ヴァレリーのテクストを丹念に読み込み、そこから描き出された芸術と身体と生の関係を解き明かしてくれる貴重な一冊です。
2021/02/06 14:34
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、美学、現代アートを専門に研究され、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』、『目の見えないアスリートの身体論』、『どもる体』、『記憶する体』、『手の倫理』などの著作で知られる伊藤亜紗氏の作品です。同書では、習慣として早朝の数時間、一日のうちいちばん非社会的な時間に書き続けられたというヴァレリーの言葉から始まります。膨大な量のそれは人間の生の実相へと肉迫していきます。作品が装置であるとはどういうことなのでしょうか?時間と行為の関係とはどうなっているというのでしょうか?詩が身体を解剖するとはどういう意味なのでしょうか?ヴァレリーのテクストを丹念に読み込み、そこから描き出された芸術と身体と生の関係を解き明かしてくれる貴重な一冊です。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:スッチー - この投稿者のレビュー一覧を見る
とても素敵です。とても面白いです。良いです。興味のある方にはオススメです。分かりやすくて読みやすいです。寛ぎの時に読みたいです。
投稿元:
レビューを見る
自分が所有している機能以上の機能を引き出し知覚する行為としての詩に対しての考察はとても興味深かった。ヴァレリーの詩やテクストを全く読んでいない状態で読んだが十分に楽しめた。
投稿元:
レビューを見る
68 読者を行為させる 装置
74 ヴァレリーにとって詩とは「詩として表現された…生理学的生」
「創造的誤読=読みの複数性」は「不可避の副産物」にすぎない
109 反復や同化
「他者と同じ状態になる」という私たちの衝動が、コミュニケーションの可能性を作っているとヴァレリーは考えている。
130 詩をつくることは詩
169
ヴァレリーにとって注意の本質とは、注意の対象と注意のシステムの分離不可能性に、より単純に言い換えれば、注意の対象と注意する主体の分離不可能性にある。初期の『カイエ』で、ヴァレリーはこの分離不可能を「対象の受肉incarnation」と呼んでいる。
184
リズムとは、ある列の模倣可能な特性である。模倣可能であって理解可能ではない。
投稿元:
レビューを見る
ようやく読めた伊藤亜沙さんの著書。
1900年あたりの詩人であるポール・ヴァレリーの詩感をまとめてくれている本。人間の感覚論・身体論のような生理学みたいなところから芸術を定義して、詩学へと発展する過程がわかりやすくまとめられ、身体-芸術を繋げる1つの考え方が書かれている。
芸術を考えるスタンスとして、意味的なところからスタートせず、人間の知覚から立ち上げるところがかなり好み。
詩(芸術)とは、身体機能の散文的な繋がりに違和をきたすことによって、各部位に備わる機能を開放し、その機能自体を知覚させる。そして、その知覚により、"真の行為"を読者に促すものだと僕は受け取った。
僕は身体と芸術の関係について、これまでアフォーダンス的な、何かの行為を人間に触発する・想起させるような形状、つまり人間の行為に埋め込まれた形状を作ることによって、身体をより自由にできると考えていた。しかし、ヴァレリーの芸術感を見ると、そういった散文的な繋がりを促進させるような創作行為では、人は自身の身体知を希薄化させてしまうらしい。身体をより自由に振舞わせる方向性と身体の知覚を促す方向性はベクトルとして逆の要素があるよう。身体と芸術について考える1つの指針を手に入れた。再度読み直してまとめてみようと思う。