映画化されてもいいのに
2020/02/01 08:56
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小説というのは当然文字だけで書かれているのだが、いい作品は読む者が文字から映像化しやすいものをいうのかもしれない。
社会学者でもある岸政彦氏のこの中編小説を読んでそう思った。
主人公は一人暮らしの中年の女。幼い頃は母親と猫と暮す、決して裕福とはいえない生活ながら、彼女は「幸福な子ども時代」であったと振り返る。
そして今もまた「平和で平穏」だと思っている。
そんな彼女が最近思い出すのは、十一歳の頃よく通っていた古い公民館にあった図書室のこと。そこで出会った同い年の男の子のこと。
そこでの二人はまるで本で出来た繭の中で温められているかのように、二人だけの世界を生きている。
ついに二人は地球最後の日まで迎えることになる。
生き残るのは二人だけ。
いつか来る地球最後の日の練習のために大晦日の日、缶詰を大量に買い込んで二人だけで淀川の河川敷をめざす。
その堤防に立った時、二人はこう呟くのである。「地球やな」「うん、地球や」
二人はもはや地球に残った人類最後の男女であるに違いない。
二人だけで成長し、やがて子供、しかも女の子まで産み育てる。
まるで手塚治虫の漫画の世界のようでもある。
これが子供二人のたわいない遊びであることは十分承知しているが、まるでこうして人類はまた新しい一歩を始めるに違いないとも思えてくる。
岸氏の筆は過不足なく子供の時間を描いている。
そういうことを経験した子供が大人になれば、どんな生活であろうと「平和で平穏」と思えるのかもしれない。
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
中年に差し掛かった主人公の「私」は小学生の頃に図書館で出会った男の子との日々を思い出すという話。友達と何かになりきって遊んでいて、本当にそうなってしまうような経験をしたことを思い出す。
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投稿者:なま - この投稿者のレビュー一覧を見る
公民館での男の子と女の子の会話が中心のお話であった。なんだか切ないような気持ちになりながらも、どんどん読んでしまった。後半のエッセーも、しみじみとしていて良かった。
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大阪淀川を背景に、主人公の根底にある大きな寂寞を、静かに洗い出したような社会描写、心理描写はなんとも胸を強く掴まれる。
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図書室。50代の女性の子供時代、母との貧しい暮らし、公民館図書室、仲良くなった男の子との思い出。
と、作者本人の大阪に対する想いを書いた給水塔。
関西に馴染みがないのでなんとなく読んだ。
これが自分の地元だともっとしっくりくるのか?
大学を出て、飯場を転々とは作家としては珍しい?
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淀川を眺めるたびに、悲しくてさみしいけど、暖かくて、あらゆるものすべてを受け入れて佇んでいるような気持ちになることを思い出した。
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小説もさることながら、高台の新興(だった)住宅地で育った者として、エッセイ「給水塔」がたまらない気持ちになった。
“ふだんどれだけ荒んだ、腐った、暗い穴の底のようなところで暮らしていても、偶然が重なって、なにか自分というものが圧倒的に肯定される瞬間が来る。私はそれが誰にでもあると信じている。”
淀川の小屋や万博公園、吹田の30分にあたる景色がわたしにもいくつか思い浮かぶ。あの静かで穏やかな、何も言わないひらけた視界こそが、自分へのまぎれもない肯定だったのだなと思う。
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これぞ大阪という小説と自伝エッセー。
図書室の子供どおしの大阪弁での会話が
懐かしく、これが自分たちの子供のころの大阪弁での
会話だったなあと思えてきます。
エッセーでは、大阪市内。北摂など自分の原風景を丁寧に
描いてくれている感じがします。年代もほぼ同じ(ちょっと
私のほうが年配ですが)です。
今度から久しぶり大阪での勤務が決まったこの時期に、
出会った本で感慨深く読めました。
今住んでいる東京の世田谷のほうが、好きなところが
多いように思っていますが、自分の血の中は
この本に描かれている大阪の血が確実に混ざっているのを
思い出した感じです。
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三島賞候補となった表題作と自身の大学以降の題材にした自伝的エッセイの2作品。
私の好みの作品ではなかった。
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「図書室」と「給水塔」の2編で構成されている。前者は公民館の図書室で過ごした小学生の想い出を描いた作品。後者は大阪の町に憧れて関西大学に入学し、現在は大学の非常勤講師をしている作者の自伝エッセイ集。
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いつものように週末したの子を連れて近所の図書館分館にでかけたときに,新刊コーナーで見つけたのでかりてきた.
新潮社の考える人のWEB版でよめる「にがにが日記」という連載というか日記が面白かったのをきっかけに,岸さんの本をこうして見つけてはかりている.
標題作の「図書室」がレコードのA面(レコード聴かないけど)だとすると,B面の「給水塔」は著者の自己紹介のような大阪をめぐるエッセイで,大阪という街をめぐる昔の記憶と,その追憶を支える当時の大阪という都市というか街の骨格の描写がすばらしくて,これはなかなか読めないいいものだった.
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社会学者の筆者が書いた小説です。
「断片的なものの社会学」はとてもいい本で、認識するという事で初めて存在するという概念を静かに語りかけてくる本でした。
そんな学者さんの小説なので難解なのかなと思いましたが、しみじみとした良作でした。これは表題作の「図書館」だけなら☆4つ上げたかった。
恋や友情を取り上げた本は世の中に沢山ありますが、これはどちらかというとシュールかもしれません。ユーモラスで悲哀が有って、読んでいてそんなに感情が波立つわけでは無いのですが、なんだか「分かる」という気がしました。
冴えない中年女性になった元少女の回想から始まります。本編(回想)の瑞々しい思い出が胸に響く美しさで、中年になった女性の中に少女を見ている自分がいます。誰でも連続した時間の中で大人になっていますからね。おっさんになった僕の中の少年が反応しました。
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誰の心の中にもある、原風景みたいなもの。
ときにそれは、何の意味も持たない風景だったり、ぼんやり夢想した事だったり。
案外人は、そういう何でもない記憶を拠り所に生きているのかもしれない。
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大阪弁の小説が苦手だった。ワタシは生まれが東京なのでたぶん自分ではそこまで考えてなかったけれど基本的に思考は標準語で巡らせていて、今はもう大阪に住んでいる方が長いので違和感は感じなくなったけど、それでも苦手だった。小説を書くようになって、そうしたら会話はやっぱり大阪弁なのが普通で、ワタシって関西人やねんなーとわかった気がしてた。この『図書室』も『給水塔』もワタシの知っている場所のことが書いてある。東京はほとんど分からなくなって知っているのは数ヶ所。それに比べてここに書かれている大阪は梅田、中津、天王寺、心斎橋、長堀橋、福島、天満、吹田市、千里ニュータウン、千里山、関大前、豊津等々、知ってる場所ばっかりだ。場所は知っている、でもたくさんの人が生活していて、美穂だってきっとどこかのURの、団地に住んでいるって息をしているみたいに信じられた。記憶のなかの出来事と、毎日過ぎていく時間にちょっとだけノスタルジアを感じた。ワタシも美穂のように生きていけたらいいな。
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小学生の頃通った図書室で出会った少年。10年一緒に暮らした彼。母との記憶。大阪の風景。それら懐かしい思い出を振りかえる主人公の姿に、読んでいる自分も懐かしさを感じ、穏やかな時間が流れた。