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2022/07/03 06:53
投稿元:
第1章 神話としての古事記・日本書紀
神話の持つ意味
同じ時期に作られた古事記と日本書紀
古事記と日本書紀の本質的な違い
第2章 天地開闢の神話
神話で描かれる宇宙創造
一神教と日本の神話における世界の始まりの地ギア
神話に現れる日本の宗教観
第3章 アマテラスとスサノオ
第4章 古事記にしかない出雲神話
第5章 国譲りと天孫降臨の神話
第6章 神武天皇からの天皇の物語
第7章 ヤマトタケルの物語
第8章 現代に蘇る古事記・日本書紀
古事記の本格的な研究がはじまったのは江戸時代から
起こる出来事はすべて神の心にもとづくという考え方
神話を絶対視した本居宣長
神話が現代にも持ち続ける役割
2023/03/19 10:14
投稿元:
p27 712年 古事記 720年 日本書紀
古事記 天武天皇の勅語をうけた稗田阿礼が誦習し、それを太安万侶に撰録させ、712年に元明天皇に献上
どちらも第40第天皇の天武天皇が編纂を命じた
p35 和習はあっても漢文で日本書紀が漢文で綴られていたのは、読者として日本人だけでなく、中国や朝鮮の人たちが想定されていた可能性がある
p41 古事記は神話に詳しく、日本書紀は代々の天皇の事績に詳しい
p72 日本書紀の主役はアマテラスとスサノオ
p74 イザナギが左目を洗った時アマテラスが、右目を洗ったときにツクヨミノミコトが、さらに鼻を洗ったときにスサノオが生まれた
p90 八俣の大蛇の尾を切ると、太刀が出てきたので事情をアマテラスに告げ、それを献上した。それが三種の神器の一つとなる草薙の太刀
p92 渡来人が祀っていた神の一つ、八幡の神
p93 スサノオは様々な神社で祀られているが、代表的なのが京都の八坂神社
p127 タケミナカタは逃げして、しなののくに(科野国)のスワコ(州和の海)にいってしまった
p137 ウミサチヒコとヤマサチヒコ 浦島太郎
p160 中世には朝廷が奉幣を捧げる対象 二十二社
p180 ヤマトタケル 景行天皇の子
p203 日本書紀は、和習と呼ばれる日本独特の癖や用法が見られるものの、一応は正規の漢文で書かれていた。
ということは漢文の知識がある人間なら、日本書紀がよめたとうことである
p218 八紘之基柱(あめつちのもとはしら) 宮崎市平和台公園の平和の塔
2023/09/29 20:57
投稿元:
我々の生活は意識するしないに関わらず多くの日本の神々に関する行事や場所が溢れている。神社はわかりやすく見える場所だから、多くの日本人は一度は訪れて手を叩き、お願い事をした経験を持つだろう。実際はその神社でさえ、どんな神様が祀られているか正確に知っている人は少ない。天皇陛下が皇居に住まわれているのも誰でも知っているが、何故一般の人とは違い皇居にいるか、そもそもどの様な人々がどの様な経緯でそこにいるか意識している人は少ないと思う。スマートフォン上ではオオクニヌシノミコト、スサノオやアマテラスオオミカミ、クシナダヒメといったキャラクターは多くのゲームにキャラクターとして登場してくる。実は天皇家はそこから代々続く系譜とされるが、ゲームに登場する様な漫画じみたキャラクターと天皇陛下のお姿が簡単には紐づかない。身近なところに、そしてゲームにも登場してくるそうした日本の神々。その存在は古く700年代に書かれた「古事記」と「日本書紀」から始まっている。日本史で名前ぐらいは覚えているだろうが、中身まで読んだ人は多くないと思う。国家と呼ばれる概念が登場してくると、当然その成り立ち、歴史が重要になる。時には異国に対する説明が必要だったり、権威を現す手段にも使われる。古事記や日本書紀はその様な日本が国家としていよいよ形作られる中で、時の天武天皇の頃に編纂されたものとされる。古事記も日本書紀も内容としては歴史として重なる部分がありながら、古事記は国内、日本書紀は対外的に見せることを意識した内容となっているようだ。前者が仮名を用いたものであるのに対して、後者は漢文のみで書かれており、強大な力を持つ中国に対して献上若しくは読ませる可能性がある事を示唆する。
内容としては前述した様な天照大御神や須佐之男命など正に「神がかり的な」力を持つ神々が登場し、イザナギ・イザナミの日本を作るための行為などが描かれていく。勿論現代の様に科学も物理学も発展した世界から見れば、とてもその様な過程で日本という土地や国が出来るとは説明できないから、正に作られた内容が含まれるのは間違いない。とは言えユダヤ教やキリスト教の経典にも説明のつかない物語は沢山登場するし、古事記や日本書紀がそうしたあり得ない物語であってもおかしくは無い。寧ろ、八百万の神々を祀る世界にそうした経典的なものが存在する方が普通だ。
本書はその様な世界観から日本の国が成り立ち、天皇が生まれていく過程である古事記・日本書紀の内容をわかりやすく説明し、タイトル通り教養として知っておくには便利な書物だ。一介のビジネスマンならキリスト教やイスラム教など世界の五代宗教に加えて、先ずは日本が何物かを海外の友人に伝えるために知っておく必要がある。
入門書としては非常にわかりやすく、新書サイズは1時間あれば読めるので、忙しいビジネスマン、明日外国人と話さなければならない学生にもぴったりである。
2023/12/11 08:49
投稿元:
957
これにも書いてあったけど、インド神話とかは未だに国民に読まれてて大人気だし、多分欧州に生まれてギリシャ神話読んでない人居ないじゃん。だから普通自国の神話って授業で読む機会があってもいいはずだけど、日本は無いよね。理由は日教組が反日だからだろうなと思ってる。
古事記日本書紀読んでて思うけど、神話と繋がってる存在が居るなんて世界でも日本だけだよね。平和な島国の成せた技なのかもしれないけど、それにしても凄いことだよね。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)
島田裕巳
1953年東京生まれ。作家・宗教学者、東京女子大学・東京通信大学非常勤講師。1976年東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1984年同博士課程修了(宗教学専攻)。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を経て、現職。著書に『ほんとうの親鸞』『「日本人の神」入門』(以上、講談社現代新書)、『創価学会』『世界の宗教がざっくりわかる』(以上、新潮新書)、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『葬式は、要らない』 (以上、幻冬舎新書)、『0葬』(集英社)、『教養として学んでおきたい仏教』『教養として学んでおきたい神社』(以上、マイナビ新書)などがある。
古事記は、全体が一つの一貫した物語として語られている。歴史物語の形をとっているわけである。 それに対して、日本書紀の場合には、本文だけで構成されるのではなく、「一書に 曰く」という形で、別の伝承についても記載されている。しかも、それがいくつもあげられている。もっとも多いのは、神生みの部分で、一書の数は 11 にも及ぶ。ただし、神武天皇以降のことになると、「一書に曰く」という形で別の伝承が紹介されることは少なくなる。
こうした点で、日本書紀は、歴史物語であるとともに、学術書のような形をとっているとも言える。物語の展開とともに、そこに記されたことがいかに正確なものであるかを示そうとしているわけだ。逆に、物語として読むには適していないとも言える。
使われる文体も異なっている。 日本書紀は基本的に漢文である。漢文は、漢字を用いてつづられた中国の古い時代の文語体で、日本でも公の文章は漢文でつづられてきた。
古事記の序に書かれていることが真実であるなら、それは天皇の命令によって編纂がはじまったもので、天皇に献上されている。つまり、古事記は天皇のために作られたと言える。そこには、天皇の権力、あるいは権威のもとがどこにあるのかが示されている。天皇には、そうした歴史観を持つことが必要であり、そのために古事記は作られたのかもしれない。正史のなかで古事記のことがふれられていないのも、古事記が天皇にとって、あるいは天皇家にとって私的なものであったからかもしれない。
簡単に言えば、古事記は神話に詳しく、日本書紀は代々の天皇の事績に詳しいということになる。そこに、古事記と日本書紀の性格の本質的な違いが示されているとも言える。
日本書紀は、神話を語ることが主たる目的ではなく、代々の天皇の事績に��いて述べることが中心である。神話の部分で、「一書に曰く」という形で異なる伝承が紹介されているのも、それを編纂する側に、神話と歴史とを区別しようとする意識が働いていたからだろう。 日本書紀において、神話として記されたことは、あくまで天皇が神につらなる存在であることを示すためであり、天皇による支配の正統性の根拠を明らかにすることに主眼がおかれているのである。 古事記と日本書紀は、記紀という形で一括して扱われることが多い。だが、その内容やあり方にはかなりの相違がある。神話に限っても、そこで語られる内容には大きな違いがある。古事記や日本書紀を読み進めていく際には、その点について注意する必要がある。
日本は中国から多くのことを学んできたが、神話ということになると、中国の神話はまとまったものにはなっていない。伝えられていることは断片的であり、そのため、中国は「神話なき国」とも呼ばれる。 朝鮮の場合には、「三国史記」や「三国遺事」に神話が記されているが、建国神話に限られ、創世神話は語られていない。創世神話にあたるようなことは、シャーマンによって口伝えされてきたものの、書物にまとめられることではなかった。 その点で、日本の神話は特異なものと言える。私たちが、世界でも珍しい日本の神話を学べるということは、かなり特別なことかもしれないのである。
うまく子が生めなかったため、二柱の神は天つ神に意見を求めるが、女が先に言ったのがよくないということになる。そこでイザナギの方が最初に相手を褒め、それで交わると、淡路島と四国からはじまって、次々と島を生んでいく。そのなかには、九州や壱岐、対馬、佐渡などが含まれた。そして、最後に「 大倭豊秋津島」が生まれるが、これが本州のことである。それで、八つの島からなる「 大八島国」が成立することとなった。日本が誕生したのだ。
イザナギは、なんとかこの世と黄泉国の境にある黄泉比良坂までたどりつき、岩でその入口を塞いでしまう。 興味深いのは、この黄泉比良坂がどこなのかが特定されていることである。それが、「はじめに」でもふれた出雲国の伊賦夜坂であるとされる。
したがって、性の営みが罪深い行為であるとはされていない。そこでも、日本人の宗教観は、キリスト教とは大きく異なるのである。
に述べる天岩戸隠れのエピソードが 日蝕 にもとづくものと考えられることから、太陽神としてとらえられている。世界の神話においてはどこでも、ギリシアのヘーリオスやアポローン、エジプトのラーやアメンのように太陽神が存在する。その点で、日本の神話の世界に太陽神が登場するのは自然なことである。 太陽と対比されるのが月で、月の神もギリシアのアルテミスに代表されるように世界各地で信仰の対象になっている。
そこでスサノオは、ヒメと結婚することを条件に、八俣の大蛇を退治することを約束する。スサノオは、クシナダヒメをその名が示すように櫛に変え、頭に挿すと、強い酒を用意させ、それを八つの酒船に注がせる。 すると八俣の大蛇は、八つある頭がそれぞれの酒船から酒を飲み、酔いつぶれてしまう。すかさずスサノオは、帯びていた十拳剣で八俣の大蛇を切り刻んでしまう。そして、八俣の大蛇の尾を切ると、���刀が出てきたので、事情をアマテラスに告げ、それを献上した。それが、三種の神器の一つとなる草薙の大刀であった。
小説家の芥川龍之介には、この古事記の物語に取材した「老いたる素戔嗚尊」という作品がある
令和二年(二〇二〇)は、わが国最古の正史『日本書紀』が編纂された養老四年(七二〇)から一三〇〇年という記念すべき年です。その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシ(オオナムチ)は「 幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祀の世界を司るとされています。一方で、大和の地において天皇は「 顕」、すなわち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされています。
ニニギは天降りする際に、アマノコヤネノミコト(天児屋命)、フトダマノミコト(布刀玉命)、アメノウズメ、イシコリドメノミコト(伊斯許理度売命)、タマオヤノミコト(玉祖命)を伴っていくが、さらに、珠に鏡、そして草剣を携えていた。これが皇室に伝わる「三種の神器」ということになる。
その後、神武天皇の話になっていくが、そこで中心をなすのは「東征」の物語である。神武天皇は日向を出発して東にむかい、大和国に至ってそこに都を開く。東征について語るには、神武天皇が都よりも西のどこかにいなければならない。 大和の西ということでは、出雲を出発点としてもさしつかえないはずだ。山陽道を通る必要があるということなら、出雲からいったん南に下り安芸国に寄ればいい。だが、隼人を服属させたことを語る必要があったのかもしれないが、天孫降臨の地に選ばれたのは日向だった。そこにも、出雲神話の場合と同様に、現実の歴史が反映されている可能性もある。 日向のある九州は朝鮮半島にも近く、古代において重要な地域となっていた。それは何より邪馬台国が存在した場所が、都がおかれることになる近畿に求められる一方で、九州ではないかとされてきたところに示されている。 やがて応神天皇と習合し、アマテラスに次ぐ第二の皇祖神とされるようになる八幡神も、九州北部においてはじめ渡来人が祀っていた神だった。大規模な祭祀が行われていた沖ノ島も九州の北、玄界灘に位置している。弥生時代の代表的な遺跡、吉野ヶ里遺跡も佐賀にある。 そうした点で、神武天皇の東征は九州からはじまる必要があったということだろうか。
こうしてタカクラジはタケミカヅチから太刀を手に入れたのだが、神武天皇に対しては、タカギノカミから指示が下される。これから先は荒ぶる神がとても多いので、ヤタガラス(八咫烏)を遣わすから、その道案内に従えというのだ。
古墳には、方墳、円墳、前方後方墳などの種類があるが、鍵穴のような形をした前方後円墳がもっともよく知られている。 前方後円墳としてもっとも古いものは、邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかと言われることもある奈良県桜井市の 箸墓古墳である。前方後円墳は、一部の地域(北海道、青森、秋田、沖縄)を除いて日本全土で造られ、その数は5000基前後に及ぶ。
代々の天皇の事績について、古事記でも日本書紀でも、多くのことが語られている。とくに日本書紀は詳しい。 したがって、その全体について述べることは難しい。
それはインドの��都、アヨーディヤーで起こったことである。1992年、ヒンドゥー至上主義者によって、そこに築かれていたイスラム教のモスクが破壊された。これは、インド各地に波及し、全土で数千人の犠牲者が出た。多くはイスラム教徒である。 それも、アヨーディヤーは、インドの神話的な叙事詩である「ラーマーヤナ」の主人公であるラーマ王子生誕の地であり、そこにはかつてラーマ寺院が建っていたと伝えられてきたからである。 ところが、イスラム王朝であるムガル帝国の時代に、ラーマ寺院が破壊され、そこにモスクが建設されたというのが、ヒンドゥー至上主義者の主張だった。
この時代、神武天皇は実在し、紀元元年における即位は歴史的な事実と見なされていた。それは、当時の大日本帝国が、長い伝統を持ち、しかも王朝の交代がない万世一系の皇室を戴く他国に優れた国であることの証とされ、国民を戦争に駆り立てていく推進力ともなったのである。 神話は、過去の架空の物語であり、その点で歴史を語る上で価値はないとすることもできる。 しかし、現実には、近代の社会になっても、あるいは現代においても、神話は蘇り、大きな力を発揮することがある。神話は、国家や宗教、さまざまな事物のはじまりを語るもので、そこにしか根拠を求められない事柄が数多く存在するからである。 それぞれの神社で祀られている神々のなかには、古事記や日本書紀に登場するものが少なくない。その神が信仰するに値するものなのかどうか。その判断は神話によるしかない。神話を否定してしまえば、神道も神社も成り立たない。 さらには、天皇という存在の正統性も、究極的には神話に根拠を求めるしかないのである。
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