西洋哲学試読本。
2006/11/16 20:49
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
哲学者というと、『ムーミン』に出てくる「ムダじゃ、ムダじゃ」が口癖のジャコウネズミが頭に浮かぶ。そのショーペンハウエルばりのペシミスティックな姿勢は、底が抜けたいまに必要な姿勢なのかもしれない。
なんでそんなことを書き出しのか、それは『西洋哲学史 古代から中世へ』熊野純彦著を読んだから。作者曰く古代ギリシア哲学について書かれた教科書などのテキストは、哲学史に拘泥していて、要するに「誰が何年に何の著作を発表した」「「汝自身を知れ」といった哲学者は誰」などのTVのクイズ番組を高尚にしたようなものだと。
んで、そこには原典のエッセンスがまったくといっていいほどふれられていない。それが不満だと。とはいえ、いきなり、何の予備知識もなしに、岩波文庫版アリストテレスの『形而上学』全二冊を読むのは、蛮勇行為であってWeb2.0の時代にすることじゃないとぼくは思う。でもしても一向に構わない。この本は「古代ギリシアと中世哲学」の中から作者が重要であると思われる哲学者とその思想や時代背景、作者自身の評価・批評、お気に入りの原典引用が、懐石料理のように美しくコンパクトにまとまっている。
新書という限られた紙幅での高尚な文体は、汚れたぼくの魂までをも洗い流してくれた。温故知新ではないが、時を超え、新しさを気づかせてくれる。
「経験されていることが、同時に知られているものであるとはかぎらない。ロゴスがどれほど分明に世界のうちで告げられているとしても、それに気づかない者にとっては、存在しないもおなじである。ロゴスであり、真理であるものは、けれども、どこか遥か遠く、かなたにあるわけではない。世界をめぐる経験それ自体のなかで、ロゴスがしるしづけられている」
「過ぎ去ったものが、ただたんに過ぎ去って、いまはすこしも存在しないのなら、過ぎ去ったものはそもそも存在したと言えるのだろうか。かけがえのないそれぞれの経験が、私にとって過ぎ去ってふたたび帰ることがないのなら、私の生涯という私の経験の総和は、いったいなにに対して過ぎ去るのだろう。あるいは、だれに対して現前するのだろうか」
昨年、フーコーの『愛と性の歴史』を通読したのだが、二巻目でプラトンなどギリシア哲学についてふれていて、ぼくはその魅力に再発見させられた。
この本は一般向けなんだけど、しいていうなら、大学の哲学の講義最初のテキストにふさわしい内容だという気がする。昨今、WebやCDショップでアーチストの新譜が試聴できるけれど、感覚的にはそれに近い。西洋哲学試読本。ついでにいうなら、この本を概論にしたら、次は原典に当たるわけだが、その際、できるならば、英語のものがいいだろう。
難しい日本語翻訳も、英語で読んでみると意外と平易だったりする。ギリシア語がいちばんなのはいうまでもないけど。あとがきに続巻の構成が紹介されているが、デカルトからレヴィナスまで。
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タレスに始まり中世へ・・・。なんとやわらかで滑らかな語り口!熊野先生の講義を受けたことあるのですが、彼の喋りの独特の空気がそのまま文字になっていて感動した。引き込まれるなあ。
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やっと読み終われた…という感じ。
最初のほうの記述がとてつもなく私好みの文だったのですが、途中は鳴りをひそめていた気がします。
自然から神に至るあたり、実感に欠けてくるのが問題なんですかねぇ。神って言われると、ウッてなってしまいます。
でも新書にしては細かくて面白かった。特に前半がいい!
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西洋哲学史の概論書。ただ、入門書にしては少し難しいように感じました。前半部分は楽しく読めましたが、後になるにつれて分かりづらくなっていきます。ある程度、歴史や思想・哲学の知識が必要な気がします。
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西洋哲学の流れを、時の哲学者の思考過程を再構成するという独特の方法で紹介した著書の、上巻に相当する本です。
収録されている時代は紀元前500年から紀元1500年ごろまでの、実におよそ2,000年間。ソクラテスよりはるか昔のタレスやピタゴラス、プラトンやアリストテレスを経て、アウグスティヌス、トマス、デカルトまでを網羅しています。登場する総勢30人以上の哲学者に偏りや過不足がないのかどうか、正直さっぱりわからないのですが、たぶんこれ以上の事柄を紹介されていたら、おそらく私の頭がパンクしていたでしょう。新書に詰め込める情報量の限界を見せてもらう思いでした。久々に、読んでいて頭が痛くなるという体験をさせてもらいました。中学時代にホーキングの本を読んで以来でしょうか。
読んでいると、哲学というのはどうして難しいのか、という問題が何度も頭をよぎります。私たちの感覚を超えた世界を捉えるとき、たとえば神話のように、混沌とした内容をそのまま提示されると、案外読み手としては楽に飲み込むことができる。しかし、その混沌とした世界に人間の作った思考秩序を導入しようとすると、それはとたんに理解不能度を増してしまう。私には哲学的思考が、どうも後者の典型なのではないかと思えました。哲学がアブラハムの諸宗教と出会ったあたりから、ようやく理解しやすくなったように感じられたのは、土台にある世界観が秩序付けられた結果なのかもしれません。
存在と不在、一と多、有限と無限、神と人・・・哲学のテーマは2項対立のオンパレードです。このような考え方は、否定語(=not)が他の単語から独立した、屈折語を使う西洋人に独自の発想だったのかもしれない。だとすれば、否定語(=ない)が文の付属物のように扱われる膠着語を話す日本人には、いっそう理解しにくいものかもしれない、などなど。考えることはあまたありました。
しかし、本書の形式である「哲学者の思考過程の再構成」が、果たして入門書としての本書の性格にどれほど寄与したのか、はなはだ疑問です。確かにこの方法は、名前だけの羅列よりもずっと実のあるものだったかもしれない。けれど、原典を多く引用し、哲学者のじかの思考を本書に吹入しようとしたのは、少し欲張りすぎではなかったでしょうか。結果として、思考の過程よりも結果が多く書かれている原典によって、かえって理解のしづらい構成になってしまった気がします。また、通史というのであれば、哲学者同士のつながりを(物理的交流やテーマの流れを問わず)もっと整理した形で提示してほしかったなあと思います。
後半は愚痴のようになってしまいましたが、デカルトまで到達した哲学史の旅が、本書の続編にどうつながっていくのかとても楽しみです。
(2008年6月 読了)
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新書であるため、持ち運びが可能という点で気に入った。
有名哲学者達の思想をざっと知る分にはいいのではないか。
アウグスティヌスに関する11章の3つの部分が非常に興味深かった。
P167L6〜L10
「友人や恋人、一般に愛する者の存在には、「関係」という一語には尽きないなにかがあるのではないだろうか。愛する者は「もうひとりの」「他の」私というよりも、私の存在の一部である。私の存在は、愛する者と切りはなすことができない。だれかを愛するとき私は、じぶんの存在を、むしろ、自身の外部に有している。すくなくともじぶんが存在することの意味を、自己の外部にもっているように思われる。」
P169L9〜L14
「アウグスティヌスはまだ愛することを知らなかったけれども、「愛することを愛して、愛の対象をもとめていた」。「愛し、愛されることが、私には甘美であり、愛する者の身体を享受することは、なおさらに、甘美であった」のである。アウグスティヌスはやがてひとりの女性と同棲し、十八歳のときに一児の父となる。「情欲でむすばれた場合、子は親の意に反して生まれるのではあるけれども、生まれた以上は愛さずにはいられない」。」
P170L4〜L5
「肉欲に囚われていたアウグスティヌスはべつの女性とも関係をもち、「痛みはやわらいだようでもあったが、よりいっそう絶望的なものともなった」。」
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いっさいのものは神々に充ちている。
世界には音階があり、対立するものの調和が支配している。
私が従うのは神に対してであって諸君にではない。
すべての人間は生まれつき、知ることを欲する。
君自身のうちに還れ、心理は人間の内部に宿る。
存在することと存在するものとは異なる。
神はその卓越性のゆえに、いみじくも無と呼ばれる。
存在は神にも一義的に語られ、神にはすべてが現前する。
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『西洋哲学史』(熊野純彦、2006年、岩波新書)
本書は、自然哲学の祖とされるタレスの時代の哲学者から、トマス・アクィナスからデカルトの時代の神学論争までをその範囲とし、15章にわたり各章20ページ弱でそれぞれ解説している。
古代から中世までとは言え、新書ですべての範囲を理解できるかといわれたら、それは難解なのではないか。まして、たとえばソクラテスの思想を本書一冊でカバーできるはずがない。
しかし、本書は西洋哲学の歴史を辿ることが目的。古代の哲学者がどのように人生、真理、世界、神について考え、発展させてきたのかという思想の流れを追うには良書と言えるのではないか。
(2010年5月22日 大学院生)
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頑張りました。まだ近現代読んでませんが。もう納得しようがしまいがとりあえず読み進めました。難しかったし訳わからんところもいっぱいでしたが、楽しかった。
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-2007.03.12
良書である。著者独特の語り口がいい。
-やわらかな叙述のなかに哲学者たちの魅力的な原テクストを多数散りばめつつ、「思考する」ことそのものへと読者を誘う新鮮な哲学史入門-と、扉にうたわれるように、採り上げられた先哲者たちの思考を、著者一流の受容を通して、静謐な佇まいながらしっかりと伝わってくる。
岩波新書の上下巻、「古代から中世へ」、「近代から現代へ」とそれぞれ副題された哲学史は、著者自らがいうように「確実に哲学そのもの」となりえていると思われる。折にふれ再読を誘われる書。その章立ての構成を記しておこう。
「古代から中世へ」
1-哲学の資源へ
「いっさいのものは神々に充ちている」-タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス
2-ハルモニアへ
「世界には音階があり、対立するものの調和が支配している」-ピタゴラスとその学派、ヘラクレイトス、クセノファネス
3-存在の思考へ
「あるならば、生まれず、滅びない」-パルメニデス、エレアのゼノン、メリッソス
4-四大と原子論
「世界は愛憎に満ち、無は有におとらず存在する」-エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス
5-知者と愛知者
「私がしたがうのは神に対してであって、諸君にではない」-ソフィストたち、ソクラテス、ディオゲネス
6-イデアと世界
「かれらはさまざまなものの影だけを真の存在とみとめている」-プラトン
7-自然のロゴス
「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する」-アリストテレス
8-生と死の技法
「今日のこの日が、あたかも最期の日であるかのように」-ストア派の哲学者群像
9-古代の懐疑論
「懐疑主義とは、現象と思考を対置する能力である」-メガラ派、アカデメイア派、ピュロン主義
10-一者の思考へ
「一を分有するものはすべて一であるとともに、一ではない」-フィロン、プロティノス、プロクロス
11-神という真理
「きみ自身のうちに帰れ、真理は人間の内部に宿る」-アウグスティヌス
12-一、善、永遠
「存在することと存在するものとはことなる」-ボエティウス
13-神性への道程
「神はその卓越性のゆえに、いみじくも無と呼ばれる」-偽ディオニソス、エリウゲナ、アンセルムス
14-哲学と神学と
「神が存在することは、五つの道によって証明される」-トマス.アクィナス
15-神の絶対性へ
「存在は神にも、一義的に語られ、神にはすべてが現前する」-スコトゥス、オッカム、デカルト
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本書は15章で構成されており、それぞれが対応する哲学の歴史的変遷、どのような思想が論じられていたかを具体的な哲学者や学派を通して説明されている。
大まかにそれぞれの哲学者がどのような思想を持っていたか知るのには適しているが、細部まで説明がなされているわけではないので、よく知りたいならば本書で紹介されている哲学者の著書を読むべきだ。
西洋哲学への入門書として、また歴史的変遷を見直す一つの手段として非常に有効であると言える。
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実際の講義のほうが、クオリティが高いか(オールドスタイルな講義だけれども)。流れるような文体で統一されているので、これを足がかりにして人物や概念をじっくりと検討するのが、かえって難しい。それでも、ぶれのない解釈の提出は非常にありがたい。
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哲学の黎明たるミレトス学派から、後期スコラ哲学に至るまでの思考の歴史をまとめた哲学史。「哲学とは哲学史であるとはいえないかもしれませんけれども、哲学史は確実に哲学そのものです」という著者の言葉が実感できる簡潔にして重厚な内容。
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哲学者について何も知らない状態だったが、歴史背景と共に西洋哲学が如何に発展していったかがなんとなく掴めた。
そして自分の無知っぷりも思い知ったよソクラテスさん!
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哲学者って「哲学書」を呼んで育っているんだなあと改めて実感。その人がどのような文脈(社会的状況、宗教)で、どの文章(哲学書)を、どのように読んだか(聞いたか)を考える哲学史的視座は重要。
ただ、本書でもいうように(?)それだけでは語り尽くせないその人「特有の思考」というものがあって、それを感じることができるかどうかだよなあ。
古代、中世の人は「有(ある)、無し(ない)、有限・無限」について考えを深めていたようだ。