他者の記憶に触れ、戦争や歴史を考える
2024/02/18 12:33
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者はアメリカの認定音楽療法士。ホスピスで歌や楽器の演奏をして終末期の患者や家族の精神的身体的サポートをする仕事なのだという。
その過程で、日本人である著者が「かつての敵国」の兵士だった男性をはじめ、戦争の記憶に苦しむ患者たちのさまざまな「声」を聞き、書き留めたのが本書だ。
第2次世界大戦で日本兵を殺したことを打ち明けた人、ベトナム戦争で枯れ葉剤をまいた帰還兵、捕虜となって心を病んだ夫との生活に苦しんだ妻などなど。
著者はアメリカで一般的に言われる戦争の「正義」とか退役軍人の英雄視といった既成概念に疑問を抱く。いろいろな人種が暮らす大国だけあって、戦争の傷を抱えているのは元米兵だけでないところがまた興味深い。
原爆開発に関わったという科学者、ホロコーストを生き延びたユダヤ人、口を閉ざし続けた元ドイツ兵、旧日本軍による攻撃を生き延びた中国系米国人。
著者が耳を傾けた人たちの記憶/心の傷は、日本ではあまり意識が向けられない歴史の一断面だ。
日本人の著者もそうだったのだろう。
自国に都合の悪い歴史が抜け落ちる「集合的記憶」や「社会的忘却」の問題をつづる思索に大変共感できる。
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素晴らしい本だった。
日本人である著者が、音楽療法士としてアメリカで活動する中で出会う人々から聞いた「戦争」についての話を様々な角度から教えてくれる。
この第二次世界大戦は、国も立場もバラバラな人たちひとりひとりの心に、人ひとりでは到底抱えきれないほどの大きな影を落としたことが改めてわかる。
その大きすぎる記憶を心の中に押し込めてここまで生きてこられたことが、どれほど大変なことかは想像はできても本当の意味で理解することはできないだろう。
それでもここに書かれた人はほんの一部でしかない。戦時中に生きていた、なんの力も持たない国民は、皆このようにして今の時代まで生きてきたことを忘れてはいけないと思った。
私が見聞きしてきた戦争についての記憶はほんの一部分でしかなかったことがよくわかる。
それはとても薄っぺらい学校の授業のせいでもあるが、目を向けようとしなかった自分自身のせいでもある。
心のどこかに関係ないという気持ちもあったと思う。
今の平和を大切にして2度と同じことを起こさないように、この地球上で暮らす全ての人が共有できることを願わずにいられない。
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音楽療法士としてアメリカのホスピスで働いていた著者の、戦争当事者、ホロコースト当事者であった患者との対話の記録であり、患者たちが最後に言い残しておきたい、言い残さざるを得ない記憶についての考察。
彼らも私たちも人間なのだと、読み始めたら止まらなくなった。最近では頭でっかちに歴史が修正されていて当事者の声が蔑ろにされがちだけど、政治的意義は政治が、経験談は当事者や当事者と直接話した人がそれぞれに次世代に受け継ぐべきだと、この本を通し、思いをより強くさせられた。
また患者たちがこの世を去る直前にそれぞれに印象的な言葉を残していくが、それぞれの矜持がある。
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日本の戦争感の本は多いが、アメリカ人から見た本は、殆ど読んでいない。だから貴重であった。誰にとっても戦争は、深い傷を残す。人殺しは、やってはいけない。国がやらせてはいけない。
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アメリカから見た戦争のこととか、知らなかったことを知りました。
PTSD、その昔は無かった言葉
もっと早くに、この言葉があれば
もう少し苦しみが減っていた人達がいたのかもしれない
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歴史認識、という言葉は他の言語に訳せない…これは他の言語で生活したことのある人にしか気づけないことだろう。私たち日本人も曖昧な言葉を曖昧にしか使えていない。
著者は音楽療法を通じて戦争という歴史と、当事者として向き合う。あとがきに書かれたことや、本編を読めば、関わったものなりの丁寧な表現のためにたくさんの記録や遺物に真摯にあたっていったことがよくわかる。賞賛したい。平和を考えるときに読まなければいけない一冊にカウントしたい。
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個人の戦争体験は、その人の人生の一部だ。勝っても負けても、戦禍は壮絶である。戦地で、日本兵に対峙したアメリカ兵の心境を想像してみたことが今まで無かった。もちろん、彼らのその後の人生も。私にとって、戦争の新しい視点を与えてくれた一冊。今だからこそ語られる貴重な体験の数々は、日本人だとかアメリカ人だとかは関係なく、死と人生について考えさせられた。平和のために、開戦や原爆投下などの是非ではない戦争の話が、もっと必要だと感じた。
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晩年痴呆が進み記憶が後退し、原爆投下直後の時代にタイムスリップし、「若い女の子がこんなところにおったらいけん!あれらがきて、何されるか分からんよ!」とひ孫である私を傘で叩きながら本気で叱って追い返そうとした曾祖母、決して当時の事を話さなかった祖母、笑える戦地の話だけしてくれた祖父。最期、どんな思いで旅立ったのだろうか。
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この本には、二つの側面がある。
一つ目は、セラピストが、戦争経験者との関わりの中でどの様な信頼関係を築いたか、
二つ目は、アメリカ人から見た第二世界大戦について。
著者自身の第二世界大戦観は、良い。
数冊読んだだけですべて把握できる訳がない。
事実、戦後ドイツの歴代首相はユダヤ人に謝罪していない。
ヒストリカルリヴィジョニズム歴史修正主義と言われるのだろうか?
人は、自分が信じたいモノを信じる。
何が正しいか、戦争を知らない我々に判断する手立てはない。
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あなたは2011年の今日何をしていたか覚えているだろうか?おそらく思い出せないだろう。でも、2011年3月11日の記憶はあるはずだ。
戦争経験者が80代90代になっても戦争の時のことを覚えているのはこれと同じだという。
人はそれらを人生の最期に必ず振り返る。
Taking it day by day. 一日一日を乗り越えてゆく。
I'm ready to go home. 旅立つ準備は出来ている。
この先、この言葉を頼りにすることは思わしくない。
でも人は必ずそう言う場面に出くわす。
2021年の最後にこの本に出会えたことを幸せに思う。
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無関心になってはいけない。目を背けず、相手の声を聴き、寄り添い感じることの大切さ。戦争は勝ち負けに関係なく被害者しか生まない。年が過ぎ戦争経験者が少なくなっている今、国関係なく貴重な声に耳を傾けるべきではないかと思う。
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『過去を変えることはできないのだと、受け入れること』
自分を許すとは、そういうことなのかもしれない
ホスピスで音楽療法を行う筆者の気づきに、感銘を受けた。
そして
以下の問いは、とても興味深いものだった。
集合的記憶というのはどの社会にもあり、私たちのアイデンティティとも深く関係している。
自分とは異なる記憶を持つ人たちと出会ったとき、私たちはその相手と、どのように関係性を築いていけるのだろうか?
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米国認定音楽療法士の著者がホスピスで出会った戦争経験者の言葉と記憶。
日本は戦後78年を迎えたが、一方で「今」戦争の真っ只中にある国がある。「私達は自国の記憶や歴史だけでなくトランスナショナルに知る必要がある」
感想、書けませんでした。「100分de名著 フランクルの『夜と霧』」の回も同時進行で観ていたので、ホロコーストの章はより記憶に残りました。
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◯自分は確かに日本人だと自覚する一冊。
プロローグから涙がとまらなかった。
集団から忘れられた記憶、集団とは違う記憶、誰にも語れなかった記憶。忘れたいけど忘れられない記憶。
そんな記憶を浄化していく音楽療法士という仕事に感動した。
「死」について考えさせられる一冊。
また自分は何者で、どんな使命があるのかを考えるきっかけとなった。人生にまよったらこの本に立ち戻りたい。