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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
恋愛論。手に取った時は内容があまり分からないまま図書館から借りてきましたが、詳しくわからないまま、読んでほしい。
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同名の作家さんと間違えて購入。だが、面白かった。この人の作品また読んでみたい。有吉佐和子さんのことを書いた、誰が彼女を殺したか?が、特に面白かった。
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本屋さんで特集されてたから買った。独特!バブルのときにすごい流行った本らしいけど、新鮮だった。女性的な語りだった。
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80年代ポストモダンなメタ視点の文章、ちゃんと読んだの初めてかも。変態的にまともであるところの橋本治が、30年ほど前にやった講演が元となってるというのに、今でもオモシロいのスゴいし、恋愛に対する感覚がこの期間で根本的に変わってないのもヤバい。
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私の頭が良くないためか、書いてあることがほとんどわかりませんでした。すごいことを言っているとは思いますが、出てくる例え等(赤胴鈴之介等)がピンとこなくて最後まで読めませんでした。恋愛論の部分は成る程と思いました。
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男性と女性を超えた存在、橋本治さんの恋愛論。自身の体験から、恋とは何かを語っています。恋愛はやっぱり個人的なものだと思うので、共感できたりできなかったりですが、ひとりの人の考え方が赤裸々に見えて、こういう考えもあるのかと興味深く読めます。男性でも女性でも書けなくて、橋本治にしか書けないであろう、恋愛論。
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話の中心は、著者の初恋です。それがまた、純真だなあと思った。実は僕って「純粋」っていうのはあんまり好きではないし、それにそれは今回のこの事象にたいしては違うと思って考えたら、純真という言葉が出てきた。それも、しおしおしたりもするんだけれど、全体として「陽」に感じた。とまあ、序盤のあたりからの感想はこんなところなんですが、やはり著者がさらけだしてくれた「恋愛体験」からみえるのは、根本の恋愛感情なんです。社会ってものをとっぱらって、人間として裸の状態での「恋愛感情」がつぶさに見える。そして、男が男を好きになる初恋が語られて、たとえば、「男が男に恋する」という単調な字ずらだけをみるならば、「えーー?!」と退く男は多いと思うのだけれど(ぼくだってそうだ)、そこで壁を作らずに、とにかく話を聞いてみようという気で読むと、男が男を好きになることだって妙なことじゃないってわかってくるんですよ。「ああ、そうか、そういう形だってある」とわかるし、案外、自然なんです。ホモセクシャルだとかレズビアンだとか、LGBTって言われますけども、本書を読むと、そんなマイノリティとして認識されて、敬遠されがちなひとたちや意識が、あたたかな隣人として身近に感じられるようになると思います。そういう、誤解を解けるようなくだけた告白に本書はなっていて、LGBTはまったく自分たちと違うひとなんかじゃない!ってわかり始めると思いますよ。
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1986年当時の彼女に進められて読んだ覚えがある。
この年になって、ふと当時自分が何を思い何を考えていたんだろうって思ったときに、この本のことが頭に浮かんだ。
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・男が男を好きになるっていうのは必ず、”社会的”なんだよ。だってそんなことスグ分かるっていうのはサ、女っていうのがなんで男を求めるのかって言えば、それは必ず社会的な力が欲しいからでしょ?男は女に個人的なものを求めるけどサ、女って違うよね。女は男に社会的なものを求めるよね。どんなに女が一人で頑張っても最終的に不安であるっていうのは、結局のところ、男に「私ってこれでいいのよね、そうでしょ?」ってことの答えを言ってもらいたいからだもんね。社会的っていうのは経済力っていうことじゃない、「最終的にはOKである」っていうその保証があるっていうことだもんね。
・”自分”っていう離れ小島がポツンてあってサ、その周りを膨大に海がとりまいててサ、それを埋め立ててって、遠い”陸地”と地続きにしちゃっていって、その、”陸地”ってなんだろうって言ったら、”現実”だってっていう答えが簡単に出て来るかもしれないけど、じゃァ、その”現実”ってなんなのサ?って考えたら、それはなんだか、分かったようで分かんないような話だなってことも思うのね。恋愛が結婚に続いてくっていう考えでいけば、その離れ小島と地続きになる陸地は”結婚”でしょうよっていうのもあるけど、僕の場合は、実は違うのね。これから先はどうか分かんないけど、今までのところで行けば、離れ小島と地続きになって行く陸地っていうのは、実は”自分”なのね。
・すごいよね。ひがみとかなんとかっての通り越して、冷静な事実とだけ直面してんだもんね。そういうもんに直面してると、結論というのが知らない間にやって来てて、背中押してんだよね。もう、自分に生きようとする気がないってことが、根本で分かってきちゃってるからサ、「ああ、明日起きたら死んでるな」ってことが冷静に分かるの。「そうか、死ぬってこういうことなんだ」と思って「またなんか新しい発見しちゃった」とかっていう気になると、突然こわくなるの。”明日の朝死んでる自分”なんてのを考えると、ホントにこわいんだ。そっちの方にズルーってすべって行きそうで。そんで、よく考えたら、「こわいからやだ!」っていって、そうなるのを止める足場なり手がかりなんて探すんだけど、もう、そういうものがなんにもない訳。なんにもないことに気がついて、実はそのことが一番こわいの。「死ぬことは事実だからこわくないけど、それを喰い止めるものがなんにもないっていうのはこわい」っていうのは、なんか逆みたいだけど、生きてる側に立ったら、勿論こっちの方が正解なのね。
・「おんなじ格式が高いんなら・・・」と思って、少年達は『地球防衛軍』の特撮に行ってしまうのである。”月光仮面のおじさん”が”ぼくらの赤胴鈴之助”の後にやってくるのは興味深い。自己主張ばっかりの”ぼくら”はダメになると改めて幼児化の中に入って行くのである。だからここで初めて、”おじさん”がヒーローとして出てくるのである。
・人体実験を競った世界的名医・花岡青洲の妻と母の凄まじい争いを描いた(とされる)『花岡青洲の妻』のテーマが、実はこれなんです。男は、女の内面を見て見ないふりをする、と。
この『花岡青洲の妻』の最後は、墓石の話になっています。嫁と姑の争いに”勝った”嫁の墓は姑の墓よりも大きい、と。それを受けて、この作品の最後はこう結ばれますー。
しかしこの二人の女たちの墓石を2つ重ねて倍にしても及ばないのは、それから6年後に歿した華岡青洲の墓である。ー中略ーこの墓の真正面に立つと、すぐ後に順次に並んでいる加恵の墓石も、於継の墓石も視界から消えてしまう。それほど大きい。
凄まじい争いの話を書いて終始一貫冷静に筆を進めてきた作者は、遂にここへ来て怒鳴った。末尾の一行は、太ゴシックの活字で印刷された方がいいようなものだろうと僕は思う。
それほど大きいー即ち、男は女の内面を見て見ないふりをするが、そのことを殊更に咎め立てする人はいない。即ち、隠れている。即ち”視界から消えてしまう”。「なんということだ!」の思いがこの”それほど大きい”の6文字に隠されている。
・エスタブリッシュメントという言葉は”支配階級”とか”特権階級”という風に使われますけど、僕にしてみればそれは”既に出来上がっちゃった人達”というのが正解なように思われます。既に出来上がっちゃってるから、その前提に関しては「もうどうでもいいじゃない」とうそぶいていられる人達がエスタブリッシュメントだと僕は思います。
有吉さんが言った「私達親子は、もう、一族から、バカにされて、バカにされて」という言葉の説明をする時が来たようです。
・既に出来上がってしまった現実に対して筋を通して生きて行こうとする女に対して、世間の風当たりというのはやはり強いと思いますね。ある意味でそれは、世間から逸脱して生きて行くことですからね。そして、女であるということは、それ自体が男の作った基準から逸脱しているということでありますからね。世間というものは、あまり”女の自由”というのを喜ばないですね。そこら辺をとっつかまえて、世間というものは「彼女は女であることからさえも逸脱している」という言い方をしますしね。それを誰よりもよく知っていたのは、死んでから”奇行の人”という書き立てられ方をした有吉さんだったと、僕は思いますね。
・別の時、有吉さんはまた「バカな男が女を小バカにして!」と言ったけれども、「でもねェ有吉さん、もう違いますよ。世の中にはバカな男とバカな女とバカじゃない男とバカじゃない女の4種類がいて、バカな男だけが女をバカにするんですよ」と僕が言ったら、有吉さんはしばらく考えこんで、「そうやな」と言った。
・「志が低い!」と言ってくれる人に、僕はそれまで会ったことはなかった。「本当に、今の男の人はダメなんです」ーそう言って、僕は泣いてしまった。「チクショオ、キングになってやるぞ!」と思って。
それが初めて会った夜のことです。有吉さんも、あまりのことにあきれたでしょうね。そして、その後ですー。
「あなた、キングになっても、私の上には立ってはいかんよ」ーそう有吉クイーンは仰せになりました。
なにをおっしゃるウサギさん。キングになると言った男が、どうして女王陛下の下に立てるって言うんですか。僕もなかなか大したものです。今泣いた烏がすぐ威張る。
「いいえ、僕の方が���です!」ー天下の有吉佐和子に橋本治は初対面の席でそう言ったんです(誉めてくれ!)。
それを有吉佐和子が見逃す訳もない。「私が上だ!」とあの人も言う。ほとんど喧嘩をしてたんですね。私と有吉佐和子女史は。
「9月になったらセーターを編みますから」そう言って、「ああ、もう9月になるかなァ」と思っていた矢先でした。「また喧嘩するんだなァ」と思っていた頃でした、有吉さんが死んだという話を聞いたのは。本当に、あの人のご冥福を、やっぱり僕はお祈りします。
どうぞ有吉さん、いつまでもお元気でー。
・要するに、私にとって仕事とは”個人的な楽しみ”が社会性という衣をまとって立ち上ることでしかなかった。ところが、河出の小池さんにしてみれば、仕事はあくまでも仕事、いくらそれが楽しいものであったとしても、それと自分自身の個人性との間には、抜き難い距離がある、と。これは彼だけではない、会社勤めという形で、公と私を切り離されてしまった男にとっては、あまりにも当然のことである。あまりに当然すぎて、そんなこと誰も言わないし、言ったってそのことの重みは分らない。そして私は、この、会社勤めも結婚もせず、自分の家から一歩も出ない私には、そんなこと分りようもない(ちなみに、現代の男にとって妻とは、会社の別名でしかない)。
・どうして自分のやりたいことをやるのに後ろめたさを感じなくちゃなんないんだろうね?僕がセーター作ってることあんまり人に言いたくなかった理由ってのもこれなんだけどね。
だったら自己満足の向うに公共性だか社会性をくっつければいいじゃないか!いいもの作れば人は喜んでもらってくれるよ。もらっていただけるんだったら、それは立派に人の役に立つし、公共性とか社会性は成立するでしょ?最終的に自己満足から離れられればー離れられるということが分っていれば、そのプロセスとして存在する(多分)必要悪としての自己満足は、正当なる位置づけを獲得することになるじゃないか、という風に話はなって来る。即ち、若さの肯定は技術論の導入によって初めて可能になるという、おそろしい話になって来るのではあった。
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前半はちょっと面白くなるのかなとおもったが、結局言っていることがよくわからなかった。全体に80年代の衒学的雰囲気を感じてしまった。
恋愛はステキなもので、ステキな人が自分を助けてくれることという幻想がある。これはごもっとも。
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もともと古い本というのもあって、ちょっと読みにくかったけど、恋愛で惹かれるのは似たところと似てないところがあって〜という話は分かりやすかったし腹落ちした。あと男性の方がピュアなんだなというのも感じる。実体験と重なり納得するところもあった。