言葉によるランクづけ
2022/03/21 18:19
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かずさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
題名からは悪口等の言葉を具体的に取り上げその背景を考えているのか。と思うが内容的には個々の言葉を取り上げて書かれているのではなく言語哲学の入門書。言語哲学は言葉の哲学。言葉自体の中身を検討するとし第1章から6章あたりまでは言語哲学の概説書。7章から表題の本筋か、興味が一段と増した。悪口やヘイトは本来は平等な人間を話す側がランク付けしていると。後半の章のボリュームがもっと欲しかった。
投稿元:
レビューを見る
業界人が注目しているとても優秀な先生。悪口の哲学入門かと思っていたが、悪口をネタにした言語哲学入門の色の方が強い。前半はちょっと苦しくかったが、第5章あたりからおもしろくなる。「低いランクづけ」あるいは「格下げ」としての悪口・ヘイトスピーチというアイディアはおもしろいと思うが(英語圏の一部フェミニストが採用したりしていたやつだ)、私はあんまり納得しない。そのうちブログ程度書くかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
第8章のヘイトスピーチに関する議論をするため、それまでの章で言語哲学的道具立てを整えている。そんな作りの本。第3-4章辺りがややハード。言語学を学ぶモチベーションのある学生さんには良い本かもしれない。第8章については、なるほどと思った。
投稿元:
レビューを見る
言葉のもつ表の意味と裏の意味を知った。この分野は語用論という。実際の言葉の形から、ではどういう意味をもつのかを研究する。
京都の人が「えらいいうまい演奏ですなあ」といった場合、それは演奏を誉めているのではなく、うるさいからピアノを引くのをやめろ、という含みをもつ。このように言葉にはその言葉の裏にある「含み」をもつものがある。
自分は正面から言葉の意味を受け取ってしまうタイプである。この本のなかで言葉の表の意味と裏の意味を取り上げている中で、裏の意味がすぐにわからないことが多々あった。
言語行為論
言葉を発するのは純粋な情報伝達手段だけではなく、行為のひとつである。これを言語行為論という。
(1) 掃除は一年担当だよ(先輩が一年生に向かって)
この場合、文の意味は掃除をするのは一年生であるという真理的条件文(真か偽が導ける文)であるが、その含みは「お前が掃除しろよ」である。
この言葉は相手にこういう行動をとれと命令している行為なのだ。
ヘイトスピーチの章で、いわゆる「言葉狩り」を批判している。
差別的な歴史をもつ言葉の使用により共有基盤(両者が了解している前提条件)がアップデートされる。特定の社会集団の序列・ランキングを下げる効果がある。「お前タバコやめたんだ」という言葉にはタバコを吸っていたという前提条件が含まれる。このようにいうことで暗黙のうちに共有基盤がタバコを吸っていたという事実があったとしてアップデートされる。
そういった言葉の使用は憎悪のもとであり使用の禁止を検討すべきである、という。
私は言葉狩りには反対の立場であった。なぜなら言葉というのは、今ここに記している通り、自分の考えを伝えるものであり書き留めていく技術なのである。
その言葉を制限されるのは自分の思考・表現を制限されるようで、かなりの苦痛である。
それを踏まえて言葉狩りには反対の立場であったが、言語行為論を知り発話は行為ならば、集団を傷つける言葉は暴力行為になる。そうならば規制されて当然だろう。
投稿元:
レビューを見る
あまりにも多くの言説が流布するこの時代において、いわゆる”悪口”ーヘイトスピーチなどのように極めて現代的なものも含めーの流布もエスカレートしているように感じられる。では”悪口”とは何なのか?、どこまでがセーフでどこからがグレーなのか、などシンプルな疑問を言語哲学の理論を元に明らかにして、言語哲学という学問の面白さを知ってほしい、という著者の思いからまとめられた新書。
紹介される理論は、意味の外在論・内在論や言語行為論(Speech Act)などかなりソリッドなものであるが、著者特有の非常にユーモラスかつ難解な概念もシンプルになるべく伝えようという姿勢も相まって楽しく読み進めることができる。そして、”悪口”を糾弾されたときに往々にして言い訳として使われる「いや、そういうつもりはなかったんです」という言明が、言語哲学の理論を用いることでなぜナンセンスなのか、など、一種の学問の実践ともいえる知的な面白さがある。
投稿元:
レビューを見る
タイトル勝ち。悪口の言語哲学じゃ売れないよね。基礎概念を一通り追っかけることができる。ダークサイドというほどダークかというと、そこはそれ。よくできた入門書。これ読んでから教科書読むとか、そういう感じ。
投稿元:
レビューを見る
「悪い」言語「哲学」。それはまたどういうことだろう?タイトルにひかれて読んだら、とても興味深い内容で、日頃モヤモヤしていることの霧が晴れた気がした。
恥ずかしながら、言語哲学という学問分野があることを、これまで知らなかった。筆者は「言語のダークサイドに立ち向かう際に、言語哲学が必ず役に立ちます」と言う。言語学は「こうなっている」と事実関係を明らかにするが、そこに、歴史的にものごとの善悪について考えるための道具を提供してきた哲学をプラスすることで、「これはよくない」「こうすべきだ」というような、価値についての判断にまで到達することができるのだ、と。なるほど~。
具体的に取り上げられているのは、悪口や嘘、デカイ主語、ヘイトスピーチなど。どれも切り口が新鮮で、とても面白かった。「入門」とある通り、学問的探求の入口を示す程度にとどめてあるので読みやすく、同時に、重ねられてきた研究の成果としての信頼感があると思った。以下は覚え書き。
・ことばの評価はタイプ単位ではなく、トークン単位で行うべきもの。どんな場で、どんな文脈で使われたかで、同じことばが違う意味を持つ。
・「言語行為」という考え方。あることを言うことそのものが行為である。「○○とは言ったけどからかったりしていない」という言い訳はできない。
・「ことばは情報伝達の道具」という考え方の誤り。誹謗中傷をしながら「本当のことを言っているだけ」という場合、単に情報(本当のこと)を伝えたいだけではないはずで、これも言語行為。
・悪口や不適切な発言があったとき、単にどの表現タイプを使った、使ってないということだけに注意をそらされてはいけない。また、「どういうつもりだったか」という答えの出しようのない問いは煙幕となる。
・総称文(「男は~だ」「日本人は~だ」)は、単に「そうでない人もいるからよくない」のではなく、その集団が「本質的に」その性質を備えていると主張し、ステレオタイプや偏見を表明している可能性があるから、そのことに自覚的になるべき。
・哲学者のミルによる言論の自由擁護の論証では、真か偽となる「意見」を提示する自由が擁護される。意見の提示ではない加害行為を、言論と見なして擁護する必要はない。
・哲学者のヒラリー・パトナムの言葉。「ことばを一種の道具と見なすとしても、それがハンマーやねじ回しのような一人で使う道具ばかりでなく、複数の人間が関わる蒸気船のようなものである可能性も考慮しなければならない」
・敬語などが持つ含意を私たちは自由に決められない。差別的語彙が持つ含意も、私たちは自由に決められない。
「差別的発言が、同列に位置づけられるべき集団を低くランクづけするような効果を持つならば、それは話者の意図と無関係に何らかの制裁の対象となるべきでしょう。本当のところは、深層心理では、差別的意識がないとかあるとか、そういったことは、表現の公共的使用とは無関係なのです」
・「ヘイトスピーチの可能な規制や、人権を侵害する言語使用を批判するとき、私たちは蒸気船やタンカーの��船技術・運行規制・免許制度などについて話をしているわけです。『タンカーの操縦に規則なんかいらない、大事なのは安全に運転しようとするそれぞれの意識だ。ほっといてくれ』などと言われて納得する人はいないでしょう。ところが、言語については、『ことばよりも個人の意識が大事だ』のような見解がしばしば提示されます。少なくとも、私たちは、言語がときとして、大事故を引き起こすタンカーや航空機のように、人を傷つけ、社会を壊すことがあることを忘れてはならないでしょう」
以前テレビで、民族学校に街宣車が乗りつけ、「○○を叩き出せ!」「○○を殺せ!」と大音量で叫び、学校のなかにいた子どもたちが「怖い-」と泣いてるのを見た。憤りで体が震えた(本当に)。このとき以来、「ヘイトスピーチ」は「ヘイト」でも「スピーチ」でもないと思っている。恫喝や脅迫は犯罪だし、あれは絶対に「スピーチ」なんてものではない。「言論」が尊重されるのは権力に対するときであり、「何を言ってもいい」わけではない。本書のような論考はとても大事だと思うけど、現実には、そんなもの屁とも思わない人たちがたくさんいることを思うと、もどかしくてたまらなくなる。
投稿元:
レビューを見る
悪口とはなんなのか?に興味を持ち読み始める。また事実だから言っても良い論法の人に出会ったため、上手く何故それが悪いかを説明するためのヒントが無いか探そうという目的での読書。
図があるともっと入りやすかったかも…
読み終えた感想
「ヤツの尻尾を掴んだぞ!」
例や説明に使うモノが古く(結構重要な役割を持つラッキーマンはまだいいけど横山ホットブラザーズはちょっと…)著者のプロフィールを見て納得、自分よりちょい上の方でした。
それも含めて面白かった。
読み終えたけど、再度要素だけ抜き出して図示しておくことにする。
投稿元:
レビューを見る
悪口は人を傷つけ、また、人にも嫌われる。これだけで悪口を言わない理由としては十分だと思う。
ただ、それだけではなく、悪口には、真偽とは関係なく相手のランクをさげることに繋がると。なるほど、その通りだと思った。言葉には公共性があり、行為としての責任も伴うとは思っていたが。
投稿元:
レビューを見る
一般の人の声(偏見というかほぼ私)、筆者の声、ナレーション(私の声)の3視点構成で解説してみようと思う。
一言でいうと、悪い言語=悪口について言語哲学的に考えてみましょう!という本。
まずタイトルからして、一般の人から突っ込みが入る。
一般の人「でたでた専門用語。『言語哲学』とか分けわからんこと言っちゃって。学者さんは、簡単なことでも無理に小難しくしちゃうから困っちゃうよ。私たち、日本語普段から使ってるし、日本語の専門家みたいなもんでしょ。悪口についても、言語哲学?なんか学ばなくても理解できてるし。」
著者「では、聞きますが、そもそも悪口って、いったい何ですか?」
一般の人「簡単簡単、悪口=人を傷つける言葉でしょ?」
筆者「確かに間違ってはいないですが、不十分です。『人を傷つける言葉』であることは、『悪口』であることの必要条件ではないし、十分条件でもありません。」
〇人を傷つける言葉 ↚ 悪口
まず、『人を傷つける言葉』であることは、『悪口』であることの、必要条件ではないということ。日常語に言い換えると、『悪口』がいつも必ず『人傷つける言葉』ではないということを、一般的な感覚で捉えるために、次の例え話を紹介している。尚、これはあくまで理解を促進することだけを目的とした「お話し」に過ぎず、結論の正当性を強化する根拠ではないことに注意したい。この「お話し」を、根拠だと勘違いして反論することはいくらでもできる。しかしそんなことをしても得られるものは何もなく、時間を無駄にするだけなのでやめよう。
例え話:メンタル最強浅草さん
浅草さんはどんな悪口を言っても絶対に傷つかない人です。そんな彼のもとに、性格が悪いAさんがやってきて、言いたいこと(お前は下の下の人間だ。死んだ方がよい。生きてる価値なし。自殺しちゃえ、などなど)を好き勝手にいいます。しかし、浅草さんは全く傷つきませんでした。
筆者:「この場合、Aさんが言ったことは、浅草さんを傷つけていません。『人を傷つける言葉』が『悪口』の必要条件であれば、Aさんが言ったことは、悪口ではない、ということになります。しかし、みなさんの大半はそう思わないはずです。つまり一般の感覚的な理解においても、『人を傷つける言葉』であることは、『悪口』であることの、必要条件ではないのです。」
〇人を傷つける言葉 ↛ 悪口
次に、『人を傷つける言葉』であることは、『悪口』であることの、十分条件ではないということ。日常語に言い換えると、『人傷つける言葉』がいつも必ず『悪口』ではないということを、一般的な感覚で捉えるために、次の例え話を紹介する(著者のが微妙だったので自作)。
例え話:可愛い恐怖症のウサギちゃん
ウサギちゃんは、可愛いという単語を聞くとトラウマを連想して必ず傷ついてしまいます。そんなことを知らないBさんがウサギちゃんの容姿を褒めようと「可愛いね!」と言いました。その言葉に傷ついたウサギちゃんは、泣き出してしまいました。
筆者「この場合、Bさんが言ったことは、ウサギちゃんを傷つけました。『人を傷つける言葉』であることは、『悪口』であることの、十分条件だとすると、Bさんの言った『可愛い!』は悪口だということになります。しかし、みなさんそうはおもいませんよね。なので、感覚的にも『人を傷つける言葉』であることは、『悪口』であることの、十分条件ではないのです」
筆者「以上より、『人を傷つける言葉』であることは、『悪口』であることの必要条件ではないし、十分条件でもない、ということに納得して頂けましたでしょうか。納得といっても、あくまで感覚的な範囲内での話ですが。」
一般の人「ふんわりとは分かったけど、じゃあどうすんだよ? 何が悪口の必要十分条件なのか、どうやって見分ければいいんだよ?」
筆者「言語哲学という道具を使えばいいのです。悪口について考えるとき、まずは言葉の中身がどうゆう構造になっているのか、考える必要があります。その時に、役に立つ道具が『言語学』です。次に、なぜその構造だと悪いのか、も考える必要があります。その時に役に立つ道具が『哲学』です。だから、悪口について考える時には、言語学と哲学をくっつけた『言語哲学』という道具を使うことが有効です。」
以上が一章までの内容。
しかし、道具を使うためには、その道具に対して、仕様や使い方を知っておく必要がある。その道具(言語哲学)について、実践を交えて浅く広く解説しているのが、二章―八章(予測)。この部分に関しては専門的な話が多く、整理も理解もできてないので省略(理解でき次第追記する予定)。
終わり部分を先に書いておく。
筆者の結論「『平等の理念上あるべきでない、序列関係、上下関係を作り出したり、維持したりする機能(構造?)をもつ言葉』であることが、『悪口』の必要十分条件である。」
しかし、本書の最も大事なことは、上の筆者の結論に納得することではない。大事なポイントは以下の2点。
① 本書で学んだ言語哲学という道具を使って、悪口の必要十分条件を自分の言葉で、設定できること。
② ①で設定した、条件を基準に、実生活で悪口かどうか疑わしい事例について、判断できるようになること。具体例としては、アスカがシンジに言い放った「あんたバカぁ?」は悪口なのか、悪口じゃないのか。また、最近三男である私が母に言われた「三男は長女より下」は悪口なのか、どうなのか、などなど。
感想
まだ軽くしか読んでないが、全く興味がなかった言語哲学に興味がわいてくる、面白い本だった。もっと言語哲学を学びたい人向けの、ブックガイドもついているので、入門書として当たりなのでは。
投稿元:
レビューを見る
帯に書いてある、「どこまでがセーフで、どこからがダメなのか」ということに興味を持ち、久しぶりに衝動買いをした。入門編というタイトルの割に、私にとっては少し難解に感じ、理解できたかというと自信はない。言葉というのは、捉えることが難しく、AIでもなかなか追いついて来られない領域ではあると思うが、素人ながら、ここまで深く考える必要があるのかと疑問に思った。
投稿元:
レビューを見る
面白い!けど眠くなるw
本来平等であるはずの人間にランクをつけてモノを言う事が悪口。言葉はタンカーのように大きなもの、個人の意図や感覚で好き勝手されたらみんなに迷惑。この2点すっきりした
投稿元:
レビューを見る
「悪口」について考えることを通して言語哲学に触れようと
いう本。発想はいいと思うし面白い本であるのは確かなの
だが、途中完全に「悪い」が抜けた「言語哲学入門」に
なっている気がする。そこがやや難しく損しているのでは
ないかな。言葉ほど自由で言葉ほど不自由なものはない。
投稿元:
レビューを見る
入門書には2種類あって、浅く広くか、特定の分野について取り上げるか、のどちらかである。本書は悪口という切り口を掲げながら浅く広くというとても中途半端な構成になっている。鎌倉時代や中世騎士を例に取りながら、人は全て平等という西欧近代に特殊な価値観を前提に悪口を分析してしまうのは著者の歴史に関する関心の薄さか紙幅の不足かいずれにしてもあまりに議論が狭く浅く消化不良である。
投稿元:
レビューを見る
タイトルに惹かれて読みました。「悪口」という言語について考えることによって、「言語」について知識や世界の成り立ち(哲学的関心)にまで踏み込んでいる本。この本を読んで、言語を使うことと、「言語」を理解しすることは全く違うものだということがよくわかりました。誰かを罵るという言語行為の中心的機能は、その人物を自分より低くランク付けすること。そしてランキングの存在は暴力や差別の「正当化」に繋がる。もしある単語が、社会構造と結びつくとこにより、差別的含意を持っているのならば、差別的単語を使用した時点で、差別的な構造の維持に貢献していることになる。やや難しいところもありましたが、何が「悪口」でどういう時に人を傷つけるのかがよくわかりました。より詳しく知りたい人向けに巻末にブックリストも掲載。