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「わたしは参加していた。単なる目撃者ではなかった。」の言葉が重い
2006/04/11 09:44
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒトラーの時代、1933年8歳から1943年18歳で前線に出るまでの一人のドイツ少年を、著者自らの体験をもとに描いた物語。「第三帝国が事実いかなるものであったかの偽らざる記録」という副題のとおり、年代を追って日記風に淡々とエピソードが綴られています。それが「思い出にふける」感傷をさけ、体験を伝えてきます。
著者が戦争の体験を描いた三部作のうち、一作目「あのころはフリードリヒがいた」ではユダヤ人の迫害が描かれましたが、本作では、主人公と二人の友人の少年がヒトラー・ユーゲントに入り、志願兵となって戦線に出て行くまでを描いています。
「ユダヤ人の家を破壊したとき、ぼくたちもそこにいた。」「ヒトラーを歓迎したとき、ぼくたちもそこにいた。」自らも加わったことを率直に告白し、「共に責任を負う」姿勢で書かれた本書のような本は、歴史への普通の人間の関わり方を考えさせるものではないでしょうか。「わたしは参加していた。単なる目撃者ではなかった。」の言葉は重いです。
ナチ党員の規律正しい制服姿をかっこいいと思い、「生活を良くする」と呼びかけるヒーローに惹かれるようになり、自分から参加の一歩を踏み出していく少年たち。党員の制服と同じ茶色の服が学校でも増えていき、違っているものが目立ち、疎まれていくところでは、文字通り「一つの色に染まっていく」怖さが描かれています。フランク・パヴロフの「茶色の朝」という寓話にでてくる「茶色」の歴史を具体的に描いているところです。
周囲の大人たちも、はじめはヒトラーに反対していても、いざ戦争がはじまると「負けてドイツがなくなったらどうする」と戦いに勝つことに向っていきます。いったん戦争になってしまえば人の心はどう変わるのか、その様子からは、あの頃、日本も同じだったのだろうか、いや、今でも人の心は同じように動かされるものではないのだろうかと考えてしまうのです。
著者は少年たちのいたずらや、異性への淡いおもいなども織り交ぜて書いています。それが少年たちが少年らしい行動の中でいつのまにか戦争に参加していく様子の真実味をより感じさせます。
「わたしは参加していた。単なる目撃者ではなかった。」書評のタイトルに使ったこの言葉は、著者がこの本の冒頭に書いている文章からとったもの。この言葉には次の言葉が続きます。「わたしは信じていたーわたしは、もう二度と信じないだろう。」後に続く時代に生きる私たちは、同じものを信じ、また信じなくなる、という同じ道を辿らないですませることはできるのでしょうか。
三部作のもう一冊、「若い兵士のとき」では主人公が兵隊になってから敗戦までが描かれます。戦争の中でみられる人間の姿は、日本でもドイツでも、あの頃でも現在でも、変わりないのではないか、とそこでも思わせられます。
あの時代の狂気を描く
2021/02/16 14:22
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
純真な少年たちが銃を取る姿には胸が痛みます。戦争へと向かっていく当時の風景の中にも、著者自身の体験が息づいていました。
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