤りは全体の信頼性を揺るがしかねず、労作だけにもったいない気がします。