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結果から言うと、武士道について新しい洞察を得ることができ、非常に面白い書でした。
本書ではまず、武士道の由来と内容が4章にわたって展開されます。
ここで冒頭から強調されるのは、武士道とは 「殺るか殺られるかの血みどろの現場で形成された」ということです。
この前提が一気に武士道という思想を不思議なもの、奥深いものとしてくれます。
なぜなら、武士道はなぜか「卑怯であっても勝つことがすべて」な超功利的な思想とはならなかったからです。
武士道を形成した武士道以前の現場が、「きれいも汚いもすべて出尽くした」超功利的な状況であり、おそらく「勝つことの際限のなさ」を悟ったがゆえに、武士道は精神的価値に重きを置く思想として形成されたのではないか、と筆者は分析します。
この考えが正しいかどうかはさておき、この「超功利主義を経験した末の精神的価値の選択」という点に、私はちょっとした感慨を覚えました。
では武士道はどういった点に重きを置き、また具体的にどういった内容だったのか、それが 「第3章:「最強の武士」になるための奥義」、「第4章:『朝倉宗滴話記』の思想」で詳しく語られます。
例えば武士が重んじた「潔さ」とは命を粗末にする思想ではなく、「タイミングを重視する」考えであることです。
時期でないのに死に急いだりせず、また逆に見苦しく言い逃れをしてじたばたすることなく、時期が来たらスパッと身を処す、ということです。(そのタイミングの美しさが「散り桜」に例えられるわけです。)
また武士は「もののあわれ」を非常に重視しました。本書では『千載和歌集』に収録されている八幡太郎義家(源義家)の和歌が紹介されていますが、
「吹く風をなこその関と思へども 道もせに散る山桜かな」
その意味を知ると、「最強の武士」として侍たちの尊敬を集めたあの義家がこのような優しい心を有していたのかと驚かされます。
第5章と第6章では、それまでの武士道の思想を受けての現代社会に対する筆者の分析が展開されます。
それまでの章にもチラホラと垣間見れますが、筆者が現代社会の合理主義的功利性とそれを前提した倫理観に改善の余地を見出していることは明らかです。そしてその近代的、合理主義的功利思想の体現者として司馬遼太郎が引き合いに出されています。
確かに司馬遼太郎の作品には本書で言及されるような「精神性に重きを置く価値観の否定」が垣間見れますが、筆者が指摘するほど否定しているとは私はつかみ取れていません(ただ司馬遼太郎の乃木希典に対する否定的態度には病的とも言えるものを感じます)し、司馬遼太郎のそのスタンスは先の大戦の苦しい経験から生まれたと考えると大いに同情の余地があると思います。
しかし私は筆者の述べる「強さ」に重きを置く倫理観に強く共感します。この「強さ」とは力の強さだけでなく、勇気や忍耐力、克己心も含まれます。強い者は余裕があります。だから強い者は他者に対して優しくなれる。逆に強さがない者はいくら心根が優しくてもそれを外に発露できません。
(武士はこの「強さ」を重視していました。だから強い武士ほど「もののあわれ」を知り、そして涙もろい。)
後半の筆者の持論の展開は少々突っ走っている感があり、その断定的主張についていけない人が出そうですが、全体を通して武士道の理解を深められる良書だと思います。
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平易な言葉で武士道を説く。
後世の思い込みを指摘し、いま、
あらためて再評価する姿勢が興味深い。
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10年ぶりくらいに著者の本を読んだが、やはり彼の武士道論は素晴らしい。武士は命を懸けて戦うからこそ事実確認から入ることを重んじていた。甲陽軍鑑に書かれた脇差心。武士ならば立派な武士になろうというのが武士道の起源。葉隠に書かれた死に狂いするなかにこそ忠孝は存在するという鍋島直茂の言葉。軍隊がなぜ掃除をするかといえば戦闘者は見る存在であり、相手の油断や隙を見つけなければならない、そのためには隅々まで神経が行き届いていなければいけない。優しくできるのは強さという前提があってこそ。朝倉宗滴の犬ともいへの言葉の真意は何をしても勝てばいいということではなく、どんな卑怯な相手にでも負けてしまっては何も言えない、嘘や卑怯は最終的には自分を滅ぼしてしまうかもしれない、そういう厳しい現場を生きていることを自覚せよであること。すでに死んだ自分になるための自分の死にざまを思い描く観念修行で、それが死ぬことと見つけたり。潔さとは散り急ぐことが美しいのではなくタイミングがぴったり合っていることが美しいということ。文武の文は詩歌管弦の分野であること、知情意の情に関わるところで、相手の心情を察し深く思いやる能力があるかないか、もののあわれを知る心があるか。
司馬遼太郎の進歩主義、近代的合理主義は、もちろん武士も合理性を持ち合わせていたがもっと大切にしていたものがあり、それを否定する武士道に相反する思想である。
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巻頭の武田信玄の仕打ちの逸話に始まる実際に戦闘を行っていた時代の武士道はとても興味深かったが、それが司馬遼太郎批判に繋がるのはよくわからない。
その後折口信夫、柳田國男の民俗学の話になり、話題は武士道から離れる。
最後の章で全体をまとめているが、ささやかな市井の幸福と武士のあり方を1つの線でつなぐのはやや無理があるように感じる。