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川内有緒さんには
いつもびっくりさせられる
単なる体験談などではなく
また予定調和などからは
ずっとぶっ飛んだところに
連れて行ってもらえる
川内有緒さんが出逢っていく
モノであれ、人であれ
なんと魅力あふれるものとして
描かれることでしょう
「目の見えない」白鳥さんの
なんとチャーミングなお人であることでしょう
20年来のご友人マイティさんの
なんとベスト・フレンドぶりであることでしょう
美術鑑賞が単なる鑑賞にとどまることなく
その観るという行為を通して
それぞれの言葉をやりとりすることが
「鑑賞」を飛び越えてしまって
人と人がより深く知り合っていく行為になってしまう
それって究極のコミュニケーションですよね
そのキーパーソンが「見えない」白鳥さんであること
美術鑑賞は好きなので
よく「一人」で行くのですが
なんだか自分の中で もう一つの見方が
発生してしまっている気がしてしまう
そんな一冊でありました
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目の見えない白鳥さんが、机をコツコツと叩いて「自分が存在してることを確認する」と話す場面が何か揺さぶられる。
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これは面白かった。
白鳥さんにとって美術館を楽しめたのは
美術館では一人の人間として過ごせるからなのかと思った。
今までの生活から自分は白鳥健二なのに
視覚障害者として接されてきた経験が多かったのだと思う。
居心地の良さは人間が人間としていられることなのだと思う。
切り分けされたジャンルや、くくりはなく
どんな人も、人間。
読みながらこの見方ができていない自分に気づかされた。
自分だって本のタイトルを見て
「え?目が見えないのに美術鑑賞?」と思って興味が湧いた。
でもそれは「視覚障害者はきっと○○だ。」という
思いっきりの偏見でしかなかった。
そして「視覚障害の方は他の感覚が敏感」という思いもあった。
中学校のときに授業の中で話を聞く機会があって
猛烈なスピードで再生された本の文章を聴いていたからだ。
でもそれは当時話を聞いていたその人だからできたことなのだ。
自分のものの見方の狭さに驚いた。
日本人は全員が相撲が好きと言われれば、
それは違うとすぐに考えられるのに
なぜだか、視覚障害は〜と言われたらそりゃそうだろうと思う自分が以前はいた。
世の中に視覚障害者という人は誰一人としていないのだ。
それは視覚障害者に限らず、すべてのことに言えること。
この世の中はやっぱりいのちだと思う。
誰一人として同じ人はいない。
だからカテゴライズされた眼鏡で物事を見ることは
結局はその人に接していない。
そういう人は「いまここ」に生きることもできない。
もっと自分もたくさんの人に出会いたいという思いと
もっとたくさんの人が小さいときからずっと
一緒にいるという空気を作りたいと思った。
なにかが「できる」という「能力」ばかりに価値を置いてきたことが、いまさらながら様々な形のひずみを日本社会に噴出させている。
このフレーズにもドキッとさせられた。
できる、できないすべてを受け止められる
環境だからこそ、やろう、挑戦しようと思えるのだよね。
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目から鱗のアート体験記。
川内さんの懐の深さに驚かされます。そして勉強になりました。
人との関わりあいかた,自分の存在,わかり合いたいという気持ち,「この世界でー笑いたいんですよ」しみじみ共感しました.
パンチの効いた表紙の絵も良かったです。
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一応大学で美術(と教育)を学んだ身なのに恥ずかしながら鑑賞について、特に現代アートの鑑賞って苦手でした。
でも、この本を読むとアートを通して今より少しだけ広い視野で世界を見れる気がしてきます。
読み終わったとき、きっと美術館に行きたくなってます!
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“当たり前だけど、四歳は忖度しない。 それは相手が盲人でも同じだ。 ナナオにとって白鳥さんは障害者でもヘルプを必要とするひとでもなく、ただそこにいるひとにすぎなかった。だから、いともあっさり「やだ」と言い放てる。”
“優しさや気遣いも、いきすぎてしまえば偏見や差別になる。
小学生のころからわたしたちは道徳の授業なんかで、困っているひとには優しくしましょう、などと教えられる。そこにあるのはもちろん良き意図なんだけど、あの「優しくしましょう」もまた、「助けるひと」「助けられるひと」「感謝するひと」「感謝されるひと」という関係の固定化や分断のスタート地点だったのかもしれない。
しかし、四、五歳といった幼い子どもたちは、そんなの関係ないもんね!という態度である。”(p.179)
“僕らはほかの誰にもなれない。ほかのひとの気持ちになんかなれないんですよ!なれないのに、なろうと思ってる気持ちの浅はかさだけがうすーく滑ってる、そういう社会なんですよ、いまの社会は。 だから気持ち悪いの!”(p.319)
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すごく楽しい。
高校の時のことを思い出す。
友達と美術展行ったり映画見たりライブいったり本読んだり…そうして、いっぱい喋って喋って過ごした。
大人になってそんな時間が持てていない。
白鳥さん、川内さん、マイティさん…
見える、見えないではなくそれぞれの関係性に強く心惹かれた。
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目の見えない人とアートを見にいくなんてどんな体験なんだろう。目の見えない人はどのようにアートを感じるのだろうという興味から始まったが、結局のところ目が見える見えないというのは、目が見えるか見えないかだけの違いなのだろう。
とはいえ、それは中途失明ではなく生まれつき目が見えない白鳥さんの場合である。
私たちは、生まれつき目が見えるということと、生まれつき目が見えないということの両方を経験することはできない。
もちろん、目が見えない方が危険な場面や目が見えていたら簡単にできることもそうはいかない場合もあるだろう。
けれど、それは目が見える同士でもある事をできる人とできない人がいるのと変わらないのかもしれない。
私たちは、目が見えるというところからスタートして物事を考えるから、そこに大きな差異があるように思うのかもしれない。
白鳥さんが「手術とかであなたの目が見えるようになりますって言われたら、見えるようになりたいですか」という質問に「俺はなりたくないね。小さいころから目が見えないままでやってきて、いまさら見えるようになったら余計大変じゃないかな!」(p304)と答えたのが印象的だった。きっとその言葉に嘘偽りはないだろう。
もちろん、同じように生まれつき目が見えない人が皆白鳥さんと同じように思うわけでないだろう。でも、本書に出てくる白鳥さんを通して、今まで目の見えない人に対して思っていたのとはだいぶ違う印象を持った。
白鳥さんは、単純にアートを見るのが好きなのではなく、アートを通して人と会話をすることが好きなのだ。
美術館が好きなのだ。
そして、彼自身が写真家になったり、美術館での展示に加わったり、アートな生き方をしているなと思う。
別に積極的にアーティストになろうとしているわけではなく、結果としてのアーティストだ。
本書に出てくるアートに、私自身も触発された。
誰でもアーティストになれるし、誰でも表現者である。
いろんな形で自身や自身の考えを表現するのは素晴らしいことだ。
そして、アートを見に美術館へいきたくなった。
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全盲の美術鑑賞者、白鳥さんとアートを巡る旅を始めたら、新しい世界が見えてきた❗
自分も参加しているかのようなワクワクが伝わる本‼️
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著者が全盲の「白鳥さん」と一緒にさまざまな美術館をめぐり、そこでどんな作品をどう鑑賞したか、鑑賞の前後に何が起きたかを綴った本。作品写真もたくさん掲載されており、自分も一緒に作品を見ているような気分になれた。
目が見えない人は苦労することが多いんだろう、と当たり前に思っていた。一方で私たちにはない特別な能力も持っているんだろうと思っていた。一部ではその通りなのかもしれないし、サポートできることがあるならしたいと思う。でも、目の見えない人の生活にあるのは特別じゃなくて日常だ。その人にとっての日常をみんな普通に生きている。そういう当たり前のことが、いままでよくわかっていなかった。
私には目の見えない人のことはわからない。目の見えない人に限らず、自分以外のすべての人に対してそうだ。その人がこれまでに何を経験してきて、いま何をどう感じているのか、何を見て何を聞いて何を考えているのか、本当の意味でわかることなんてできない。
わからなくてもいいから話を聞きたいと思う。本を読んで学びたいと思う。この世界には私の知らないことが山ほどあって、すべてを理解することなんて絶対にできないのだと知るために、もっと知りたい。わからないことをわからないまま、それでも想像することを諦めずに、寄り添うための方法を知りたい。
この本を読んでから美術館に行き、いま私の隣に白鳥さんが立っていたら、と想像した。私だったらどう説明するか考えながら作品を鑑賞すると、確かに解像度は上がるし思考も深まる。でも、著者が白鳥さんと一緒に作品を見るのはそのためだけではなかった。もっと根本的な理由があるのだ。
これまで美術館には一人で行きたい派だったけど、誰かと一緒に美術館賞をするのも楽しいかもしれないな、と思った一冊だった。
【読んだ目的・理由】アートの見方について理解が深まりそうだと思ったから、ラジオチャリティーミュージックソンを聴いて視覚障がい者の方への理解をもっと深めたいと思ったから
【入手経路】買った
【詳細評価】☆4.6
【一番好きな表現】見えないひとと見えるひとが一緒になって作品を見ることのゴールは、作品イメージをシンクロナイズさせることではない。生きた言葉を足がかりにしながら、見えるもの、見えないもの、わかること、わからないこと、そのすべてをひっくるめて「対話」という旅路を共有することだ。(本文から引用)
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とても読み応えがあって、軽い感じの文調の中に重いテーマがあって、そのバランスもとてもよかった。色々考えさせられるし、そう気づかせてくれる。
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色んな人と関わって色んな世界を知ること
は楽しいことだなー。
美術館は1人で行くのも好きだけど、
この本読むと誰かと色んな話をしながら
美術鑑賞したくなる。
人はそれぞれ感じるものも考え方も違うから
わかり合えなくても知る事は大事だなーと思った。
この本に出てきたマリーナアブラモヴィッチさんのパフォーマンスが衝撃だった。
夢の家も、リズム0も。。
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内容はタイトルの通り、視覚障害のある白鳥さんと、ノンフィクション作家の著者が一緒に美術館に行って展覧会を観た軌跡。どうやって目の見えない方が絵を見るんだろう?と不思議だったが、「見えている」人たちが目の前の美術品について見えるもの、思うことを言葉にして喋っているのを白鳥さんは聴いている。作品を前にして、そこにいる見えている人も見えない人もあーだこーだとおしゃべりする。そうすると、「見えている」と思っている人たちも、気づかなかったことに気づいたり、新たな発見があったりする。
美術館に行くと「喋ってはいけない」とか、「正しい見方」「絵についての知識」がないとダメなのではないか、と思ってしまいがちだが、白鳥さんと一緒に絵を見ることでそういったものから解放されていくのではないか。その楽しそうな雰囲気に惹かれる。白鳥さんの行動力や人柄も素敵だ。
最後の方では、著者が白鳥さんとの経験を映画にする過程が描かれている。その中で、白鳥さんと親交のある人たちにインタビューをするのだが、その中の1人が「絵を見る活動で絵を見ようとなんかしていない。ただ、そこにいるひとたちと、いたい」「この世界で笑いたいだけ」と言う。また白鳥さんの時間、過去、記憶についての考え方についても触れられる。「時間には抗えないけど、その時を過ごしたという思いは宝物になる」。私たちは写真や映像で過去を振り返ることに慣れ、そこに依存してしまっている部分もあるが、白鳥さんの「いま、ここ」を愛おしむ心から、その瞬間瞬間を大切にすることについて改めて考えさせられる。
とはいえ、この本の魅力はやはり、みんなで美術作品を見ながらおしゃべりをしている様子が楽しめる、ということだと思う。障害のある方との関わりの中で著者が考えたことも違和感なく、自然と織り込まれているので読みやすい。
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目の見えない白鳥さんと美術館に行き、会話を通じて作品を伝えていくという試み。すでにワークショップとして取り組まれている美術館もあるそう。
回を重ねるごとに、著者は自分の中の誤解や差別意識、優生思想などについて考えを深めていく。
白鳥さんが、自分の存在が希薄、と告白するシーンがある。見る/見られることによって、私たちは社会的に存在しているのかもしれない。人の目が気になる、というのもそういうことなのかも。
社会に、世界に存在するってどういうことだろう、と、考えると、足元がふわふわしてくるような、何ひとつ確かなものなどないような気持ちになる。
それから、同じ作品を複数の目の見える人が見たときに、そこから受け取るものや、感じるものはまちまちで、それを言葉にして伝え合うことの面白さがこの本には書かれていたけれど、裏返してみれば私たちはそれぞれ自分以外の感覚で物事を捉えることは、やはりできないのだと突きつけられる。白鳥さんの友人のホシノさんの言うように、私たちは他の誰かにはなれない。
美術作品は、その人がそれまでに見てきたものや経験してきたことをベースに鑑賞するのだと本書には書かれているが、それは読書でも同じことが言える。
例えばこの本だって、最大公約数的な感想はあるにせよ、読んだ人によって感銘を受ける箇所や、感想は違ってくる。
文章で書かれたものすら読み取り方は十人十色だとしたら、美術作品は言うに及ばない。
美術館というのは、作品とのコミニケーションの場であるだけでなく、見る人どうしのコミュニケーションの場でもあるのだな。
白鳥さんは美術作品が好き、という以上に、人とコミニュケーションを取ることが好きなのだろう。
ごちゃごちゃ書いたけれど、とりあえずいま、なんでもいいので(なんでもよくはない)美術館に行きたいです。
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アートワークショップに参加してみたくなった
友達がみんな素敵で「そのことは自分の地位や財産よりも自慢できることだ」って韓国人の人が言ってた