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第一章から第四章までの歴史や哲学等を引用してアカデミックに全体主義を語るところと、第五章、第六章の維新の会や安倍元首相に罵詈雑言を浴びせるところの落差が激しい。
前者をもう少し砕けた感じで読みやすくして後者をもう少し上品にした方がバランスが取れて説得力があったように思う。
まぁ、全体主義であってもその考え方が自分の考えに近ければ嫌悪感よりもむしろ親近感を持ち、自分と異なっていた場合は、本書でいうところの「大衆」は馬鹿にしか見えないだろうなと思う私はやはり「大衆」の一人なのだろうw
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相変わらずの「適菜節」ですね。
近代人はそれまでの制度や束縛から解放され「個人」となることができたが選択の責任に耐えられず、「世間」に無条件で従い日和見主義的な政治家を支持する・・ 確かに最近ごく少数の政治勢力のリーダーを除くと政治家の「顔」が見えにくくなり、数の上での民主主義を成立させるための「その他大勢」になっているように見えます。自分で考え、判断することの重要性がかつてなく重要になってきていますが、マスコミも横並びでプロパガンダの垂れ流し状態ですから、今まで以上に自分で考えることの重要性が高まっているということですね。
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大衆論やナショナリズム論等を踏まえて全体主義について政治思想史的に論じる前半部分と、橋下・安倍批判に関する時事評論の後半部分に分かれる。
興味深いのは西欧近代思想の受容に関して夏目漱石を手掛かりに論じる部分である。突貫工事で近代化した日本では保守主義が表層的で根付かず、結果としてそのことが日本独特の病理となっているという指摘は日本政治思想を考える上でも重要である。
中野剛志の解説では本書には処方箋は提示されていないとの見解ではあるが、しいて挙げるとすれば「全体主義が権力と個人の直結であならば、中間団体はその緩衝材になる」という中間団体の重要性を指摘した点にあると言えるのではないだろうか。
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前半は、全体主義の歴史を鋭く追及し、後半は安倍氏、橋本氏を激しく批判しています。私はこれは後半の批判を先に持ってきて、前半の話の中に安倍総理や橋本徹を入れて書かれた方が分かりやすく、面白いが気がしました。戦前の日本やナチスに代表される全体主義と比べるのが、安倍氏や橋本氏では役不足で分かりにくさを感じました。もし機会があったら、自民党や維新の会と全体主義との考察を読んでみたいです。