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貸し借り、分け与えが普通のボルネオ、現代文明との違いがよくわかる。あまり説教臭すぎないところが良い。まあこう言う社会もある、という我が身の振り返りにはなった。ものすごくカルチャーショックということもないが。
まんがも淡々とした感じで悪くない。
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著者は、人類学者であり、メキシコ・シエラマドレ山脈先住民テペワノの村に滞在し、バングラデシュで上座部仏教の僧となり、トルコのクルディスタンを旅し、インドネシアをめぐった。文化人類学者として、ボルネオの狩猟民プナンのフィールドワークをする。
人類学の目的は人間の生そのものと会話することである。
人類学は、外側からそこの文化を客観的に捉えようとしていたことから、文化の内側から現地の人々が考えていることとやっていることを理解し、調査しながら、現地の文化から影響受け自分自身も変容していくこと。現地に入りそこで繰り広げられる生活の現実、日常の出来事などから起こる興奮のざわめきを想像する。肌で感じる。血肉化する。それをマリノフスキは実生活の不可量的部分と言っている。人間、動物、昆虫は同じつながりを持った生き物として認識さる。人類学は人間だけを見つめていたが、それだけでは人間の本質をつかむことができないと言うことが現在の人類学の課題となっている。インゴルドは、人類学は人々について、何かを問う学問ではなく、人々と共に学ぶ学問だと言う。それが、文字として人類学が形成されていたが、映像人類学として知の創造がなされた。
それでは、マンガ人類学という手法もあるのではないかと言って、この本が登場した。
漫画としては、うまいと言えないが、ほのぼの感がある。
狩猟民族プナンで、生活することで、次第にプナンの言葉にもなれ、プナン人が、「地面の中に金ピカの御殿があって彼らはとても立派な身なりで暮らしている。」という話をしていた。
それはフンコロガシの話だった。フンコロガシはかっては人間で金持ちだった。ある時スポーツ競技でインチキをして以来、糞を転がすだけのフンコロガシになった。このことから人間とフンコロガシはある意味では同列であると言う認識がプナンにはあった。それは魂が同じだという認識である。
プナン人は、森の中で食べ物を探すことに1日のほとんどを過ごす。獲物を得れば、調理して食べ、あとはぶらぶらしている。プナン人は、生きるために食べていた。何かのためにという目的はなく、生きることが目的でもある。それ以上のものはない。
プナン人は、気前がよく惜しみなく分け与えることが良い心がけとされていた。マルセルモースは「全体的給付体系」と言った。プナン人は、食欲、睡眠欲、色欲は貪るが、財産欲や名誉欲はなく、物があれば、分け与えるシステムができている。そのため、所有もなく、分け与えられても、ありがとうとも言う必要もない。セックスの形態も違い、夜這いであり、マスターベーションはしない。女系家族のような形態となる。肉体、魂、人間の三位一体となる。人間に従う良い犬と人間に従わないアホ犬がいるが、アホ犬はアホ犬として、人間社会の中に組み入れられる。しかし、人間中心主義ではない。ふーむ。漫画だから、セックスの大胆な表現もできるのだ。つぶさに観察し、文字に起こさないものを漫画化する。漫画で、学問を語るという手法を真正面にすえるのもありだね。
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【要約】
ボルネオでフィールドワークを行った人類学者のルポを漫画化した作品。
前半の漫画本編では、所有の概念を作らない社会、人以外の存在の視点を持つこと、分け与えによる平等、セックスの多様性などが語られる。
後編の解説では、人類学の説明や歴史、漫画に関する考察、そしてなぜ人類学マンガを描いたのかが語られる。
【感想】
日本の特殊性についてはある程度理解しているつもりで、比較として欧米の文化などについてもそれなりに学んできたつもりだったが、自分が知っている世界と全く違う価値観を持つ世界があることを知れたのは大きな学びだった。
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マンガであるのため、すんなり読み終えることが出来た。活字と写真だけでは、興味はあっても、読み終えてはいなかったと思う。
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マンガで描かれた文化人類学の読みやすい本というので購入。結果、読んでよかったと思う。
読みながら思うのは、マンガや写真のような視覚によるサポートがなければ、想像でその言葉の表すものを実際にその通りに思い浮かべるのはかなり困難だろうということ。
本書に書かれるボルネオの民プナンは、あまりにも文化が違いすぎて想像の域を超えている。そこがおもしろいのだが、文字だけでの表現では興味深く読み進められるかといわれると、うーん、難しい気がすると言わざるを得ない。
本書を読んで今までより一層文化人類学に興味が湧いた。やはり人間にとって一番面白いのは、人間そのものなのだと思う。
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マンガのまとまりがないのでモヤモヤしていたところ、解説を読んで納得。2人の著者による思考の過程が透けて見えるマンガなのだと理解した。結論ありきの物語や論考が逆に危ういものに思えるようになった。
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文化人類学を学んだはじめての本。全く違う文化を知ることで、自分を見つめ直すことが容易になる。自分のこだわりとか、固定観念が中立になる。たまたま手に取ったんですが、入門書としてアタリだと思いました。
プナンの民は仏教徒ではないようですが、共通する部分があって、仏陀が少しだけ登場します。理解が進みました。
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立教大学異文化コミュニケーション学部教授で、人類学者の奥田克巳と、漫画家のMOSAによる、文化人類学をテーマとした漫画と解説。インドネシア・マレーシア・ブルネイにまたがるボルネオ島に住む、プナンという民族の生活を漫画で描いていて、そこにある自然や動物の様子やその人たちの姿などを親しみを持って読むことができる。いろんな描写を通して、プナンの生活において、動物やモノの中にも自分たちと同じ人間性を共通して見いだす考え方や、人に物をあげることを良しとするがゆえに平等な社会ができあがっていることなど、今日本などの社会の一般的通念が絶対ではないのだと思わされる示唆をしている。
プナンの生活それ自体も面白かったのだが、その生活や考え方の違いがどうして起きたのだろうか、という考察を奥田さんがしているところも面白いと思った。分け与える者が偉い社会なので、あげても「ありがとう」がないし、貸しても壊して返ってくるが、それが故に、貧富の差が小さく、本当に人望のある有能な人がリーダーとなり、また有能で無くなればリーダーではなくなる。こういう社会の考え方がどうして起こったのか、について、例えば農耕社会と狩猟採集社会が分かれたことに起因するかもしれないなど分析している。
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日本社会の制約や規範に生きづらさを感じ、別の社会にもっと生きやすい最適解を求めて読んでいたことに気づいた。
しかし、別の社会にはそこに固有の別の制約や規範、生きづらさがあるだけであると気づいた。そしてどの時代のどの社会に生きるかは、多くの場合選べないし、選べるとしても限られた範囲内でのことだ。
一方、他の社会を知ることは、自らの属する社会を相対化する助けになるし、別の豊かさを知ることでもある。
プナンの人々は
「何かのために」生きてない。ただ生きるために食べる。
この言葉が心に残った。
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人類学について漫画でとても読みやすく、そしてためになります。
教授が生徒に教えていくシーンで、読者である私たちも教授から直接教えを受けている気持ちになれます。
ボルネオの森に住むプナンの人たちの文化を紹介しているのですが、縄文人の考え方に似ていると思いました。
彼らの考え方で面白かったのは、たとえば人間は肉体、魂、名前でできているとされること。
そのため赤ん坊はまだ完全な人間ではないし、名前を変えると別人になるとされます。
これは言霊としても心理学的にもあることなので、それを真理として伝えていることに興味を持ちました。
他の民族の文化を知ることはとても楽しく、そしてためになります。
そして、文字だけでは伝わらない、もっと人に知ってほしいとあえて漫画で出版した思いごと、しっかり受け取りたいと感じました。
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ボルネオ島の森の民、プナンの人びとの話。固定観念が壊される。
いろいろな世界観があるんだな、と改めて実感。そうすると、やはり日本人の世界観は日本人として大切にしたいと思う。
最後の解説もちょっと面白い。確かにマンガであることは、人類学を表現するのにとても合う方法なのかもしれない。
筆者のマニアックさもなんとなく醸し出されている。
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人類学、面白い!
自分のバカ狭い世界は、たくさんあるうちのたったひとつの世界だと教えてくれる。
これがほんとの「多様性」だ!と、思った。
ボルネオの民の社会では、私は生きてけるかな…。
本書はマンガで、理解しやすいんだけれど、最後の解説が私には難しかったかな。