カントに関する予復習に。
2024/04/21 20:19
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投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
カントの著書については三大批判書(『純粋理性批判』・『実践理性批判』・『判断力批判』)をかなり前に読了していたという時系列の下、つい先日偶々本書を知る機会を得ました。因みに三大批判書以外に読了したものは『道徳形而上学原論』と『永遠平和のために』です。
中でも純粋・実践理性の両書は難渋しました。それでも何とか食い下がろうとした結果、カントの考えるストイックな道徳論について朧気乍ら認識し得たと思います。このストイックという概念が今一つ消化不良気味だったのですが、本書で確りと融解しました。ストイックに関しては根本概念であり、理解し間違えてはいけない重要ワードでした。もっと早くに本書に出会えていたら、とは思いました(読了の時期と本書の刊行時期上、無理ですが)。
本書の内容は二つの要素がミックスされています。一つはカントの考えを平易に説明している点。もう一つはカントの考えを現代に準えて説明している点。この両者が非常に良かったです。
本書では「道徳判断は主観的には誤りようがない。ただそれは客観的な情報を集め、客観的な視点に立って考えるよう努めた後で言えることであり、そういった前提を欠いて、主観的な正しさを主張することはできない」と述懐されていて、溜飲が下がりました。まだ読了出来ていないカントの他書に挑む意欲が幾分掻き立てられました。また、純粋・実践理性の二書(正解には純粋は上中下とあるので四書)も再読を試みたいです。
生きるための倫理学
2022/10/28 13:10
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
医療倫理を含め倫理学に関する書をいろいろ読んでいるが、自ら研究している理論・カント倫理学を、どのように自身の生き方に反映させているのかについて、かみ砕いて描き出そうとしている書は、初めてだ。日常において、四六時中、道徳性が問われる状況があるわけではない。非利己的で純粋な善意志から行為することが求められるのは、限らている。その限定的な行為の倫理性は意志の在り方によって決まる。医療倫理の章で、「生きることが必須なのではなく、生きる限り尊敬に値するように生きることが必須なのである」とカントを引用したのは印象的。
様々な場面を対象に、カント倫理学による考察をしています。
2022/08/07 14:07
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
カント倫理学が専門の著者。ビジネスや教育、医療やAIなど、様々な場面を取り上げ、それぞれカント倫理学をあてはめ、考察した1冊です。
カント倫理学による考察が見事で、読み応えがあり、考えさせる内容になっています。
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いろいろ問題があると思う。たとえば、選択的妊娠中絶の話をしようとする先生は、まず妊娠中絶のそのもの話をするべきだと思う。
とは書いたものの、非常にすっきりした文章なので、まあ哲学とか倫理学とか応用倫理学とかそういうのやりたい学生様は読んどくべきだと思います。(そして「自分で考える」べき)
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タイトルと目次を見て買ったけれど、これは大正解でした。いくつかの新しい知識も得たし、いろいろと考えるきっかけになった。両親が亡くなる前に受けていた医療についても再び考えてみた。ビーガンよりさらに厳しいフルータリアンという人々がいることも知った。(ツイッターでも書いたけど、この人たちは雑草を抜いたりはしないのだろうか。もしキノコを食べないのなら、カビを擦り取ったりもしないのだろうか。どこまで徹底しているんだろう。不思議だ。僕の場合は、河童のクーが言っていたように、必要なものだけありがたくいただくというので良いように思う。)自動運転のジレンマも引き続き考えてみたいテーマだ。僕は割りと自由に小学生にも指数を使ったり、カオスの話なんかもするし、理科でも自分のできる限りだけど厳密に話をしようと努力している。子どもには無理とか分かりっこないとか思わない。きっといつかあのときのあの話はこういうことだったのかなんて思ってくれる日が来ることと願いつつ。本書を読んでその気持ちを強くした。自分の仕事については、ちょっと業績が良かったりすると、すぐに理由を聞かれるのだけれど、「たまたまです」と答える。それだけで済まないときは、こじつけで理由を作るけれど、やっぱり「たまたま」が真実です。それから、「自分自身を煙に巻く不誠実」とはうまく言ったものだ。多くの上に立つ人々には少なからず心覚えがあるのではないか。僕にもある。反省。しかし、できれば面倒なことは避けたいんだなあ。BSJも多いことだし。著者の生い立ちについて少し道徳教育の章に書かれているが、もう少しふくらませて欲しかった。確か、高橋先生の名前があったように思ったのだけど見つけられない。(最初読んだときは高橋昌一郎だと思ったが、日大哲学で検索すると高橋陽一郎だった。そして、僕にとって陽一郎先生は数学者なのであった。)いずれにせよ、本書の著者は成績が良いだけで東大に入ったという訳ではなく、何かの理由があって日大を選んでいるようで、僕にはとても好感が持てる。何しろ僕の周りでもまだまだ名前だけで会社を選んでいる大学生が多いもんだから。最後に、「アンナ・カレーニナ」のリョービンのことばから。「もし善が原因をもったら、それはもはや善とはいえないのだ。もしそれが結果として、報酬をもてば、やっぱり善とはいえないのだ。したがって、善は原因結果の連鎖を超越したものなのだ。」これってカントから来ているのかなあ。ちょっと違うのかなあ。もう1回1章を読まんといかん。そうそう、「おわりに」の読者へのメッセージを読んでちょっと大袈裟だけど涙が出そうになった。著者自身何らかの辛い思いを経験した上で出てきたことばなんだろうなあ。
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序章で描き出すカント倫理学の骨格をベースに、六章にわたる「ビジネス倫理」「道徳教育」「生殖・医療倫理」「環境倫理」「AI倫理」「差別に関わる倫理」といった今日的な倫理や道徳観にまつわる諸問題に対してカント倫理学を適用することで、序章で述べられた骨格部分に肉付けをしていく構成の新書。約210ページ。
まず、著者は人間にとっての「よさ」を才能や環境に左右される制約的「良さ」を持つ「卓越性」と、無制限的な「善さ」を持つ「善意志」に分ける。このうちカントが人に求めているのは「善意志」であり、そこに発した行為の結果に関わらず、それ自体が道徳的善性を有する、善意志の有無を問題とする。そして道徳的善とは、行為が「道徳法則にしたがう」ものであり、動機が私利私欲ではなく道徳法則に発していなければならない。かつ、この善は独りよがりの独善ではなく、その行為原理を皆が遵守した場合にも望ましいと判断できる必要がある。
もちろんこのような判断の結果が誰が考えても同じとは限らない。この点がポイントなのだが、我欲ではなく、道徳的善を求め、普遍性を意識したうえで、根拠をもって個人が導き出した結論であれば、その結果自体は一切問われない。道徳的善性に則って行動することがこそ重要なのである。だから、そこにある「善意志」は「卓越性」のように人を選ぶ「よさ」ではなく、誰にたいしても開かれている「よさ」なのであり、著者がカントの哲学に惹かれる大きな理由のひとつはここにあるという。そして、カントにとっての「自由」はこのような理性的な意志にもとづいた行動であり、一般的な好き勝手をするというイメージとは乖離している。
序章においてカント倫理学のポイントを提示したうえで、第1章以降は6つの今日的な問題をひとつずつテーマに掲げ、カント倫理学に照らし合わせればどのような結論が導かれるかを検証していくことになる。ただ、個人的にはこの6つのテーマについては、(植松聖への考察を除けば、)いずれについてもあまり印象に残らなかった。その理由としては、先に述べたように著者によるカント倫理学は、個々人が道徳的善を意識して根拠をもって出した結論であれば、どのような結論であっても間違いではないことになる。つまり、どのような素材を対象としたところで、結局は「我欲ではなく善意志のもとで個々人がよく考えましょう」という結論に落ち着いてしまう。従って、6つのお題にたいしても、「どこから切っても金太郎飴」のような印象が残ってしまう。
おそらく、カント倫理学という武器をもって快刀乱麻で現代の諸問題に斬り込んでいくさまを期待した読者にとっては、物足りない内容ではないかと推測する。6つのテーマは序章で描いたカント倫理学のポイントを何度もなぞって繰り返すための道具であって、具体的な話題を通して著者の伝えるところがより明確にする趣旨のうえでは大いに役立っている。あまり手を広げず、序章で示された考え方をできるだけ多くの敷衍することがコンセプトとなっており、現代的な問題の考察や分析というよりは、ひとつの倫理学のあり方について、丁寧な解説を求める読者に適した著書だと思える。読み手���よっては、序章がピークかもしれない。
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その辺の哲学・倫理入門書より圧倒的に読みやすいが、カント倫理学だけで処理するには無理があるように思えた。帯に「カントだったらこう考える」と書いてあるものの、カントと重なりがないような倫理の諸問題も多く物足りなさは否めない。倫理学超入門としては有用。
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不十分に見える所があっても、初学者相手の新書なので広く浅くなるのはやむを得ないこと。細かな点を論難するよりも、著者が研究するカントの理論を自らの生き方に反映させていること(←この時点でかなり稀有なのでは?)、そして、その理論と実践の結びつきにいて一般の読者に分かる形で説明しようとしている(←さらに稀有、というか他に誰かいるのか?)点を評価すべき著作なのだと思う。
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生命倫理、環境倫理、AI倫理、差別等々の現代的なテーマについてカントを応用して考えるという試みだが、一般読者向けに易しく書いているようでいて、結構難しい部分もある。
ポイントとなるのはカント倫理学の「欠陥」とされる箇所の説明で、本人がそこに道徳法則を見出したのであればそれが道徳法則、という主観的な正しさへの確信性の部分であり、本書では植松聖の例を用いて大量殺人の是非という観点から論じられている。
6章4節を読む限りでは普遍妥当性というのは結局のところ、多数者がどう思うかといったある種の「常識」に基づくものであり、プラグマティックに決定される印象を持つ。であるならば、米国人にとっては原爆投下は正しいという事になり、大量殺人も道徳法則に適うという事になってしまう。自分の読み込みや理解が浅いのかもしれないが、これは果たしてどうなのだろうかという疑問も湧く。この辺は今後考察していきたい。
尚、「道徳」と「倫理」の違いについて著者は意味上差異はないとしているが、これはカント的にはそうであるということなのだろうか。とはいえ、日常用語としてはそれなりに使い分けられている言葉でもあるので、この辺も精査した方がよいのではないかと思ったが。
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カント倫理学における基本的な思想の骨格を示した上で、それをビジネス倫理、道徳教育、生殖・医療倫理、環境倫理、AI倫理、差別に関わる倫理といった個別テーマに応用しながら、さらに深く解説しています。倫理学を人生における「実学」にする。そんな力のある一冊ですね。関連して、作品の読者や関係者だけでなく、倫理学研究者にあてた「あとがき」にも注目です。
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今、日本国と日本人にかけているものがあるとすれば、真っ先に上げるべきは倫理であると言える。日本人にはどうも近代における倫理がインストールされていないようだ。成田悠輔なる人物の言動がよく表している。彼のように著しく倫理に悖る人間が公共で発言し、且つ政府委員として公共政策に関わるなど、彼個人が倫理に悖るだけでなく、日本国の社会全体が倫理を欠いている。
これは本著の中でも取り上げられているが、日本の学校教育の中で、倫理についての教育が成されていないことが非常に大きい。「道徳」と名のついた教化はあるが、実際には愛国教育(それも間違った形の)であり、倫理は教えていないのである。これでは日本人には倫理はインストールされない。
ただ、遅くはないので、まずは本書を手に取って近代的な倫理とは何であるのかを理解することから始めるのが良いのではないか。また中学、高校生ぐらいのお子さんをお持ちのかたは、本書をもとにお子さんと倫理について話し合われることをおすすめしたい。
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カントを通じて倫理を学ぶ。
自分が正しいだけではダメ、周りも納得できるものでないと倫理的に正しいとは言えない。利己的になりすぎず、でも自分はしっかり持っていたい。