「ゼロインフレの磁力」があるならば
2023/10/22 17:18
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投稿者:象太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日銀には、国債の買い 入れを減額しつつ、それを「緩和の後退ではない」と説明できる魔法のような仕掛け が必要だったのである。その仕掛けこそが、イールドカーブ・コントロールであった。 「短期金利」「長期金利」の二変数で金融緩和の度合いを表すなら、それらの目標水準を変えない限り、国債買い入れの量をいくら減らしても「緩和の後退ではない」 と説明できる。「量」はもはや、それを増やせば金融緩和、減らせば金融引き締めという関係にはない、ということにしてしまったのである。(本書より)
日銀は2022年12月20日の金融政策決定会合で、長期金利の上限を従来の0・25%から0・5%程度に引き上げた。これを巡って市場では、日銀が利上げしたと言ってよいかどうかちょっとした論争になった。市場では、利上げと受け止める向きと、利上げに当たらないという見方が混在した。当時の黒田総裁自身は会合後の記者会見で「利上げではない」と説明したが、約3カ月前の9月26日の大阪市での会見で、長期金利の上限引き上げが利上げに当たるのかとの質問に「なると思う」と明言していて、日銀ウォッチャーの理解を混乱させた。
日銀はさらにその時の決定会合で、幅広い期間の国債を無制限に買い入れることも決めてた。長期金利の上限引き上げは金融引き締めで、国債の買い入れは金融緩和の方向に働く。結局、金融緩和したのか金融引き締めをしたのか。その時の日銀の決定は、市場には分かりにくいものに映った。
しかし、これはどう解釈してもよかったのだ。冒頭の本書の引用部分がそれを示唆している。つまり、市場がどちらに解釈しても、日銀が言い訳できる制度として取り入れたのが、イールドカーブ・コントロールだった。
金利の目標水準を変えなければ国債買い入れの量の増減が緩和と引き締めに関係ない。これが冒頭引用部に示した導入時の立て付け。今回は、国債買い入れ増を続けるなら金利の目標水準を変えても緩和である、と理屈をずらした。イールドカーブ・コントロールは、金融緩和を続けているという建前を維持するための「二枚目の舌」なのだった。
では日銀は、緩和を続けている、という姿勢をなぜ保たねばならないのか。それは、政府・日銀が2%の物価目標を掲げていて、未達だからだ。だが、低成長・低金利の時代の中で2%目標の「物価の番人」たることが日銀のあるべき姿なのか、というのが本書の問いだったと思う。
本書に出てくる「ゼロインフレの磁力」という言葉は印象的だ。過去30年は、インフレ率が多少上昇しても再びゼロインフレ近辺に戻るという現象が見られる。人々にとっての物価の望ましい水準は、目標とする2%上昇より、前年と変わらない「ゼロインフレ」なのではないか。
だとすれば、物価目標の設定はどこか無理があり、目標の達成まで金融緩和を続けるという政策も的外れかもしれない。
経済学の教科書を超えて、ゼロベースで物を見ようとする筆者の観点は大変面白く、その姿勢は敬服する。筆者は白川、黒田と2代の総裁に仕えた日銀の上級幹部で、その時その時の政策の狙いを正確に知悉している。ちまたにあふれる周辺的な立場の憶測的な分析とものが違うのは確かだ。
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筆者は日銀に2016年まで35年勤務され理事まで務められた元日銀マン。内容はとてもフェアで良心的。…というのも、通説や世間の俗説に対する筆者の見解を丁寧に述べながらも分からないことは分からないと書いているため。
逆に言うと牽強付会な筆者の強い主張もないので、読み終わっても「で、結局日本経済の状況に対する処方箋は?」とモヤッと感は続いてしまうのですが、ここの論点に対して頭の良い方に整理していただいたような読後感の一冊。
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著者の執筆したレポートを時折読んでいるので、著書の内容で改めて知った箇所は少なかったが、いずれも日本経済の通説的・通俗的な理解に対して一石を投じる内容で楽しめた。
個人的に著者を評価している点はバランス感覚。経済学徒やエコノミストは、「経済学的に正しい」と称して非現実的・反社会的な提言をしがちであるが、著者の主張は日本経済への冷徹な分析に支えられつつ弱者への配慮や現実への折り合いをつけたいずれも「真っ当な」ものである。
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素朴な疑問に答えるような内容で、言葉を濁さず分かりやすい上、独自視点も織り込まれるが、分からない事は分からない、推定は推定、と明確に線引きをするので、理論に惑いがない。
ー アベノミクスとは、①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③民間投資を喚起する成長戦略、のいわゆる「三本の矢」からなる経済政策。初期に圧倒的な存在感を放ったのは、①の大胆な金融政策であった。一見これは不思議なことである。政府の仕事は財政政策や成長戦略であり、金融政策は日本銀行(日銀)の仕事である。日銀は政府の一部ではない。「日銀の独立性」と矛盾。中央銀行の独立性は、インフレが人々を苦しめた歴史を踏まえ、人類の知恵として根付いた考え方である。政治は大衆迎合的な政策でインフレを引き起こす傾向があるから、中央銀行は政治から独立して物価の番人であるべきだとされる。
例えば、上記の論説なんかは、確かにそうだったなと思わせる内容だが、最早気づきすら忘却していた内容で、引き込まれる。
ー 設備投資はアベノミクス景気で年率2.8%とそれ以前の景気拡張期に劣らない堅調さを見せたが、個人消費はわずか年率0.3%とほぼ0成長だったこの理由は、単純で、家計の実質可処分所得が増えなかったことに尽きる。
他方で、こうした言い切りが分かりやすい。私のお気に入りは、内部留保悪しきという風潮への反論とも取れる以下だ。構造上、内部留保する企業側の動機を明かし、内訳を探ることで正しい理解を促す。長文になるが…
ー 内部留保はバランスシートの「右側」の項目であり、資本金とともに自己資本を標成する。自己資本は「厚くする」ものであって「ため込む」ものではない。したがって、「内部留保をため込んでいる」という批判に込められた本当の意味は、内部留保見合いの資産として「現金・預金をため込んでいる」ということなのだろうと推測される。ところが、先ほどと同じ7年間に増えた現金・預金は53兆円にとどまっている(168兆円し221兆円)。確かに増えてはいるが、内部留保の増え方に比べればはるかに小さく、内部留保を現金・預金として「ため込んでいる」とまでは言えない。むしろ、資産サイドに見られる最大の特徴は、有形固定資産などには分類されない固定資産の大幅増である。これを便宜上「その他固定資産」と呼ぶことにすると、それは同じ7年間に351兆円から528兆円へと、177兆円も増えている。その他固定資産の内訳は明らかにされていないが、他社への投資や子会社の持ち分などはここに含まれていると考えられる。したがって、その他固定資産の大幅増は、海外直接投資やM&Aの拡大を反映している可能性が高い。内部留保はアベノミクスの時期だけでなく、2000年前後から右肩上がりのトレンドにある。それと並行して起きているのは、金融機関借入金の圧縮である。つまりこの20年ほど、企業は負債を自己資本で置き換え、財務基盤を強化してきたのである。この変化が2000年ごろから顕著になったのは、90年代末の金融危機がきっかけだろう。
ー 内部留保の見合いで大きく増えた資産は現金預金ではなく、その他固定資産である。もう一つの変化は有形資���ストックの伸び悩みである。企業は国内の設備投資には相対的に積極的でなかったと言うことだ。以上より資産面の長期的な変化として、国内市場の成長期待が低下する中で、企業がグローバル展開に活路を求めてきた姿を見ることができる。
ー アベノミクスの6年間で経常利益は73%増加している。同じ6年間に人件費をわずか6 %増に抑えたことが大幅増益の一因である。個々の企業は合理的でも、全体として人件費抑制、個人消費の停滞、個人市場の低迷と言う連鎖が働けば企業にとって国内の投資や人件費を抑制することがますます合理的になる。そうだとすると、ミクロの合理的な判断がマクロでは、国内市場の縮小スパイラルを産むと言う合成の誤謬が働いてきた可能性は否定できない。人件費が6%しか増えなかった。同時期に、株主配当の支払いは88%増加している。過去10年の株価は明確な上昇トレンドにある。
ー 日本企業は、アメリカ企業のように株主還元のためなら、レバレッジを極限まで高める=負債を増やすという所まではやらない。株主にも還元せず、従業員にも還元しないバッファーが日本企業には必要なのである。内部留保の内、それに相当する部分が、おそらく現金預金の形で積み立てられているのだと考えられる。そしてそのバッファーの1部は、いざと言う時に従業員の雇用や賃金を守るために使われる。公的なセーフティーネットだけでは満たされない安心感を私的なセーフティーネットとして従業員に与えているという事。これは企業が大幅な雇用削減や大幅賃金カットができないと言う事情によるものだ。
で、生産性の指標だって怪しいものだと。
ー 日本とアメリカの生産性の差は、郊外の大規模なスーパーマーケットのように構造的な差である可能性が高い。30年間日本の生産性の水準はほとんど変化していない。長期的に見たときの生産性上昇率の低下傾向は先進国に共通する現象である。ドイツやイギリスも失われた30年だと言える。90年代末から2010年代初頭にかけて、アメリカの生産性、上昇率が一旦高まった局面がある。リーマンショック後の雇用削減によって生産性が押し上げられたことを勘案すると、アメリカの生産性上昇率が本当に高かった。期間は90年代後半から2000年代半ばまでの10年程度。その後アメリカの生産性、上昇率が再び低迷した事は日本ではあまり語られなかった。2010年代も含めて言うならば、アメリカも大局的には失われた30年であり、途中で少し良い時期があったに過ぎない。
文化に固有の現象、いやより正確に言えば、制度の違いがもたらす条件を無視しながら、他国と一律の指標で論じる危うさについて、形成された世論を試し切りする。良かれと思っている事に反発し、却って自身に不利になる方向に導いてしまう大衆の危うさがある。衆愚政治の罠かも知れない。