ソメイヨシノは明治維新と共に表れ、日本中の桜と春を一変した「革命の花」である
2005/04/15 16:58
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投稿者:みち秋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
寒い冬が去り、待ちに待った春が来ると突然パット桜が咲き出す。私たちは満開の桜の美しさだけでなく、その短命さに心動かされる。このような時節になかなか面白い本が出版されている。
明治初期ソメイヨシノは染井を出て、日本中を席巻し、桜と春の景色を一変した。
本書はこの革命ともいえる足跡を辿りながら印象的な痕跡を探してゆく。もろもろの説話、伝承を踏まえて、ソメイヨシノが全国に普及して行った理由と時代背景を描いている。
安直に桜に深い意味、特別な観念を持込まず、桜を語る言葉を自らの視点で冷静に見つめようとする基本姿勢が貫かれている。そして先人の語りを参考にしながら桜の歴史を見直そうとしている。
まず圧倒されるのは、膨大な史料の活用、引用である。しかもその引用も要所に実に的確にはめ込まれており、著者の努力と執念には驚かされる。
桜の流れを簡単に説明しておこう。明治期はソメイヨシノは只の花であったが、目新しさで拡大していった。日清日露戦争は拡大の契機にはなったが、戦争や軍隊とのナショナリティにはつながらなかった。大正期に入ると桜はナショナリズムの表象になり、昭和ゼロ年代後年から桜は急激に観念化されてゆく。それは軍国主義の圧力だけでなく、桜そのものに強い観念、精神を見出そうとする風潮からであった。そして戦後桜の歴史、文化、思想が思い思いに語られナショナリティとの関係が論じられ、観念が肥大化し桜の精神論のみが語られるようになった。
著者は戦後の個人化された桜語りを厳しく批判している。「記憶・感情の個人化が進み、桜語りは一人ひとりが思い思いに桜に深い意味を見出すようになり、植物学、史料と無関係に思い付きや、想像で歴史を語り、桜に対する明確な観念や思想がない中で言葉だけ空転して感傷的な語りに陥っている 」。著者の桜に対する博識からすれば先人たちの作品に対する批判精神が出るのは当然と思われる。更に続けて「桜、それ自体意味を持たない曖昧な物であるが、私たちはそこに何かの意味を見出すことをやめることが出来ない」と自ら桜の妖艶に心奪われ空虚さの中を彷徨している。
「花より団子」派の評者が、卑見を述べるのは恐縮ですがあえて一言。
桜=戦争が直感的に脳裏に浮かぶのは年を重ねたせいかもしれないが、戦死者250万とも言われる人々が、桜のように散っていた太平洋戦争と桜の拘わりを語らずに真の桜語りは出来ないと思う。これに言及していないのは1963年生まれの著者の心にはあの戦争は風化してしまったのだろうか。それともこれが著者の言う「新しい桜語りの創出であり、ソメイヨシノの革命」だろうか。
染井から出てわずか150年でこれほど多くのソメイヨシノが日本全国に咲くようになったのは、著者が言う「空虚さは半ば見えつつもそこに何かの意味を見出そうとする」人々がこの桜にいかに強く心を動かされたかを示していると思われる。
いま日本らしさの象徴である自然が徐々に失われてゆくのと同様に、桜も自然=日本らしさと言うナショナリティーの表象として位置づけられてきたが、この図式が揺らぎ始めているらしい。
今後バイオ技術の発達で新たな桜が出現するかもしれないが、ソメイヨシノは桜らしい桜であり続けるだろうし、又そうあって欲しいと思う。
日本人が日本語で「桜について語る」ということの意味を社会学者が解き明かした本
2012/04/16 16:44
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人が日本語で「桜について語る」ということの意味を社会学者が解き明かした本。ものの見方が変わる刺激的な本である。
桜と日本。この切っても切れない関係については、これまでにも無数に語られてきた。日本人なら桜の季節に何も思わないことはない、というほど密接な関係にあるからだ。なんだか日本人のDNAに刻み込まれているのではないかと思うほど、無意識のレベルまで入り込んでいる桜。春になると日本人なら誰もが桜について思い、桜について語る。そしてその語りはひとさまざまでありながら、定型化した語りのパターンをもつ。
だが現在、日本の桜の8割を占めるソメイヨシノは、明治になってからエドヒガンとオオシマの交配によって発生した新品種である。接ぎ木によって増えていった種であり、現代風の表現なら、クローンとして増殖していったという言い方も可能だ。
著者は、ソメイヨシノの起源と急速な普及について、さまざまな文献をあたって探っているが、「日本近代そのものであったソメイヨシノ」に投影されているものは、じつはソメイヨシノ出現以前の日本人の美についての観念(=イデア)であるという。この著者の語りには納得させられるものがある。現実が理念を後追いして実現したのがソメイヨシノであり、ソメイヨシノについての語りが、ふたたび過去に投影されているのが「桜についての語り」なのだ。だから、単純に「創られた伝統」だと言ってしまうのも乱暴なのである。
「ソメイヨシノ以前の主流は山桜だった」という語りは、わたし自身もこれまで何度となくしてきたものだが、「山桜」についての語りじたいが、「始原」をもとめる心性の働きにすぎないことを本書で知ることになる。ああ、なんとやっかいなことよ。
やや小難しい議論が繰り返し、繰り返し延々とつづくなあと思う読者もすくなくないだろうが、第一章だけでも読めば、間違いなくものの見方が変わるはずである。有名な西行法師の和歌も、王朝時代以来の花を歌った和歌も、解釈を変える必要がでてくるだろう。
しかし、翌年に桜の花が咲くのを見たときには、また無意識のうちに定型的な語りに身をゆだねているのかもしれない。それほどの呪縛力のあるのがソメイヨシノである。本書には言及がないが、日本で製作されたアニメ作品にでてくるのも明らかにソメイヨシノだ。もしかするとすでに日本を越えてそのイメージは拡散しているのかもしれない。ワシントンの桜だけでなく、世界中に偏在するソメイヨシノのイメージ。
ここまで繁殖に成功したソメイヨシノサクラは、果たして今後どのようになっていくのだろうか? 「大学の秋入学」の議論が話題になるこの頃、昭和時代以降、出会いと別れの季節を象徴してきた桜の意味合いも変化していくことになるのかもしれない。さまざまな意味でじつに知的に刺激的な内容の本である。ぜひ一読をすすめたい。
『同期の桜』的美学は日本古来のもんなんかぢゃない!?
2005/09/20 11:01
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸末期,武蔵国染井村(現在の豊島区内)の植木屋がオオシマザクラとエドヒガンを掛け合わせて作り上げたソメイヨシノ(当時,桜と言えば吉野が有名だったのでそれにあやかって「吉野桜」と命名された。吉野の桜は当時ヤマザクラ類が主流だったので,完全なイカサマですけどね)は,その成長の早さ,苗木の安さで明治期,全国に広まった。
江戸期には,品種の違う(開花時期も異なる)数種類をバランスよく植え,単一では1週間から10日程度である花盛りを長きに渡って楽しむのが普通の桜の楽しみ方であった。それが明治期のソメイヨシノ(の大量植樹)により,その短い開花期間を思い切り愛で,その散り方に勝手な意味を付与するようになった。
……すなわち,軍歌「同期の桜」に見られるような,「美しく咲いて潔く散るのが日本古来の美学」とかいう「桜語り」は,全然日本古来のものなんかではなく,ソメイヨシノの拡散とナショナリズムの確立が時同じく起きたためのスリコミであるということを古来よりの詩歌・文献に現れる桜の記述をもとにたんねんに検証したのが本書なんである。
ともあれ,そういう形而上の話以前,ソメイヨシノの生物学的真実の説明もワタシのような門外漢には面白く,ソメイヨシノがすべてクローンであるのは,そもサクラという植物にはバラと同様(当然か,サクラはバラ科である)自家不和合性という性質があり,実生(種から育てること)すると必ず親とは違う性質が出てしまうからであるとは知らなんだ。つまり人間に例えれば俳優ナニガシが名優だからといってその子もそうとは限らない。ナニガシのクローンを作る方が名優の作り方としては確実だ,ということだったんである。なんか身につまされるけどねぇ(笑)。
反日の日本人学者佐藤俊樹が出した失敗作
2005/09/22 10:43
8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「花は桜木、人は武士、柱はヒノキ、魚は鯛、」と江戸後期の俳人横井也有が詠んでいます。「敷島の大和ごころを人とわば、朝日に匂う山桜花」と本居宣長も読んでいます。確かにソメイヨシノは江戸中期に東京染井の職人が作り出した種類ですが、そんなこと、わざわざ佐藤ごときに指摘されなくても、川添登著「東京の原風景」NHKブックスを読んでいた私はとっくの昔に知っていた。それにしてもである。サヨクのごりごりの反国家主義者であり自称社会学者を気取っては現代日本の悪いところばかりを指摘してやまない佐藤俊樹が、どうして専門外ともいえるサクラを取り上げ、その「歴史」なるものをわざわざ上梓したのか。その魂胆はミエミエだ。佐藤は「右翼」「保守層」が魂の拠り所とするサクラが実は人工的に作られたクローン(これも語感としておどろおどろしさ、まがい物臭さをかもし出すために意図的に選ばれた嫌な言葉だ)であり、しかもその歴史は古くからあったのではなく近世、主として明治以降にとってつけたようにでっち上げられた国家主義の産物なんだ、だからサクラが日本の魂だなんて右翼ごっこをするのは止めろという聖像破壊(イコノクラスター)が目的なのである。しかし、本書を読んで、このあざとい佐藤の試みは完全に失敗したと断言できる。だって佐藤がなんと言おうとサクラは日本人の魂であり、国の花、日本の象徴であるという理解は広く国民の間に既に根付いており、これに反発を覚えるのは、せいぜいが佐藤がくだを巻いている取り巻き連中くらいであることは証明済のことだからだ。その証拠に来年の春になれば、多くの人がやっぱりサクラを愛でに花見に出かけ、有名進学校に合格した善男善女たちは希望と期待に胸を膨らませながら校庭に咲くサクラの木下を歩いて入学式の式場にむかうのであろう。佐藤、何が理由か知らんが、いいかげん、日本社会にカラミ、喧嘩を売るのはやめろ。人を呪わば穴二つというではないか。もっと素直になれ。そして実直に生きろ。わかったな。
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05−06-11
びっくりしました。「現在の桜観」と「明治初期以前の桜観」が全く違うなんて。
ふらりと立ち寄った本屋さんで、季節はずれですが、佐藤俊樹「桜が創った『日本』」という本を買いました。最近、「ドラゴン桜」を読んだせいでしょうか。
私たちの「現在の桜観」は、ここ5、60年で出来上がった桜観なのです。明治初期以前、というよりも、ソメイヨシノが誕生するまでは、桜の木の植え方は、多品種分散型で、花期が少しずつ異なる桜があちらこちらに植えられていました。ですから、様々な種類の桜の花が咲くのを1か月間にわたって見ることができたらしいのです。
今、日本の桜の約8割を占めるソメイヨシノは、明治時代初期に東京染井村(今の豊島区駒込)の植木屋が、オオシマザクラとエドヒガンの雑種をつくり、最初は「吉野桜」という名で売り出したものです。交通の発達していない当時、「吉野の桜は、このごとく美なるものか」ということで、ソメイヨシノは関東の地に広がっていきました。
ソメイヨシノの特徴は、葉より先に花が咲き、その花は近隣では同じ時期にいっせいに咲きます。また、花は一重ですがボリュームがあり、遠くから眺めると、一面のべたっとした花色(ピンク色)になります。桜の木の植え方も、以前の多品種分散型から、ソメイヨシノ単品種集中型へとなりました。
そして、単品種集中型のソメイヨシノの咲き方、散り方に桜ナショナリズムが加わっていくのです。
我が邦の武士はただ桜花の如き気象精神を具有すべきのみならず、またその生命を捨つるに当たりて、桜花の如く潔白ならざるべからざるなり。
井上哲次郎「桜花」大正2年(国定教科書「高等小学讀本」に掲載)
このようにして、私たちがもつ「現在の桜観」ができあがりました。結局ソメイヨシノは、全国津々浦々に広がり、開花宣言の基準木になりました。興味深いのは、全国に広がるソメイヨシノは、たった一本の木から接木で増やされていったクローン*1であることです。
散る桜 残る桜も 散る桜 良寛
これは良寛さん辞世の句です。以前から気に入っていたのですが、この句の情景も、これまで想像していたものとは違うのではないでしょうか。
これまでは、同じ種類の木の中で、散り行く桜花とまだ残って咲いている桜花を対比して詠んだものと思っていました。ソメイヨシノ以前ならば、散り行く桜の木と別の種で花期が少しずれて咲き誇っている桜の木を対比して詠んでいるのではないでしょうか。
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ソメイヨシノの歴史。
靖国の桜の話が載っています。
そしてソースがさりげなく木戸日記(笑)
びっくりしました。
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ここ百年の間に広まった染井吉野と近代のお花見事情。日本の「花」の姿をたどることができます。
春といえば桜。桜といえば染井吉野。そんな風に信じきっていましたが、いろいろな桜の姿もまた日本の姿なんだと思いました。
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日本人がなぜ桜に精神的な意味を見出し、思いを託すようになっていったのか。
過去の「桜語り」がたくさん紹介されてます。
個人的には第二章が好き。143pくらいから「ああ!!」と思います。
近代史わりと好きかもー、という人にオススメ。
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[ 内容 ]
一面を同じ色で彩っては、一斉に散っていくソメイヨシノ。
近代の幕開けとともに日本の春を塗り替えていったこの人工的な桜は、どんな語りを生み出し、いかなる歴史を人々に読み込ませてきたのだろうか。
現実の桜と語られた桜の間の往還関係を追いながら、そこからうかび上がってくる「日本」の姿、「自然」の形に迫る。
[ 目次 ]
1ソメイヨシノ革命(「桜の春」今昔 想像の桜/現実のサクラ)
2 起源への旅(九段と染井 ソメイヨシノの森へ 桜の帝国 逆転する時間)
3 創られる桜・創られる「日本」(拡散する記号 自然と人工の環)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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サクラの由来は、一説によると「サ」・「クラ」であるという「サ」は穀物の精霊を表し、「クラ」は神の座る場所の意である。そして、現代日本において、サクラとはだいたいにおいて、ソメイヨシノのことをさす。というのも、その占有率において圧倒的(国内のサクラのおよそ8割)だからである。学校に植えられているサクラは例外なくソメイヨシノである。文部省と結託して拡散したといわれている(笑)。 ソメイヨシノは50年から70年という樹齢で人間の生死のワンサイクルとちょうど同じくらいであることが、増殖活動との親和性が高かった理由の一つであると考えられる。もちろんはずせないのはクローン特性である。ソメイヨシノのその多くは挿木、接木によって人工的に繁殖したのである。経済効率がもっともよかったのである。景観を向上させ、かつ新しい記憶を生成させる拠り所として都合のよい、あらゆる意味で都合のよい理想的な品種であったのだ。(実際ソメイヨシノは花だけを前面に押し出して開花する人の理想・欲望を体現している)
こうして、サクラ=日本という国民的想像力あるいは図式は、明治以降に創られた共同幻想のひとつとなった。
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卒業、入学、就職、そして出会いと別れ、と4月始まりの日本社会の節目を彩ってきた桜。そしてその八割を占めるソメイヨシノ。そのソメイヨシノがオオシマザクラとエドヒガンの交配によって生まれたことは有名ですが、明治初期の誕生してクローンによってしか繁殖しないことは意外と知られていないのではないでしょうか。そのソメイヨシノをめぐる「桜語り」がいかにナショナリズムと結合した幻想を生み、そして戦後復興に大きな役割を果たしてきたかを考察しています。
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桜は日本の美、と言い切る人のための本。
今、日本の各地で見る事ができる染井吉野という桜の一品種が作り出されたのは、江戸時代のこと。
染井吉野という花の特徴は、葉よりも先に花が咲いて、しかもその花が大きいために、一カ所に多数の木が植えられた状態で開花すると、とても見応えがあること。
それに、染井吉野の木は、同じ木から接ぎ木して創った個体、いわば同一人物ですので、開花時期が地方ごとに綺麗にそろう事も特徴である。
そのあたりを普段はあまり意識しないけれども、他の桜(例えば、山桜や紅枝垂桜、大島桜、寒緋桜など)とは大きく違う特徴であることの解説から始まり、桜について語る時に日本人が作りだしてきた想像の源泉を辿り、桜に託されて来た幻想がどのように構築されてきたかを丁寧に解説している。
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高校の図書館にて、桜に惹かれて読んだ本。
桜、特にソメイヨシノについて、身近にありながら知らないことがたくさん書いてあり、すごくおもしろかった。
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私は、桜が好きだ。坂口安吾の「桜の森の満開の下」の妖艶たる雰囲気は、「檸檬」よりまさる。桜の樹の下に死体が埋めてあることを想像しながら、桜の満開を見て、桜の花びらを散らす様を想像する。死体から生命が花開き散っていく。なぜか満開になると春の嵐がきて花びらを散らす。その様が美しい。美しいとは、満開ではなく、花吹雪になるときに、つかの間の美しさに目をみはる。日本人の遺伝子に組み込まれているような「いさぎよさ」は、桜なのかもしれない。
著者は、桜について、徹底して情報収集をしている。
サクラは サは穀物(イネ)の精霊、クラは、神の座すところ、冬が過ぎて、春となるときに、最初に、穀物の精霊が舞い降りてくるところ、それが サクラ。
染井村(東京都豊島区駒込)で、育成された。明治5年のころだったといわれる。オオシマザクラとエドヒガンの交配でできた。自然交配、人為的交配、枝変わりなのか、わかっていない。
明治23年(1890年)藤野寄命が学術的に同定。ソメイヨシノと命名。明治33年に学術雑誌に掲載。翌年 松村任三が正式に新種として記載。
万葉の時代は、花といえば、梅だった。桜はあまり重きをおかれていなかった。
吉野桜はヤマザクラだった。徳川吉宗はヤマザクラの愛好者だった。ヤマザクラの桜見が始まる。
サクラの歴史は連綿と続いているようだが、昨今のソメイヨシノの風景は明治中ごろから始まっているのであり、その前はサクラの風景も変わっていたが、ソメイヨシノの風景で昔をイメージしている。ヤマザクラの桜見は、情緒を重んじたが、ソメイヨシノの桜見は、イベントとして組み立てられる。
本居宣長は「敷島の大和心を人問わば 朝日ににほふ山桜花」とヤマザクラに託した。本居宣長の大和魂は、ソメイヨシノではなく、ヤマザクラだった。
吉野はヤマザクラの名所で坂口安吾のサクラの世界だ。それで、ソメイヨシノという名前は 卓越していた。ネーミングの持つ普及力。ソメイヨシノは 急速に普及していくが、サクラに 意味がこめられるようになった。
斉藤正二はいう(昭和55年)『人間がサクラをどう見るのか、サクラの中にいかなるシンボルを読み取るのか、という問いに対する正しい答えは、それはすべて関係によって決まるのであり、サクラ自身になにか意味上の実体があるのではない、ということになる。』サクラのゼロ記号性を説く。
靖国神社の誕生から読み解く。靖国神社は木戸孝允によって、明治2年戊辰戦争の霊を祭るために建立。そのときの名前は東京招魂社と呼ばれていた。サクラも木戸孝允によって植えられたとされている。日本というものに深くサクラがかかわっていく。明治という時代に国のためと私のためということを区別する必要がなかった。
赤瀬川原平はいう『ソメイヨシノのお花見も大好きだけど、あの白い花だけを満開にさせる美しさというのは、やはり西洋好みではないかと思う。どことなく分析的な父性的合理主義というか、あるいは一神教的なニュアンスが感じられる。一方吉野のヤマザクラの方は赤い葉が混じり、青い葉もまじり、 これが多神教というとこじつけかもしれないけれど、���濁あわせ飲む様な味わいの深さがあって、そこに母性的な縫い糸の多様さを感じてしまう。』
それが 時代とともにサクラは変化していく。ソメイヨシノのもつ、一斉に咲く集団性による美しさ、わずか10日間で花の生命を終える、さらさらと散っていく。そのことが、違った意味で使われるようになる。日本らしさや日本人らしさにつながる。貴様と俺とは同期の桜では、ソメイヨシノになっている。
咲きみちて花より外の色もなし 足利義政
願わくは花の下にて春死なむ 西行
花の雲鐘は上野か浅草か 松尾芭蕉
花のイメージを ソメイヨシノのイメージで、読んでしまう。足利義政の花はウメであり、西行、芭蕉はヤマザクラなのだろう。
井上哲次朗は言う(1913年)『桜花は百花中散り際の最も潔白にしてかつ優美なるものなり。わが邦の武士はただ桜花の如き気象精神を具有すべきのみならず、またその生命を捨つるにあたりて、桜花のごとく潔白ならざるべからざるなり。換言すれば、桜花は我が日本民族のまさに具有すべき気象精神を表現するものにほかならず。』
ここから、桜と戦争は結びついていく。
戦争の中で 極限までシンボル化されたサクラの残骸が、日本のさまざまな思想的な潮流の中に息づいているなかで、日本人のサクラ好みの風潮は変わっていない。
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日本人は桜が大好きと言われているけれど、まとまってパっと咲いてパッと散るソメイヨシノは江戸末期にできた品種であるとか、明治中期までは花=桜ではなかったとか、いろいろお勉強になりました。
でも、すっごく読みにくい本だった。
ちょっと自分の論理に酔っている感じの文章で、客観的にわかりにくい。
わかりやすそうに書いていて、実は論理的飛躍があってわかりにくい本。
あまりおススメはしません。