世界哲学史、もう中世後半。すごいペースです。
2020/06/29 16:51
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
編者チームの山内志朗先生のパワーが遺憾なく発揮されているのか、中世だけでも3巻分ある。過去の哲学史本のなかでもこの中世の取り扱いは異例と言ってもいいですし、おそらくは今後2度とないでしょう。ルネサンスこそ「世界と人間の発見」の時代であり、古代の「再生」であったとされて久しい。だが本当にそうだろうか。スコラ哲学の伝統を受容し、壮麗なる体系を構成したスアレスの哲学にも明らかなように、スペインのバロックは、中世の終わりというより、むしろ中世を完成し近代を準備したと言えます。ホッブズの自然哲学、特にその『物体論』から議論が始まって、その系列でスピノザの自然哲学に話が展開されているところは、これまでの邦語の著作ではあまり見られなかったもので、今後の哲学理解に貢献している部分だと感じます。
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
中世から近世へと入っていく時代に、哲学はどうあったのか。西洋ではまだ神学の影響が残りつつも、それとは異なる回路も開けている。朝鮮、中国、日本についても扱われているものの例によって「世界哲学」への接続という点では苦しいが、荻生徂徠が18世紀後半には朝鮮で読まれ論じられていたというのは興味深い。
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世界哲学史も西洋の歴史区分でいう中世から近世へと時代が進んできた。近世をアーリーモダンというならば、すでに近代の賭場口か。
自分自身の本巻への興味関心は何と言っても「第3章 西洋中世の経済と倫理」に集中するのだが、「第2章 西洋近世の神秘主義」ではあらためて「知への愛」に気がつかされたし、「第5章 イエズス会とキリシタン」では東アジアから西欧へのインパクト、あるいは「理」と理性をめぐってのスリリングな東西の議論、「第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論」ではホッブズ、スピノザ、ライプニッツそれぞれの「方法と自然哲学」の比較考察が興味深かった。
第3章の叙述によれば古代以来の「等価性を基本とする理論的枠組みは現実から乖離したものであ」り、その枠組みは13世紀まで続いていたのだが、「一三世紀末には利子肯定論が登場するのである。これは、単なる経済史の問題ではなく、法学、哲学、神学などの基本的枠組みの変更をめぐる根本的変革であった」(pp.77-78)。第3章2節「清貧と経済思想」以降は全部引用したいほどだが、オリヴィという「謎の」思想家の思想に、13世紀に原型が成立していた数多ある資本主義の諸契機、つまり「営利活動の霊的世俗的側面の両面における正当化、資本の自己増殖、人間の目的論的意識的活動を越えた経済システム、実体主義から関数主義へ、価値の抽象化、数量性、未来の時間概念の組み込み、非存在の実在性、貨幣概念の変革、交通流通システムの激変、空間性の消失などなど」(p.93)の思想的裏付けが見出されるという点は非常に重要だろう。
そして、オリヴィの思想の根幹にある聖霊主義は、フィオーレのヨアキム、アッシジのフランチェスコに由来するものであり、「富とは蓄積されるものではなく、「情報」と同様に、社会に貫流し流通し続ける限りにおいて富であるという点で共通する。
詳細は大黒俊二『嘘と貪欲』(名大出版、2006年)を読めということなので、是非読んでみたい。
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タイトルは、中世ということになっているのだけど、「バロックの哲学」というサブタイトルにあるように、西欧だと、いわゆるルネサンス〜バロック、フーコーなら「古典時代」とでもいいそうな時代の話になっている。日本だと江戸時代の儒学の話とかでてきて、いわゆる「中世」というより、「近世」という時代区分の話かな?
西欧哲学では、ついに(?)デカルトがでてきて、スピノザ、ライプニッツと続いて行く。神学なのか、哲学なのかよくわからない「スコラ哲学」が、いわゆる近代的な「哲学」に転換する時期と常識的には思うのだけど、ここでは、デカルトも「スコラ哲学」的な発展の連続性のなかででてきて、この辺にこのシリーズのスタンスがでているな。
そういういわゆる「中世」と「近代」の間に挟まれたこの時代は、ガリレオ以降の自然科学の発達も進み、キリスト教的には「宗教改革」がおきたり、イエズス会が世界に布教活動をおこして、西洋と東洋(とくに中国)の邂逅、緊張をともなった交流が生じたり、いよいよ「世界哲学」的な舞台がそろってくる。(一方、これまで大きな位置をしめていたイスラム的なものが背景に後退)
というわけで、面白い話はたくさんあるし、朝鮮哲学とか、これまで聞いたこともない面白いのだが、全体としては、なんか各論ぽい印象が高まってきているような。。。。
時代が現代に近づいてくると、世界はだんだん一つのものになってくる一方、現代の学問的な研究領域という観点では、専門化が進み、領域間の相互関係がわからなくなってくる印象。
あるいは、議論がだんだん高度になってきていて、私が細かいところについていけなくなっているということかな?
というわけで、個人的には、今ひとつスッキリしない読後感。
あと3冊。第6巻は、いよいよ「近代」、「啓蒙の時代」に突入する。きっと、カントやヘーゲルとかもでてくるに違いない。一方、ヨーロッパ以外ではどういう話題がでてくるか、まったくイメージできない。
どう展開するか?
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《目次》
・第1章 西洋中世から近世へ
・第2章 西洋近世の神秘主義
・第3章 西洋中世の経済と倫理
・第4章 近世スコラ学
・第5章 イエズス会とキリシタン
・第6章 西洋における神学と哲学
・第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論
・第8章 近代朝鮮思想と日本
・第9章 明時代の中国哲学
・第10章 朱子学と反朱子学
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世界哲学史完読チャレンジも5巻(14世紀~17世紀)まできた。まだまだ西欧はアリストテレス主義のよう。それでも、大航海時代、活版印刷術の発明、宗教改革、ルネサンス。スコラ哲学、キリスト教、ホッブス・スピノザ・ライプニッツ、近代朝鮮思想、中国・陽明学、日本・朱子学。各章末にある参考文献、2000年代に入ってからのものが多い。新しい知見が豊富に生まれているということだろう。
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『世界哲学史』5巻を読んだ。バロック時代。デカルトがモリナやスアレスなどのイエズス会の系譜で書かれていて、やっぱりそうでしょと思う。利子肯定論のオリヴィとか、徂徠学が朝鮮や清朝で読まれていたこともおもしろい。朝鮮儒学の歴史も興味深い。
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第1章 西洋中世から近世へ
第2章 西洋近世の神秘主義
第3章 西洋中世の経済と倫理
第4章 近世スコラ哲学
第5章 イエズス会とキリシタン
第6章 西洋における神学と哲学
第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論
第8章 近代朝鮮思想と日本
第9章 明時代の中国哲学
第10章 朱子学と反朱子学
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中世Ⅲ バロックの哲学
本書は、14世紀から17世紀の哲学の展開を扱っています
この時代は、人類史上から見て1つの激動の時代であった。
大航海時代、活版印刷の発明普及、宗教改革、ルネサンス。宗教改革以降は、大学教育の大衆化とも相まって、哲学の世俗化、宗教からの隷属からの脱却が進んだ。
14世紀は、ペストの時代、ローマ教皇庁の凋落、15世紀は、ルネサンス、16世紀は、宗教改革と、大航海時代、17世紀は、バロックと、合理主義、哲学から科学が分離して発展していく。
デカルトはスコラ哲学の膨大な遺産を大量に保有し、その概念群を継承し、ライプニッツに引き継いだ。ライプニッツは、微分積分学を含めて、哲学の中から自然科学を立ち上げた。
気になったことは次です。
・バロックとは、スペインが大航海時の中で世界へと版図を広げる時代に、西洋において興隆した文化様式であった。
・15世紀は、ドイツなど中欧のみならず、東欧・北欧にまで大学が陸続と開学されていった。
・1492年イスラームの戦いに勝利したスペインは、レコンキスタといって、黄金の世紀を迎える。大航海時代は経済の急激な発展をもたらし、商業革命と、経済倫理の変更をもたらした。
・当時のキリスト教は元本以上に返済に利子を取ってはいけない倫理があった。
・15世紀以降、西欧の知的関心は、旧来の地理的境界を越えて、地球全体へと向かいはじめていた。
・人間や動植物への関心は、実験、観察や、数学的方法を用いて自然を探求する。自然学、自然哲学と呼ばれ、科学といて認識されるのは、19世紀の後半まで待たなければならなった。
・イエズス会がもたらした西欧の宗教・哲学は、日本では織豊時代、中国では明代後期に伝播されたが、いずれも、仏教の僧侶たちは、宣教師たちのもっとも強力は論敵になった。
・西洋でも、神学と哲学にも変化がもたらされた。アンセルムスは、「信じるのではなければ人が経験することはなく、経験するのでなければ人が知ることもない」
・グーテンベルクの活版印刷が、ヨーロッパに急速に普及したのは、アルファベットという文字が少なく印刷がしやすかったことによる。東洋は漢字が主体であったため、西洋のそれよりもゆっくりと普及していく。
・フランシスコ・ベーコンは、自然哲学を進めるにあたって、アリストテレスの哲学がほとんど役にたたない学問と批判した。
・スピノザは、神を奉じているが、神の奇跡を認めない。奇跡とは神が自然の法則をねじ曲げるることだが、スピノザにとって、自然の法則は、神の法則なので、奇跡を起こせば、自らに矛盾する。
自然の科学的探究こそ、真理認識への道であり、さらにそれが、人間の幸福につながるとするスピノザの哲学は、世界に関するわれわれの認識を大きく変革する活力をもつ。その影響は現代科学ににまで影響を及ぼした。
・ライプニッツが、方法のモデルとした科学理論は、結合法や代数学など多様である。分析や総合、三段論法やスコラの論理学など���伝統も尊重し、学問を改定していく。
・スピノザが記号的表象を誤謬的な認識をしたのに対し、ライプニッツは記号的思考によって数学的抽象の世界が開かれる。記号法は、事物の代わりに記号を置くことで、想像力や記憶力の負担から解放し、推論を可能とした。
最後の3章は、東洋哲学に対する考察だ。
・朝鮮哲学は、現在の窮境を脱して未来を志向するという性質をもつものが少なくない。単純化するのであれば、「人間および人間性、そして、その知性と道徳性に対するあくなき肯定と探求」
・「知性的・理性的かつ道徳的人間」以外の存在者へ対する感性は日本人よりはるかに低い。
・唐の時代に新羅が漢文化を積極的に取り入れたこと、明・清の脱朱子学化に対処するため朝鮮がいっそう朱子学化を推し進めたこと、中国との文明的、軍事的関係がなければありえなかった。一方、群島文明であるという脱大陸的、脱合理的な突拍子もない世界観をもつ日本がことも影響された。
・19世紀にあっても、シャーマニズム・アミニズム・儒教・道教・仏教を融合した東学のような思想的、宗教的アマルガムも登場する。
・朝鮮朱子学は、日本にも幕末の横井小楠らを通じて伝えられ、後年併合植民地の思想につながる「教育勅語」にも影響を与えたことは誠に皮肉といえる。
・儒教が自然そのもの、自然と人間社会との関係及び人間の実存状態などについて、西洋哲学と共通なものをもっている。
・儒教は、もともと、詩、書、易、礼、春秋の五経をベースとしている。
・宋代には、科挙によって個々人が平等なチャンスをもち、官僚になることができるようになり、四書(論語、大学、中庸、孟子)を重んじる朱子学が発展してきた。
・朱子学とは、自然の理を把握するための修養を行うことである。
・朱子学は、鎌倉時代に禅僧によって日本にもたらされた。朱子学は、徳川幕府によって、官学に採用されていく。これが江戸期前半であり、林羅山らが中心となっている。
・やがて、朱子学に違和感を持つ学者があらわれ、儒教古典そのものに学ぶ「古義学」があらわれる。荻生徂徠は、経書の再解釈を通じて、「聖人の道」の在り方を唱えた。これを「徂徠学」という
・徂徠学は、江戸の後期に様々な形で継承され、国学の形成や、蘭学への影響、幕末への国論へとつながっていく。
・清末になると、荻生徂徠と弟子である太宰春台の思想書「日本国志」が中国に伝わり、通信使を通じて朝鮮にも伝わった。
目次は以下の通りです。
はじめに
第1章 西洋中世から近世へ
1 西洋中世と近世
2 西洋の思想的地図
3 バロック哲学への未知
第2章 西洋近世の神秘主義
1 神秘主義と愛知
2 スペイン黄金世紀と神秘主義
3 アラビアのテレサ
4 十字架のヨハネ
第3章 西洋中世の経済と倫理
1 中世における経済思想
2 清貧と経済思想
3 オリヴィの経済思想
4 中世における経済と倫理
第4章 近世スコラ哲学
1��アリストテレス主義と大学における哲学
2 哲学の母胎、あるいは「註解者」アヴェロエスとその思想
3 三人の近世哲学者たち ポンポナッツィ、スカリゲル、メランヒトン
第5章 イエズス会とキリシタン
1 キリシタン時代におけるフィロソフィアの翻訳
2 理性の訳語としての「霊」
3 東アジアから西欧へ 理性と「理」
4 天主教批判からさらなる普遍の模索へ
第6章 西洋における神学と哲学
1 信と知の原風景
2 乖離する信と知
3 問題の再構成
第7章 ポスト・デカルトの科学論と方法論
1 バロック式方法の時代
2 ホッブズの方法と自然哲学
3 スピノザの方法と自然哲学
4 ライプニッツの方法と自然哲学
第8章 近代朝鮮思想と日本
1 朝鮮・韓国の哲学的位置
2 近代との関係
3 近代における日本との関係
第9章 明時代の中国哲学
1 元から明へ
2 陽明学の展開
3 キリスト教トイスラーム
第10章 朱子学と反朱子学
1 朱子学の誕生と展開 宋代中国から徳川日本へ
2 徳川日本における反朱子学の展開 徂徠学を中心に
3 東アジアにおける徂徠学の展開
あとがき
年表
人名索引
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■細目次
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・神の存在を認識することで、私たちには自由な意志が具わっているということに対する確信を乱すべきではありません。私たちは、意志の自由をみずからの内において経験し、感じ取っているのですから。
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トマス・アクィナス以降、スコラ哲学は行き詰まりを見せる。オッカムが唯名論を唱えて実在論に基づく中世は終焉を迎え、デカルト・スピノザ・ライプニッツら数学的な議論に基づく哲学が登場する。
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本巻では14世紀から17世紀までの哲学の展開が扱われる。この時代は大航海時代、活版印刷術の発明、宗教改革、ルネサンスなど大きな歴史的事件が相次いだが、本書では中世と近世をつなぐ17世紀を、光と闇の相半ばするバロックの時代と捉えて理解しようと試みる。
本巻で面白く読めたのは、「西洋近世の神秘主義」、「西洋中世の経済と倫理」そして「イエズス会とキリシタン」。
「西洋近世の神秘主義」では、ベルニーニの彫像で有名なアビラのテレサと『カルメル山登攀』などを著した十字架のヨハネが取り上げられる。神秘主義というと”哲学”とは相容れないような感じがするが、その辺りのことについてもきちんと目配りした解説がされている。
「西洋中世の経済と倫理」では、教会法において元金以上に返済を求めることは「徴利(ウズラ)」とみなされ忌避されていたのだが、フランシスコ会に属する神学者オリヴィは大胆な経済思想を主張したということが叙述される。ざっと読んだだけではその内容を良く分かったとは言えないが、哲学や神学の考え方が経済学にも関係してくるところは興味深い。
「イエズス会とキリシタン」では、中国におけるキリスト教布教において、「理性」の訳語として「霊」「霊性」が選ばれたのはどうしてかなどが論じられる。異文化間における概念を翻訳することの難しさが実感された。