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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本の古代から近世 現代までの様々な権力の形を述べた本である。第七章で一応のまとめはしているが、一冊の本としてはなんだかまとまりにかける。しかし各章おのおのは楽しく読むことができる。
基本的に世襲で権力を受け継いでゆくことができたのは、それだけ極東日本が外国の脅威にさらされなかったためなのかもしれない。過去の権力者は当然世襲であるが、現代の政治家も多くが世襲である。厳しい競争を嫌うぬるい日本には、世襲が年功序列が似合っているのだな。現代に至るまで「土地神話」が受け継がれていったのも、すべての経済活動の根源である「農地」の安堵 世襲にある。
ちょっと難しかった
2020/02/25 06:59
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ちょっと内容が難しく、何度か読み返して理解できた感じです。
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【皇位継承、歴史の真実とは?】天皇と世襲を根本から捉えなおす意欲作! 『天皇はなぜ万世一系なのか』に女性天皇、上皇、令和の新章を追加した増補決定版。
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筆が重いと思ったら、過去の出版物の再販とのこと。女系天皇と令和に関する考察が付いている。女系天皇は国民の違和感を合理的に説明するもので、勉強になる。令和の話は、えっ、という結論で反応に困る感じ。
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今週(令和元年12月16日週)の私の通勤時間を楽しませてくれた、本郷氏による本です、タイトルは「権力の日本史」で、日本では長い間において、能力ではなく「家」が重視されてきたということを史実をもとに解説しています。
能力主義は良いとされていますが、その能力をどの「ものさし」で測るかで全員が満足しないこともあるのかもしれません、それが「家柄」で判断される場合は努力ではどうしようもないので、諦めがつくのでしょうか。少し違う感じもしますが、以前の日本ではどんなに努力しても、ある以上は昇進できない世の中でした。でもある一定の条件下では、出世もできるシステムがあり、ものすごく優秀であれば例外もあったようです。
このような世界でずっと生きてきた日本人なので、会社の中にも、正規社員と派遣社員がいることが違和感がないのでしょうか、等とこの本を読みながら思いました。
以下は気になったポイントです。
・天智天皇(大化の改新、中大兄皇子)天武天皇(天智天皇の弟、壬申の乱の勝利者)持統天皇(天武天皇の妻)の時代に、日本は大きな歴史的転換をした(p16)
・天皇は成人の男性という縛りがあるので、持統は自分が天皇になり、軽皇子が成長するまでの「中継ぎ」になり、持統天皇は太上天皇として、文武天皇(軽皇子)を補佐した、皇位継承ルールが大きく変わった、兄弟間のヨコの継承から、父子の直系による縦の継承となった(p23、24)
・日本史上初の上皇の誕生は、氏族のなかで同世代からリーダーを選ぶ「ヨコの継承」から家族内で父と子という上下関係に基づいて、財産や権限の相続を行う「縦の継承」への家族システムの移行であった(p26)
・政治の実権は、摂関期には天皇の外戚すなわち母方の実家である藤原家に、院政期には父方の上皇に握られてくる。そうすると天皇は戦闘においてリーダシップをとることもなくなり、成人の男性である必要性も薄れてくる(p28)
・氏と家の違いをよく表しているのが名前である、藤原道長は、藤原の道長、これは彼らが「氏」の世界に属しているから、藤原氏は特定の家ではなく、より広い一族を表している。それが次第に家になっていく、北条泰時、足利尊氏、織田信長には「の」は入らない(p31)
・執権は8代執権の時宗まで北条本家(得宗家)からでていなく北条家の傍流からでているが、実権は本家のまま時頼は執権を引退しても絶大な権力を振るった、なぜなら彼が北条家の当主だから(p40)
・鎌倉幕府の滅亡は、後醍醐の勝利というより自滅である、土地本位制の鎌倉幕府が貨幣経済の発展に対応できなかった、元寇の外圧もあった後、源氏将軍家の名門の家長である足利尊氏が立ち上がったので御家人が幕府から離反した(p46)
・自滅した武家政権=鎌倉幕府が再び安定を取り戻すのに60年かかったので南朝はなくなった、この後醍醐の企てののち、明治維新まで天皇家の家長が最高権力者を目指すことはなくなる(p47)
・摂関家とは摂政・関白になれる家である、まず近衛・松殿・九条が成立したが、松殿は滅亡した木曽義仲と組んだので没���、近衛家から鷹司家、九条家からは、二条と一条が分立した(p54)
・京都東寺にある五重塔は、明治維新前に建てられたものの中では日本一の高さ、54メートルもある。真言宗の大寺院である、西寺は平安時代に荒廃しいまは跡のみ(p82)
・科挙の試験は、郷試(3年に一度各地方の統合府で実施)、郷試の翌年に都で会試が行われこの試験の成績により官職が割り振られる。会試での成績優秀者を集めて皇帝の前で行うのが「殿試」これは形式的なテストであった(p98)
・源義経は、長官、次官につぐ三等官である「判官」の一人であったので、源九郎判官の名称が生まれた(p132)
・天皇はただ神器を継承しているだけではダメで、三徳(正直、慈悲、智恵)を積まねばならない(p169)
・国衙(県庁)に仕え、特殊技能である馬術と弓矢ができる彼らこそが武士と呼ばれる存在であった、刀でもなく槍でもなく弓であった(p174)
・866年左大臣藤原冬嗣の子である良房は貴族として初めて清和天皇の摂政となった、良房の養子である基経は史上初めて関白となった、藤原氏のほかには、源・紀・大江などのライバル、藤原氏の中にも、南家・北家・式家・京家があったが、北家の嫡流である良房ー基経が権力闘争に勝った(p199)
・鎌倉幕府は三代目までは源氏将軍である、四代目以降は最後の将軍、9代目まで摂家将軍、親王将軍を迎えている(p203)
・室町時代に将軍を助ける管領は、細川・畠山・斯波の三家の当主が交代で任じられた、細川は四国、畠山は河内と紀伊、斯波は尾張を領国とする守護大名、全て足利氏の一門である(p206)
・もうひとつ主要な職は侍所の長官で、本来は全ての武士たちを統括する役割を持っていたが、室町時代には大都市京都の行政と防衛を担当していた、山名・赤松・京極・一色の当主が交代で任じられていた、足利家は一色家のみで他は足利一門でない、三管領四職と言われた(p207)
・実力重視の戦乱の時代とはいえ、やはり家柄が大事であった、大名家だけでなく家臣団そうであった。名もない素浪人を重く用いたら有力な国人領主が納得しない、彼らの協力を得られなければ大名は自滅する。才能の抜擢ができたのは、わずかに武田信玄と織田信長くらい(p215)
・江戸時代は中世に倍する国力を有していた、人々は江戸幕府が提示した理念を受けれたので社会生活は安定し、人口は増加した。その理念とは、武士・村落民・都市民(士農工商という言い方は以前のもの)の身分の固定、世襲に他ならない(p217)
・平安時代末期から鎌倉時代にかけては内親王が重要な働きをした、当時は均分相続だったので代を追うごとに資産は細切れになる、しかし独身の内親王に相続させていけば皇室の財産は目減りしない、財産の番人となった。中世以降になると皇女=未婚(寺に入り尼となる)が多くなり、結婚しても皇族である従兄弟との結婚が大半(p268)
・皇室の男性が一般の女性と交わるのは問題ない、しかし皇室の女性が一般の男性と交わるのは、聖性が侵害されることであり認められない。女系天皇が存在しなかったのはこのためでないか(p270)
・令は、天皇にふさわしい文字ではない、日本史で「令」とは、皇太子の命令を指す(p272)
・令は、家来を表す言葉である、律令にも定められている政所の正式な職員で最上位にくるのが「令」である、律令に定めがないのに政所を仕切っている役人は、別当である。正式な職である、専当に対して定めがないから別当という(p274)
2020年4月18日作成
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日本てどこまでいっても家族なんだな、と。家長制度が基本だったと言い切る。確かにそうだったんだろうね。日本史ではそうだ。なまじ才能で上下を決めるとかえって社会は乱れちゃう。
では、今はどうなのか。著者は「徳」を持ち出しているけど、現実は稼ぐ能力が最も尊ばれているよね。やれやれだな。
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日本においてはその職位でなく、家における地位が大きな意味を持っていることをいろいろな例を挙げて示されていて興味深かった。
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才能、徳行、世襲の3つの観点から、日本史における権力のありようについて、様々な史書を読み解き、平易に、しかし深く解釈して説かれているのが印象的でした。しばしば「重箱の隅をつつく」との言葉がありますが、史書の片隅にこそむしろ人間の機微があるのではないか、と感じました。
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図書館で借りた。
世襲で探してたら本郷先生を見つけたので、世襲目的ではなく、日本史を楽しもうと読んでみた本。
「権力」をメインテーマに、古代から近現代まで、日本史をみつめる本。
今年の大河ドラマもそうだが、将軍がいるのに執権に権力があるといった、どこに権力を持っているかを解説されている。
歴代将軍や、歴代執権・歴代天皇などをwikipediaで辿るのは簡単だが、それでは見えない日本史の深さを垣間見える。
非常に楽しめた。特に第7章は、日本史全体を数ページでザザザっと、権力の流れを振り返ることができ、ダイナミックで勉強になった。
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日本はひたすら中国から学んだのに、宦官と科挙は採り入れなかったんですね。
それ故、世襲が当たり前になり現代にいたる!
良くもあり、悪い面でもありますね…。
とイロイロと「ハッ」とさせられた本でした。
いつもこんな驚きがあるから、本郷先生の本は面白いです。
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この国の歴史の時代時代の中で誰が一番偉いのか?なぜ偉いとされているのか?という疑問を形式的に考えると当然「地位」が高いものが偉い。朝廷の秩序ならば天皇、幕府ならば将軍が最高位に置かれいる。将軍は天皇によって任命されているのだから、将軍よりも天皇が偉い。しかし、天皇は形骸化し、ないがしろにされていた時代もある。では、実質的に誰が実権を握っているのか?日本では「地位」よりも「人」に重きが置かれる。例えば豊臣秀吉は「太閤」である。太閤は役職でもなんでもなく、摂政・関白を退いた者の呼び名で、言ってみればご隠居である。しかし家康や秀吉の「人」に人々は従っている。ではなぜ「地位」よりも「人」なのか?これが本書のテーマの一つとなる。日本の権力構造をつぶさに見ていくと、地位=公の役職とは別の序列があることがわかる。それは「家」の序列である。家の序列で「人」の功績は代々受け継がれ世襲されていく。それは平安時代の頃の朝廷を見ればわかる。朝廷は上級貴族、中級実務貴族、下級官人の3者によって運営されている。その中でも世襲が根幹の原則として成り立っている。日本は中国の「科挙」制度を導入しなかったため、本来の意味での官僚をきちんと育成できなかった。才能を基準としての登用や抜擢があったとしても、それは世襲によって形成された階層の内部にとどまり、権力グループそのものの入れ替えはなされなかった。朝廷から武士へという権力の移行が起きても、両者それぞれの内部では、「家」を中心とした世襲に基づく権力構造が維持されていく。一方、中国では科挙を採用しているため、どんなに栄達を極めた家も4代から5代で廃れるという。これは4代5代連続で科挙試験に合格しなければいけないという困難さから来ている。また中国で皇帝の后だった女性がなくなると強権の根拠を失ったその家の人々(日本でいうと摂関家)は皆殺しの憂き目にあうという。だから中国では藤原氏のような家が生まれなかった。日本で戦国時代は下剋上の時代だったといわれるが世襲の力はまだまだ強力で織田信長の秀吉登用などは例外的である。むしろ世襲の原理が否定されたのは明治時代に入ってからであるといわれる。明治の政治家たちは跡取りの将来に便宜を図るような振る舞いはしなかった。「子孫の為に美田を買わず」という西郷隆盛の言葉がよく表している。世襲の原理は否定され、才能の重視が実現するのである。詳細→
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