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置き去りにされた「方法的懐疑」
2001/01/16 00:12
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小沢純清 - この投稿者のレビュー一覧を見る
後進の批評家に圧倒的な影響力を持ち、「決定不可能性」「単独性」等の流行語を産出してきた柄谷行人氏の、二十歳代の批評文を集めた処女評論集である。
本書のモチーフは、柄谷氏自身が「初版あとがき」で明瞭に述べているとおり、「『内的世界』をそれ自体として純化して考える」ことにある。だが、それは、最近流行のサイコロジーのように、人間の「心理」を対象化しつくし、外から見て分類するようなものではない。そのような方法は、氏によって、「自然主義的認識」として斥けられている。
氏は、現象学的、あるいは、デカルト的な「方法的懐疑」によって、漱石における「対象化しえぬ(存在論的な)『私』」や「内側から見た生」、小林秀雄や吉本隆明における「心理を超えたものの影」について論じてゆく。そこには、若さゆえの勇み足や、同時代の思想傾向への過剰な反発からくる曖昧さがないとはいえないが、約十年を隔てて書かれた次の二つの箇所の類似性は、とかく、その問題意識の移動の速さや意外性が取りざたされる柄谷氏の、この『畏怖する人間』執筆時に持っていた「問題」へのこだわりの強さを物語っていて興味深い。
《「自然」は自分に始まり自分に終る「意識」の外にひろがる非存在の闇だ》(「意識と自然」、『畏怖する人間』)
《ここでいう「自然」は、対象物のことではなく、人間による制作(建築)の可能性の限界点にあらわれる何かだからである。》(「隠喩としての建築」、『隠喩としての建築』)
近年、“マルクス”主義的な発言が目立つ柄谷氏だが、この著書で強調されていた「方法的懐疑」をもう一度取り戻してほしいと思う。「『内面への道』とはいわば『外界への道』にほかならない」(「内面への道と外界への道」)のであるならば……。
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