ジャンボ鶴田とは
2024/02/21 15:35
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投稿者:うみべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔、新日派だった私にとって全日はあまりテレビで見ることのないプロレスだった。(放送時間帯が深夜に多かったのもあるが)
ジャンボ鶴田って、インターやAWAのベルトも巻いたことがあるから確かに強いのだろうけど、やはり全日入ってすぐ下から這い上がってくることなく即一軍格扱いされたことで、あまり必死さが見えて取れなかったのではないかと、この本読んで思った。でも急逝した報に接した時にはショックだったなあの頃。
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ジャンボ鶴田没後20年、その評伝が発刊。著者が週刊ゴングの元編集長・小佐野景浩という”プロレス界の住人”であることで、もうワタシの中では本書のヒットは読了前に確定した。
日本マット界史上最強のプロレスラーであると同時に、日本スポーツ史上最高のアスリートの一人であるとワタシが信じて疑わないジャンボ鶴田と同時代に生き、その全盛期をリアルで体感したことの幸せを、本書を通じてあらためて噛みしめた。
(もし著者が“住人”でない柳澤健あたりだったら、こんな読後感を持つことはなかっただろう。いや、そもそも著者が柳澤だったら、本書を手に取ることすらなかったに違いない。)
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「プロレスは僕に最も適した就職だと思い、監督と相談の上、尊敬する馬場さんの会社を選びました」
1972年。
ミュンヘン五輪アマレス代表の経歴をひっさげて、中央大学の鶴田友美はプロレスラーとなった。
すぐさま渡米し、テキサスのファンク兄弟のもとで修行。
世界王者の兄弟から王道のプロレスを叩き込まれる。
そして、それをどんどんものにしていく。
半年後に凱旋帰国しデビュー。
3戦目でメインイベントのインターナショナルタッグ選手権に、師匠馬場とのタッグで、アメリカの師匠ファンクスに挑戦。
1フォールを奪い60分フルタイムを戦い抜いた。
デビューしてすぐに、馬場の後継者としてメインイベンターとなった。
世界の強豪と互角に渡りあっていたが、いつしかファンは彼のことをこう呼ぶようになった。
「善戦マン」と。
また「就職します」という常識的な振る舞いも、プロレスに情熱や人間離れした迫力を求めていたファンには、物足りなさとして感じられてしまう。
その世界最高峰との闘いの経験が、発揮される時がきた。
1985年。
新日本プロレスから長州力ら「維新軍団」が参戦する。
「僕のプロレスは世界史。彼のプロレスは日本史。その違いを見せつけますよ」
1986年に行われた一騎打ちでは60分時間切れ引き分け。
だが、終了のゴングの後のリングで仁王立ちしていたのは、鶴田だった。
長州が新日本プロレスに復帰後は、盟友天龍源一郎との対決がヒートアップ。
アマレス五輪代表、エリートで常識人の鶴田。
大相撲前頭筆頭、雑草で破天荒な天龍。
「鶴龍対決が今でも最高のプロレスだと私は思っている」
取材の最前線に数十年立ち続けた著者の感想に全く同感である。
天龍が新団体SWSに移籍後は、三沢光晴ら後輩相手に圧倒的な強さを発揮し始める。
「怪物」
「完全無欠のエース」
誰もが認める最強王者の時代は、突然、終焉を迎える。
1992年11月。
かねてより治療をしていたB型肝炎が悪化。
懸命の治療と、必死の努力で病気に立ち向かい1年後にリング復帰。
馬場らと共に前座のタッグマッチの登場に止まっていた。
その間に、プロレスラーとしての経験と闘病体験を活かしていこうと大学院に入学。大学の講師となった。
1999年。
師匠の馬場が逝去。
同時期に、夢であったアメリカでの研究活動が実現。
引退して渡米することになった。
そして、2000年。
肝臓移植手術の際の大量出血で逝去。
享年49だった。
「僕はプロレス界に生きられて本当に幸せだったと思いますし、全日本プロレスに就職しましてよかったと思います」
引退セレモニーで、デビュー以来初めて鶴田は涙した。
レスラー、マスコミ、そしてファンの間でいまだに根強い「ジャンボ鶴田最強説」。
明るく、楽しく、激しい全日本プロレスの永遠の若大将 ジャンボ鶴田。
その強さと笑顔は、永遠にファンの心に生き続ける。
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尻上がりに面白くなっていかのと同時に鶴田さんのパートナーや対戦相手のコメントが多くなると「あぁ、鶴田さんもういないんだな」と切なさも感じさせられた
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鶴田はやっぱりすげえ。
それにつきる。
全日と新日の方向性の違いは色々あって、それはプロレスというものの多様性であったわけで、全日からすれば「王道」であったわけだが、結果的に、日本人が求めていたのはそれではなかった。
鶴田だって、ガーッと盛り上がったのは、否定していたものが表に出て来てからだった。
鶴田は怪物だった。
怪物故に、悪役になってからが本当の華だったと思う。
ハンセンと同じだ。強すぎるから、それに挑むものがドラマを作る。
んで。
結果として、死者も含む怪我人を大量に出したのは全日だ。
鶴田が、もし、新日に入っていたらどうなってたろうかね。
ないとは思うが。
本としては、鶴田の戦歴というか細かいところが多くてちょっとうざい。分厚いが内容が薄いのでザーッと読める。
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ジャンボ鶴田のレスリング人生を余す所無く伝えた力作。プロレス入り後の驚きの新事実や新証言はほぼないが、決定版と言っていい内容。
ジャンボ伝説の定番、「大学二年でバスケからレスリングに転向、四年にオリンピック」があるが、国内有数の実力者だったことは確かであるものの、当時の日本アマレス界の層の薄さも確実にあったと見える。
馬場と昵懇の八田会長によるプロ入りのための箔付け、というのが谷津の推測だが (別誌にて)、そう思われても仕方がない部分もあると本書で明かされた事実でもって理解した。少なくとも世界で揉まれた谷津とはちがう、と。
一方で自分はアメリカ修行時代に着目したい。(箔付けされた)オリンピアンキャラクター、馬場のオシ、ファンク一家の忖度はあろうが、アメリカで日本の新人がNWAに挑戦することは確実に空前絶後。例えば『1964年のジャイアント馬場』的文脈でも一流と位置付けられ、称賛に値すると思う。何故ならば他にそんな日本人はいないから。
また書籍としては、鶴龍の時代にしっかり紙数を割いているのが良い。ジャンボ側からの視点でのこの時代の記述としては最多最良であろう。
ジャンボは権力に背を向けた、とするならば、その起点となる例のサムソンクツワダクーデター事件への言及が少なすぎるのが難点か。
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プロレスを見始めたころからのスター選手、ジャンボ鶴田の評伝。
恐ろしいまでの強さを誇っていた鶴田が突如消えてから、セミリタイア以降は、留学→フィリピンで死亡のニュースととぎれとぎれの情報しかなかったのだが、本書でその間何が起こっていたのかがよく分かった。
デビュー直後のエピソードや珍しい写真も掲載されていて、ファンにはたまらなない一冊。
YOUTUBEなどで、昔の映像を見ることができるが、打点の高いドロップキックやエグイい角度のバックドロップなど、今見ても迫力十分。
プロレス選手って、通常は新技の開発やら改良やら「技のイノベーション」があってスターになる。ただ、ジャンボとブロディだけは、彼らが使うだけで古い技が必殺技になっていた珍しいケース。どっちも鬼籍に入っちゃったけど。
まだ、純粋な気持ちでプロレス見ていたころが懐かしい。昔のプロレスは確かに子どものものだった。
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圧倒的な強さを誇ったジャンボ鶴田の評伝。新日本プロレスから来た長州力とあまり噛み合わなかった話が面白い。明るいジャンボ鶴田は悲しき巨人だった。
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本の見た目の分厚さと、ページ数の多さ(592ページ)にたじろいではいけない。
なぜなら、プロレスに関して“ずぶの素人”の私のような者でも、デビュー前から引退までの間で次々と現れる鶴田の作り物でない本物の伝説に読む手が止まらず、最後には「鶴田こそ歴代日本人最強レスラーだ!」という熱い思いを著者と共有できるようになったから。
そもそも私はプロレスに対する一定の考え方を持っていて、つまり、プロレスを「①スポーツ」「②ショウ」「③パンクラチオン(死闘)」を頂点する三角形のちょうど重心の位置にあるものと思っている。だからプロレスはスポーツではないとか、あれはショウだという議論は無意味だ。言い換えればどれにも当てはまると言える。つまり、3つのテリトリーの一部を含みつつも独立したジャンルがプロレスだと言えるのではないか。
こう考えると、アマレス出身の鶴田がデビューからしばらくはプロレスから少し浮いた中途半端な状態だったという記述も理解できる。なぜなら当初の鶴田はスポーツの方に寄りすぎていたということだ。だが鶴田が天才的だったのは、天性のパワー、センス、テクニックによってスポーツの枠を軽く越えて、「ショウ」と「パンクラチオン(死闘)」の領域を自分なりに取り込めたこと。(だと思う。)
一方で、私がプロレスをテレビで見ていた80年代は、プロレスが「ショウ」の方に片寄り出して一種の見た目の派手さ(いわゆるパフォーマンス)を競い始めた時期だったと思っている。だがそのころの鶴田はその恵まれた体躯からも実力者なのは間違いないものの、彼のプロレスの中に一種の「無難に置きにいったかのようなソツの無さ」を私は素人目で見ていた。
でもこの本を読んでよかった。鶴田のプロレスが無難だなんて大間違いだった。アグレッシブで、試合巧者。そして何よりも「観客に今ある最高のプロレスを見せるために自分がやれること」を流されることなく周到に体現できる人だったのだ。そして私がなるほどと改めて納得できたのは、鶴田の対戦相手の多くが鶴田を「疲れ知らず」とコメントしていることだ。もちろん疲れない人間なんて存在しない。では鶴田はどうしていたかというと、自分の攻撃によって荒れた息を何と相手の攻撃を受けながら整え、スタミナを回復させていたというのだ。攻撃の派手さが売りのレスラーの多くが試合後半に進むに従い疲労が蓄積するのとは逆に、岩盤が鉄板になるかの如くにマットの上で威容を強めていく鶴田の姿を想像してほしい。「怪物」と呼ぶに十分な資質ではないだろうか。
先にも書いたように、私はプロレスについては完全な素人なので、鶴田vs.長州、天龍、三沢、川田、etc.との具体的な戦いのほとんどが、今は記憶に残っていない。だが本書343ページからの「第9章 鶴龍対決」は一気に読めた。私が思い出したのはマンガ「柔道部物語」(小林まこと作)。主人公の三五とライバルの西野とが金鷲旗高校柔道大会での直接対決(再戦)で事実上の日本一を競うまでに至る一連の描写は、まさにジャンボ鶴田と天龍源一郎との闘いそのままでは、とも思えた。たとえば決勝大将戦で三五と西野とが無駄な組み手争いをせずに瞬時に組んだところは、鶴田と天龍とが見せたという「バシッというタイアップ(全日本の選手はロックアップではなくタイアップと呼ぶ)だけで迫力があった」という本書の描写にも重なる。そして三五と西野の双方が時には相手の意表を突いた技を仕掛けるなどの丁丁発止のやり取りや、最後の紙一重での劇的な勝利の瞬間など、「小林先生、もしかして、鶴龍対決を下敷きにしているのじゃないでしょうね?」と、ほくそ笑んでしまった。
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全日本プロレスの“初代絶対王者”にして"怪物"こと、
ジャンボ鶴田の評伝。著者は元週刊ゴング小佐野景浩編
集長。業界では「天龍番」として知られていた記者が、
鶴田の一生を描く、というのがまず面白い。
とにかく、半端じゃない文章量にまず驚かされる。
書かれているのは紛れもなく正確な事実ばかり。週刊ゴ
ングという雑誌がどれだけ丁寧な取材をしていたかが非
常によく解る構成。これに加え、小佐野さんという超一
流の編集者が絶妙なバランスで解説を入れる。こういう
書籍だと鶴田を褒めちぎる内容に終始するのが普通なの
だが、否定的な意見もしっかり記述。きちんと「フェア」
な作品になっていると思う。
ジャンボ鶴田の怪物的な強さは、昭和からのプロレスフ
ァンなら誰もが認めるところ。しかし、その認識がつい
たのは天龍革命以降。もし天龍があのタイミングで鶴田
に牙を剥かなかったら、僕らがジャンボ鶴田に対して持
ったイメージは「善戦マン」で終わっていたハズ。悪い
言い方をするのであれば、「ちょっとマシな木村健悟」
くらいのレベルである。
これは、元々怪物的なポテンシャルを持っていながら突
き抜けられなかった男が、どのように覚醒していったの
か?を追った物語。だから、正直あまりジャンボ鶴田に
思い入れの無い僕でも、興味を切らさずにしっかり読了
することが出来た。
ジャンボ鶴田が亡くなって、もう20年が経過する。
かなり遅くなったけど、ようやくジャンボ鶴田の一生が
しっかりした作品としてまとまったことを、とても嬉し
く思う次第。
・・・そして、関係者の皆様は続いて藤波辰爾の評伝リリー
スを検討して欲しい。猪木も馬場も、天龍も鶴田も、そ
して前田や長州でさえもしっかりした書籍が存在するの
に、藤波の作品が無い、というのは大問題。藤波さんご
本人が元気なうちに、是非!
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読んでもう一度試合が、観たいという気持ちと昔は昔という思いがありますね。
その時代にはその時代のプロレスがあります。
今のプロレスとは違う気がします。
ただ、もう少し長生きはして欲しかったとますね。
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鳴り物入りのデビュー、大物外国人とのタイトルマッチ、AWA世界王者としてのサーキット、インターから初代三冠王者。間違いなくスターであり、トップレスラーではあったが、現役時代はファンの声援を一身に集めるレスラーとは言えなかった。”プロレスに就職します”など、今では当たり前の考え方かもしれないが、レスラーの生き様を投影する当時のファンたちには凄さの表現力が不足しており、支持されなかった。天龍革命、超世代軍によって徐々に引き出されていったのも、立ちはだかる壁としての、ある意味ヒールとしての表現だった。そして突然の病による入院から第一線を退く。鶴田最強説の由縁はレスラーとしての歴史そのものだった。同世代の長州、藤波、天龍と異なる不世出のレスラーだった。と同時に、その生きざまはまさしくプロレスラーだった。
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かなり、早い時期から病気と戦っていたんですね。
欠場になる前の試合後インタビューでハルクホーガンと負けてもいいから戦いたいと言ったのが印象的に覚えています。
今、思えば、自分の身体を理解していたからあんな普段言わない発言をしたのかなあと思いました。
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ジャンボ鶴田について書いた伝記。
実際に大学で教わったものとしては思い入れもあり、幼少期からレスリングに転向してミュンヘン五輪にでたとき、そして全日本プロレスに就職してから引退するまで、余すところなく伝えており、とても良かった。