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戦争に使うものを武器だとすれば、日常品だったり犬や馬、情報に宗教、そもそも健康維持が大事だよねとか、戦争のための技術がやがて日常の生活を助ける発展となる。
平和とはなんだろう。
平和と戦争が二項対立するものと捉えるのは無理だろうという結論。
段々面倒臭くなった。
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本書は最後の一言にまとめられる。
「何よりもまず、私たち自身が武器であり、凶器だったのだ」
本書はまず、武器の定義を「直接、間接に敵の戦力低下を目的として使われる道具」であるとする。
原始の武器である投槍器から始まり、人は常に武器を改良してきた。
それは、例えば飛行機という発明品も、発明されてすぐに武器として使われるようになったり、
ネジの規格化も戦争において、すぐに銃火器を修繕できるためのモノであった。
そして、文化・宗教に至るまで全ては戦争の道具、つまり武器として役に立ってきた。
さらに、今後は情報が大きな武器となるのは言い古された事実である。
フェイクニュース、コンピュータウィルス、情報戦の時代においては、いかなる情報も武器化する。
すると、極論すると人こそが武器である。
武器と文化、戦争と平和、背反するそれらは常に表裏一体である。
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人類の歴史イコール武器の歴史、と言える。
平和を求めるとしても武器のことを理解しなければ歴史を語れない。また武器を放棄してもいけない。
武器の定義は相手の戦力を弱めることに資するモノ。情報、周辺科学、運送術、食糧など多岐にわたる。現代では情報が特に大事。
読了70分