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【IT革命は人間そのものを変えてしまった】かつて数万年単位で起きた人類の進化が、いまや数十年で起きようとしている。心の絆を求めない人々の登場に、あなたは耐えられるか。
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「最近の若者は、理解出来ない」というフレーズは、どの時代にもあったと思います。遥か昔、「新人類」という言葉がありました。これは、戦後教育と戦前教育の断絶を言い当てた上手い表現だと思いました。
では、ネオサピエンスは、どうでしょうか?
私の評価では、タイトル負けしているという印象です。ただ、この著作は、最近少し話題になったユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)
1976年生まれの歴史学者の著作の二番煎じなのは、否めないです。もちろんこれは、何の問題もありません。
個人的に好きな作家なので、楽しく読みました。著者の問題意識は、ネオサピエンス以前の知的水準が非常に高い人が持っていたものです。いわゆる教養があり、またコミュニケーション能力や専門性も高い、成功者に多いタイプです。
IT革命以後に生まれた子と、そのまっただ中で思春期を送った子、また成人以後に、そのインパクトや社会変化を生きてきた人では、それぞれの「進化」は、全然違うでしょう。
私の場合は、思春期の10代にウインドウズ95に遭遇した世代なので、進化としては、中途半端だと思ってます。以後に生まれ、現在社会人になった人、また街で遭遇する若い子を見かけたり、テレビやネットニュース、書籍で10代、20代の事件、犯罪、社会問題を見聞きすると、確かに、自分らの世代とは、「進化がかなり異なる」と思います。
私は、彼らの一部に関して、多大なる違和感を感じます。この違和感を、なかなか言葉にすることが出来なかったのですか、この著作を読んで、なるほどなという考察が沢山されていました。
本質的に交流なんて出来ないこと、
つまり、彼らの交流と私が考える交流の性質が、
全く異なるとわかりました。
IT革命以後、今は、スマホが登場し、
自分が好きなモノを見て、
経済的な条件がつきますが、好きなモノを買い、
SNSで好きなことを、いつでも、
どこでも、誰とでも、どんな数にも
発信できるようになり、また
無料のゲームで、いつでも、どこでも、
遊べるようにになりました。
今では、スマホ依存やSNS依存と言われる言葉もでき、皆がみな、情報革命の恩恵とそれに付随する問題の中で生きています。
このような生活環境が人間の進化にも、
多大なる影響を与えるようになるのは、
至極当然だと、納得できました。
個人的な思いとしては、
スマホなんて見ずに、自分と交流しよう、
SNSなんて、ずっとせずに、お茶でも、
飲みにいこうなんですが、こんなことは、
ネオサピエンスにとっては、意味不明でしょう。
彼らの表情や表現方法から、
旧人類が持っていた人間らしさがなくなっているのは、必然かもしれません。ただ、この人間らしさも、定義なんて存在しません。旧人類の、交流形態のイチ形態と言いましょうか。
今もこれからも、おそらく新旧で争いが、
耐えないと思います。旧人類は、ネオサピエンスを何としてもコントロールしたいと思うでしょう。
また、旧人類同士も、争いの性質を変えて、
潰し��かかるでしょう。
旧人類同士は、一応争いが起これば、
それを解決する方法がありました。
しかし、旧人類とネオサピエンスでは、
不可能でしょう。
お互い絶対的に理解できない状況だからでしょう。こういった社会を生きていかなければいけない宿命と覚悟を、この本から、学んだ気がします。共存共栄できればいいでしょう、人類の歴史を見ても、
それが、全く達成されていないことがわかります。
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最初の部分は自閉症やアスペルガー症候群など良くは知らない病気のことがポンポン出てくるので読むのを諦めようか迷った。しかし読み進むうちに動機が理解しづらい大量殺人や子殺しなど自分も知っている、異常な犯罪も本書の説明から一つずつ納得できた。回避型人類が増えて行き着くところがスウェーデンのようになってしまうのでは税金をいくら納めても浮かばれない。是非を論ずることは難しいが、マスコミも社会現象に表層的なコメントをバカの一つ覚えで繰り返すのではなくこう言う著書を取り上げ問題提起して欲しいものである。
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著者がこれまで発表してきた病理現象が行き着くところまで行った感を持つ。回避型愛着スタイルの人間が多数派を占めた様子をSF的に描いた章はディストピアとしか言いようがない。
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一つの桎梏から逃れれば、次の桎梏に捕らえられる、ということなのだろうか。
例えば戦前の大家族、もちろん良い面も語られる一方で、その中で生きていく息苦しさはさぞや大変だったろうと想像する。
結婚した頃(今から四半世紀前)すでに「昔は姑に仕える、と言われたのよ、」と上の世代の女性たちから多少のやっかみを込めた感じで言われたものだった。あなた達はいいわね、と。
2020、家族の結びつきはその頃より更に希薄になり、お年寄りを介護施設や老人ホームにお願いすることに余り気持ちの負担も感じないで済むようになった。
世の中が人を作り、人が世の中を作る、その循環はとどまることがない。私達は、この大きなうねりに身を任すしかないのだろうか。
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「ネオサピエンス 回避型人類の登場」
岡田尊司(著)
2019 11/20 第1刷 (株)文藝春秋
2020 2/15 読了
なんとも空恐ろしい近未来のお話。
親子関係にる愛着障害の健康的社会的弊害に警鐘を鳴らし続けている医学博士でもある著者の
半ば諦めに近い本書。
このままじゃ問題もあるけど
この問題が人の進化を促し
ネオサピエンスに相応しい社会になっちゃうよー。
いやもうなりつつあるよー。
って事らしいです。
本書が描き出しているネオサピエンスと
村田沙耶香の描いている「人間」が妙にリンクしていて
恐ろしさ倍増です。
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他者との情緒的な関わりに喜びも感心も持たない人類のことをネオ・サピエンス=回避型人類と呼び、回避型が2000年代以降急増して近未来には共感型人類(相手との関係性を重視する人類)がマイナーとなり、回避型がメジャーになる社会が訪れるとの仮説を唱えた著作。
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自称「24時間喜怒哀楽人間」の私です。つまり共感型。
子どもの頃から人が好きで、友達が好きで、ワイワイ騒ぐのが大好きな私は、「回避型人類」とは対極です。
近い将来、回避型人類が世にはびこるという。
ビジネス界では、回避型が共感型より優位に立つようになってきたという。確かに効率的で、生産性が高いかもしれません。
リビングに家族全員が揃っていても、銘々にスマホやタブレットの中の世界に没頭している、そんな現代は、確かに回避型人類が増殖中と言えるでしょう。
キレる人が暴走してしまうニュースが絶えないのも、もはや回避型人類が広まっている証左かもしれません。
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愛着を重視する共感型人類が多くを占める中で、愛着を重視しない回避型人類の発生を論じている一冊。
小さな進化となるのか、共感力の欠如が目立つ現代への一時的適応の形となるのか。
回避型は障害ではなく、環境に合わせた生物の反応に思えてなりません。
社会と技術によって愛着を不要とする回避型人類の生存と繁殖は維持されているため、共感型人類と同数に近づいた暁には共存か排除の選択を迫られるでしょう。
既存の人類でも格差の問題があり、AIとの共存の問題もありますが、更に新人類との軋轢も生じてしまうのでしょうか。
しかし、私は個人主義を悪とは思いませんし、少しは回避型人類の気持ちがわかります。
我々はホモ・サピエンス(賢い人間)ですので、賢く立ち振る舞うことができると信じています。
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著者が定義されている「回避型人類」の存在と現状認識は大いに賛同できると感じた。実をいう自分自身にもいくらかあてはまる部分もあり、「回避型人類」に対する定義としてあげられている「共感型人類」との関係性などは、現実に体験していると思われる。
しかし、著者がいわれる「回避型人類」の特性が、遺伝子に刻まれるとか人類の進化と関係するという議論には、どうも賛同できない。これらの特性は、社会構造や科学技術の発展における変化に対応する現象であり、ヒトの進化や遺伝子変異と結びつけるには、あまりに早計であろうと思われる。
さらに両人類は、明確に区別できるものではなく、その人物が置かれている環境で様々な状況が存在する。やはり社会現象のひとつであろう。
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回避型人間 ⇔共感型人間
幼少期に親からの愛着(応答性や共感性)が乏しいことが原因
成人の3割(引きこもりは1%)、日本人の若者の過半数?
自閉スペクトラム症
回避型より強い障害レベル、遺伝要因のほか環境要因も。晩婚化。
成人の4~5%
アスペルガー症候群
自閉スペクトラム症の中でも知能や言語の能力の低下がないもの
「ホモ・デウス」ユヴァル ノア ハラリ著
人類の進化、1万年前から異変が急増、
神:秩序をもたらすために人類が作り出した共同幻想「虚構」
「人間至上主義」危険で間違いのもと
「データ至上主義」AIを管理する支配階級
ホモサピエンス
農業革命:血縁を超えた地縁、噂話による世論構成
産業革命:法律的契約
IT革命 :支配層との格差
インターネットゲーム依存症
自閉的で他人に無関心、無気力だが 意に反することには衝動的な攻撃性
単独生活
回避型の経営者
信長、ハンニバル、ゴーン 最後には敗北
人よりモノ、情報
喜びを感じる仕組み
1.本能、2.達成感、3.愛着・・・オキシトシン系;回避型に不足
スウェーデン
真空の社会、ユーモアがない。合理主義・機能主義・個人主義。
物へのこだわり、元素の1/4はスウェーデン人の発見
財政負担、収入の6割弱負担
人間的交流ない孤独、依存症、自殺、犯罪
回避型人類が過半数になる近未来
クローン→人工子宮→マザーロボット→AI授業
公平と平等、民意ではなくAIによる統治
自殺衝動を抑えるオキシトシン受容体作動薬
無差別大量殺人とテロ
人格の消滅
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共感と愛着は合理性と相反する
双方を得るコストは高くどちらも中途半端になる
合理性なしに個人主義の経済は生き抜けない
ゆえに、皆が回避型になる
なお、一部の共感型は、回避型への憧れを持つタイプか人生を謳歌するタイプに分割される
脳変化の過程が簡潔に描かれている
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自身も回避型のスタイルなので、共感できる部分はたくさんある。
社会の変遷と共に回避型人類が増えるのは多いにありえるが、回避型が世界を席巻するかは甚だ疑問が残る。
共感型であろうと回避型であろうと、それは個性である。有利不利が必ず存在する。
なんだかんだで社会はバランスのいいところで落ち着くと思われる。
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タイトルからして、ユヴァルノアハラリによるサピエンス全史にインスピレーションを受けたものだろうと思ったが案の定。ユヴァルの提示を自らの精神医学の専門分野から広げて、更に具体的な未来像を描いたものだ。最早、SF小説の雰囲気さえある。
回避型愛着という愛着障害を情報化社会が加速して増加させていく。そして、人類はやがて回避型人類と共感型人類に区分される。回避型は今はまだ多く無いが、必要性が低下する中で精子の数が漸減する人類の進化傾向に重ねて、こうした変化が起こり得るだろうと、これは著者による仮説であり、推論。サピエンス全史へのトリビュートという感もある。
しかし、本当に回避型、ある種の対人無関心社会は到来するだろうか。草食男子、出生率低下、倫理観向上や欲望の代理補給技術のイノベーションなどにより、全体的な傾向としてはあり得るとは思うが、遺伝子レベルの変化ではなく、獲得形質、いや寧ろ、ただの一時的な順応行動として、そうなる人が増えるだろう事は予想される。セクハラの指摘が厳しくなれば恋愛ができない、という冗談のような指摘の影響が現実化してくるのである。これは確かに、代理技術という観点では、AIの台頭によって起こるのだろう。快楽を提供するゲームで満たされるという事だ。
ただ、人類が全体的に不能化していくとは思えない。AIを購入できない層の存在、あるいはAIに労働を任せた後の人類の使命は、相変わらず承認欲求をリアルに求めながら、リアルなマッチングにより種の保存を目指す事になるだろうから。
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社会の変化で人とのつながりを必要としないもしくは避ける回避型人間が増えている
もし、増え過ぎると殺伐とした温かみのない世界が到来する可能性を示唆している
この本を読むとものすごく怖かったので、やっぱり人との温かい交流は欲しいんだな、人と関わってないと苦しくなるという自分の気持ちを確認することができた
回避型を和らげるためには人と協力してできることをするのが大切