ヒトラーの個性に迫る
2021/03/13 22:06
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投稿者:トリコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
オペラ歌手から演説のトレーニングを受けたり、ラジオ視聴の強制がかえって求心力を奪ったりと、色々知らないことが多かった。
最後に今の私たちが、ナチスドイツのプロパガンダに惑わされてはいないか、という著者の強烈な問いかけ。
ヒトラー演説の実態
2023/09/28 13:04
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒトラーは巧みな演説でドイツ国民を魅了した、そのようにされるし、それは必ずしも間違いではないが、ほとんどがイメージによって語られるものであろう。本書はヒトラー演説を様々な角度から分析検証するもので、ヒトラー演説の実態に迫るものである。
ヒトラーの演説とグデーリアン
2017/12/02 17:58
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒトラーが当時最新のメディアであるラジオと飛行機を活用した事は知られているが、彼の演説について、やや専門的だが、分析されているのは面白い。
第2次世界大戦が始まってから、ヒトラーの演説がラジオやニュース映画で流される割合が減っていったのは、戦況の膠着化から悪化へと移り、彼自身の健康状態の悪化が絡んでいったとの事。
何故か、この本には出て来ないが、エーリヒ・ケストナーが彼の「終戦日記」1945年3月7日条に陸軍参謀総長のハインツ・グデーリアン上級大将が「ジャーナリストを招いて、世界の世論」に訴えた事がある。彼は「そしてドイツ軍がロシアを進軍している間、『悪魔の人焼きかまど、ガス室、その他類似の病的な空想の産物など』を自分は全然みとめたことがない」と語った事が記されている。グデーリアンの回想録にも記されているし、この本の復刻版の版元から出た本だから、こういう事をヒトラーは勿論、ゲッペルスが主張するはずなのに、何故、グデーリアンが担ったのか、興味深い。もっとも、グデーリアンが「世界の世論」に訴えた内容が、これでは却って逆効果だろうし、本人もそれは婉曲に認めている。ダイペンホーフ荘園をポーランド人の地主から奪い、7月20日事件の関係者の軍籍を剥奪する「名誉法廷」なるものの判事として加わった人物を何か「戦車部隊の建設者」か何かと持ち上げるが、これが彼の本質だ。作品社から出た彼の著作集に、この演説を収録すべきだった。
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言葉の力と政治行動との関係を計量的に取り扱った良書。タイトルから手を出しにくいが、イデオロギー抜きで隆盛がよくわかる。元データにあたると、違う角度からさらなる分析が可能であると思われる。政治家の民衆を扇動はいつの時代も変わらない。思慮深くあるべし。
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ヒトラーは、なぜ我々は反ユダヤ主義者なのかという演説を行った、その中で本能的なものを呼び起こし、奮い立たせ、扇動することが、自分の演説の目的だと語った。
大衆の受容能力は非常に限定的で理解力は小さく、その分忘却力は大きい。大衆は頭の回転が遅いため、1つのことについて知識を持とうとする気になるまで、常に一定時間を要する。したがって、最も単純な疑念を1000回繰り返して初めて、大衆はその概念を記憶することができる。多くを理解できない大衆の心の中に入り込むには、ごくwずかなポイントだけに絞り、そのポイントをスローガンのように利用する。その言葉だけを聞けばだれでも、その言葉が指す内容を思い浮かべることができるようにせねばならない。
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ドイツ人は,ヒトラーの巧みな演説にどのように熱狂し,そして醒めていったのか。ドイツ語史の研究者である著者が,150万語の演説データから得た特徴的な単語の出現頻度などをもとに分析。政治的・歴史的文脈もきっちり踏まえた上で堅実なヒトラー演説論を展開している。
レトリックやジェスチャー・発声法の面で早いうちに完成され,ラウドスピーカーや映画,高速移動手段といった技術にも大いに助けられたヒトラーの演説。それは政権獲得までのナチ運動期に絶大な威力を発揮し,党勢拡大に重要な役割を果たした。多少の紆余曲折はあれここまではほぼイメージ通り。
しかし,それが政権獲得後のナチ政権期を迎え,一年半もすると求心力を失っていたという。「蒙昧な」国民のために繰り返される同じ内容はさすがに飽きられ,政権とともにヒトラーが手に入れていたラジオも思うように威力を発揮しない。課せられたラジオ聴取義務を負担に感じる国民。そして開戦後,北アフリカや東西国境で反攻を受けるようなると,ヒトラーには語るべき内容さえなくなっていく。
問題は,ヒトラー演説でその一翼が演出された「一時的な熱狂」が,あまりにも多くの権力を彼に付与してしまったことなのだろう。熱狂から醒めた国民は,一本調子のヒトラー演説を苦々しく思いながらも,その権力にずるずると引きずられてしまった。ワイマール体制下でのドイツの困窮と,ヒトラーの演説の才能,それを拡散する諸技術。そのどれが欠けてもその後の世界の歴史は変わっていたに違いない。
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ちょっと不謹慎な感想だが、ヒトラーの演説って一世を風靡した一発屋芸人のネタみたいなものだったんじゃないかって思えた。彼の演説パフォーマンスは大衆に大受けしたものの、政権獲得後、演説会場の熱狂的な雰囲気をラジオを通じて全国に広めようとした時期には既にドイツ国民はその演説に飽き始めていた。。ナチズムに賛同できるはずもないが、演説パフォーマンスに代わって国民を魅了するネタを作れなかったのもナチスの限界だったのではないか。それは経済発展や国際的地位の回復といったことなのかもしれないが、プロパガンダに頼りすぎると、リアルな成果を上げることは二の次になってしまうのだろう。
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第二次大戦期のドイツ独裁者として有名なヒトラーの生涯を、その演説に焦点を当てて描かれています。ナチス党が勢力を伸ばしていったその背景に、彼の演説がいかに重要な役目を果たしたか。政権掌握のために、それをいかに努力して磨いていったのか。そして戦争突入のあたりから演説は効果を失いはじめ、敗色濃厚の中、力強ささえも失っていく。
一般的にヒトラーの演説は、その力強さと熱狂的なイメージが強いのですが、その時期は限定的だったということが分かります。読んでみると、そりゃそうだよなと、少し目が覚めたような感じがしました。
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演説を通して第二次世界大戦の歴史がよくわかりました。ヒトラーの「わが闘争」をいつかは原書で読んでみたいものです。
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演説であれだけ聴衆を熱狂させるのには、相当の技術が行ったんだろうな…。しかし演説成功のために、練習し、ジェスチャーを工夫し…、うーん、ある意味すごい努力家ですね。
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ヒトラーの演説を、古典期のギリシャに始まった弁論術(①発見、②配列、③修辞、④記憶、⑤実演)の観点から、表現技法、音調、使用する単語や動詞、主語や目的語の使い方に至るまでを細かく分析し、さらに演説の時刻による差異、大衆心理の利用、アメリカ流の広告術を用いたプロパガンダの手法、ジェスチャーによる聴衆への効果等、論理より感情で訴える演説の裏には緻密なからくりがあり、それをいとも美しくこなすことのできるヒトラーは真の天才的な演説家であったことを物語っている本。
また、ヒトラーはオペラ歌手によって発声法の指導を受け、それによって演説中の基本周波数(ヘルツ)を変化させていたなど、非常に興味深い裏話もあった。
まったく関係ないが、ヒトラーとクビツェクの関係はジョブズとウォズニアックのそれと似ているなぁという印象を受けた。
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歴史上最も有名であろう独裁者、アドルフ・ヒトラーの演説について、言語学、弁論術、ジェスチャーなどあらゆる方面から分析を試みた力作です。
ヒトラーの演説が、なぜ当時のドイツ国民を鼓舞できたかについては、そのジェスチャーの巧みさにあるということが一般的に言われてきました。
しかし、筆者は演説文そのものに着目することで、それが緻密に計算された、弁論術として非常に高度な演説内容であったことを明らかにしてゆきます。
またジェスチャーの技法についても、ある舞台俳優の指導を受けることによってより洗練されたものとなり、演説の完成度をさらに高まらせたことを指摘しています。
しかしながら、国民は次第に彼の演説に飽きるようになります。ナチス政権発足から1年半後にはすでにその傾向がみられるという指摘には驚きを隠せません。
また、人々に演説を聞かせるために、ナチスはラジオを積極的に活用し、聴取を義務化しましたが、それは却って国民に「聴く意欲」を失わせ、ヒトラーと国民の距離を遠ざけてしまう結果となったようです。
この現象を、筆者は、ヒトラーと国民の関係が、演説の「語り手」と「聴き手」の関係から、単に「管理する者」と「管理される者」に変えてしまった…と表現しています。
第二次世界大戦勃発後にはその傾向はさらに顕著になりました。ヒトラー自身が敗北のストレスから演説を避けるようになったこともあり、国民の心はますます離れてゆきました。国民から信頼を得られない演説は、どれほど弁論術に長けていようと、かつてのような効果はもたらさなかったのです。
そして1945年4月30日、ソ連軍が迫る中でヒトラーは自殺し、翌5月初めにドイツも無条件降伏を受け入れ、第三帝国は消滅することとなりました。
従来のヒトラーのイメージを覆す、興味深い研究です。
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「強い印象を残す事象」というものは「事実」または「事実の一部」かもしれないが、実は「真実でもない」のかもしれない。或いは、「事実」に真摯に向き合おうとする中でこそ、「真実」に近付くことが出来るのかもしれない。「強い印象を残す事象」の“印象”に引き摺られた「判っている」と言い張ってみる「知ったかぶり」や、何やら“建前論”を振り回して「事実」に向き合うことを避けてしまうようなことからは、「真実」には辿り着くことが出来ない…
そんなことを思わせるドイツ語学者による労作である。お奨め!!
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しっかりとした研究に基づいた確かな記述。
使用語彙だけでなく、ジェスチャーや抑揚など様々な角度から、いつ、どのような演説の変化があり、その特徴が何かを淡々と述べるその内容は、学問の分厚さを感じさせる。
単に「ヒトラーは演説の天才」とざっくりした理解がいかに雑であったかを思い知らされる良書。
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アドルフ・ヒトラーの政治活動全期間(ナチス入党直後から大戦末期)にわたる演説とその受容の実態を、主にコーパス分析による統計と同時代の観察者の史料を用いて明らかにしている。政権獲得までは大衆の共感を掴んだ演説が、メディアを自在に駆使できるようになった政権獲得後には早々に飽きられたという指摘は、ナチス政権確立の上で、プロパガンダよりも暴力・テロが決定的な役割を果たしたとみる歴史学の通説とも矛盾しない。極端な仮定によって二者択一に誘導する誇張した対比表現や、生理的嫌悪感・憎悪を喚起する隠喩表現などヒトラーが好んだ修辞法は、現在のポピュリスト(たとえば橋下徹)と共通しており、ヒトラーの演説は現在の政治的ポピュリズムを相対化する上で、依然有効な材料であることが確認できた。