コーカサスの現代国際関係についての大変な力作だが、欧米・露の動向に関する理解についてはステレオタイプの域を脱していない。宗教組織の理解も極めて浅い…。しかし総合的には買って損は無い良書。
2008/08/14 22:55
13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:温和 - この投稿者のレビュー一覧を見る
まとめれば題名のようになる。批判点2つを最初に挙げるその前に言っておくが、買って損はしないであろう良書である。本書評ではまず批判点2つを前半に挙げるが、その後で良い点についても述べる。
批判点1…正教会組織に対する無知から来る、宗教アイデンティティに対する考察の欠如
著者は本著において「グルジア正教はトビリシにあるシオニ教会を総本山とする、ロシア正教とは違う独自の宗教である」と書いてしまっている(33ページ)。グルジア正教会に関する説明は実にこの一行だけだ(!)。しかもこの一行が間違って居るのだから話にならない。
正教会は一カ国に一正教会組織を具える事を原則とする。近現代以降にオスマン帝国などから独立して新たに出来た国家や旧ソ連崩壊後に出来た国家における、教会管轄権帰属の個別問題は山積しており実情はかなり異なるとは言え、一応はそうした原則が存在する。だがそれら一正教会組織はあくまで管轄・管掌に関する原則であって、「宗教・教派」レベルの違いを示すものではないのである。グルジア正教会・ロシア正教会・ブルガリア正教会・ギリシャ正教会・ルーマニア正教会・日本正教会などがあるが、いずれも教義を等しくしており、互いを正教会と認識し合い、領聖(陪餐)も相互に完全に可能である。「違う独自の宗教である」などとんでもない。
別の例で言えば、「日本聖公会は日本にある、英国国教会とは違う独自の宗教である」と書いてしまうようなものである(実際は無論違うのであり、日本聖公会も英国国教会も同じ教派としてアングリカン・コミュニオンを形成している)。
まるでグルジア正教会とロシア正教会が関係途絶しているかのように印象付けられる文体であるが、(最近の南オセチアで戦闘状態だった時期については評者の調査能力の限界から不明ではあるが、少なくとも平時においては)グルジア正教会とロシア正教会は、総主教司祷の聖体礼儀において互いの総主教の名を必ず読み上げて記憶している。
相互に承認し合う正教会のうち、総主教制を敷く9つの正教会では、(ごく限られた期間に関係が悪化した総主教の名を読まない事はあるにせよ、ほぼ必ず)自分以外の8人の総主教を記憶して読み上げるのであり、グルジア正教会総主教イリア2世と、ロシア正教会総主教アレクシイ2世もまた互いの名を読み上げて祈るのである。
確かに、グルジア正教会信徒たるグルジア人の中にも、反ロシア的な民族主義者も多い。正教会の組織は、ローマカトリックのそれよりも中央集権の度合いが相対的に極めて弱いのも事実である。しかしながら「反ロシア=無条件の親欧米」とはなり切れない正教会が優勢な地域のメンタリティの鍵は、実にこの「正教徒としてのアイデンティティ」にある以上、この件についての認識が浅いのは致命的である。グルジア人作曲家による正教会聖歌をロシア正教会の聖歌隊が歌っている事例もあるのであり、このアイデンティティの親近性は無視出来ない(対して、ローマ・カトリック聖歌をロシア正教会の聖歌隊が録音する事はまず無い)。
宗教組織は多くの国にあって自治会機能を持つ。自治会クラスの動向が重要なコーカサス地域において、まずはその自治会に働く力学たる教会組織について、基本的な知識(八木谷涼子『知って役立つキリスト教大研究』 新潮OH!文庫・高橋保行『ギリシャ正教』講談社 1980などの…文庫一、二冊程度で手に入る知識なのだ)は不可欠であろう。
本書の内容は現代政治の皮相的理解に偏っており、教会史も含めた歴史的裏付けに対する考察が弱い。30代半ばでここまでの力作を書いた著者の、今後の成長に大いに期待したい。
批判点2…欧米諸国とロシアに対するステレオタイプ的な見方
本書中によく出て来る語彙として「欧米諸国」があるのだが、欧米諸国がコーカサス問題や対露外交について足並みを揃えていない事例が本書にも山ほど記載されている以上、「欧米諸国」を纏めて記述してしまうのは自己矛盾というものだろう。
そういう意味で、第五章までは非常に興味深い事実の列挙であり、コーカサス地域の複雑性を隅々まで記述する事を試みた大変な意欲作と感じられたのだが、「欧米、トルコ、イランのアプローチ」と題された第六章は、トルコ・イランについては兎も角、欧米諸国の動向についてはあまりにステレオタイプな反露的見解でしかない。
文体にも急に「だろう」「であろう」「思われる」が増える。
しかも、NATO諸国によるコーカサスへの干渉については「支援」と記述し、ロシアによるコーカサスへの干渉については「圧力」「干渉」と記述しているのだが、これは如何なものか。親欧米政権だが非民主的・強権的であったり、民衆が不幸になったりしているケースとしてはグルジアのサーカシヴィリ政権の例があり、欧米とロシアと等距離外交を保ちつつそれなりの成果を挙げているのはアルメニアなのだが(それは誰よりも、筆者たる廣瀬氏がよく御存知の筈であり、本書にも事例が列挙されている)、なぜか「ロシアとの関り」の語彙には負のイメージを持つものばかりが選定されている、その根拠は不明である。
コーカサスの複雑性についてここまで書けて置きながら、欧米諸国とロシアの関係性、および欧米諸国とロシアについての評価については、あまりにステレオタイプな見方になっていることについては首を傾げざるを得ない。コーカサスの複雑性に比べれば、欧米諸国の意見の多様性や関係性の複雑さなど、はるかに理解し易いものの筈なのだが…。
良い点…とまれ、力作。
まずもって、「コーカサス」「カフカス」の名がついた書籍が極小の我が国にあって、とにかく、この地域の複雑性を描写しようとした本が新書という形で出た事の意義は大きい。余談だが、評者が黒川祐次氏による『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)を酷評して星1つとしたのは、ウクライナに関する書籍は既に読みやすいものが複数出回っており、周知徹底の意義も薄いと判断したからである(少なくともコーカサスについてのものよりは圧倒的に出回っている)。
幸か不幸か、本書の出版時期が南オセチア紛争激化の時期と重なった事も実にタイムリーである。
また、文体のそこかしこに見え隠れする反露・親欧のステレオタイプは気になるものの、本書に豊富に集められたデータとその記述量は、決して単純な反露・親欧のものではなく、コーカサスにおける親露派・親欧派それぞれの光と影を大体においてバランスよく記述したものとなっている(それだけに、著者のステレオタイプ的な評価が反映された術語がどういった事情に由来するのかますます分からないのだが…)。
お手ごろ価格で内容豊富。コーカサス問題を考える上では必読の良書と言えよう。
読んで楽しい本とは言えないが、いろいろなことを考えさせられた
2010/03/27 23:18
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
コーカサスの話題は、日本でもときおり報道される。チェチェン紛争やナゴルノ・カラバフ紛争のこと、あるいは、カスピ海で産出される石油・天然ガスのパイプラインのルート問題など。
ただし、どれも断片的でなかなか全体像が見えてこない。コーカサスと呼ばれる地域に、どういう事情がありるか、日本人には基本的な情報も不足している。そんなときに、本書はよきガイダンスとなりうる。
著者は、この地域の研究を専門としているので、民族や言語、歴史、資源などあらゆる角度から、教えてくれる。こうした日本人研究者がいれば、世界情勢に空白域を作らなくてすむ。
コーカサスと言われても、たいていの日本人は、聞いたことはあるが、どこにあるのかまでは分からないと答えるのが通例かもしれない。アゼルバイジャンやグルジア、アルメニアといったあたりだ。これらの国名を聞いても、まだぴんとこない可能性がある。
しかし、チェチェン紛争やパイプラインのルート問題、ロシアの干渉といった話題におよぶと、一気にきな臭くなる。「国際関係の十字路」という表題がふさわしい地域であるのが見えてくるのだ。
コーカサスという言葉にはなんとなく美しい響きが感じられるが、民族の独立や資源をめぐる利害が複雑にからみあい、実はとても困難な土地であるのが分かる。
コーカサスには、アゼルバイジャンやグルジアのような独立国家もあれば、チェチェンのようにロシア連邦内に共和国として組み込まれているところもある。いずれにせよ、ロシアとあつれきを生じ、国土が安心・安全とはほど遠い状態におかれているところが少なくない。
とてもこの書評では簡潔に表現できないほど、複雑な色合いに染め抜かれている。それが幸せな色ではないのが悲しい。こうした地域に生まれたというだけで、苦難の道をゆかねばならない。
コーカサス自身が、多様な民族と多様な言語からなり、もともとモザイク状になっている。ひとつの国の中にも、中央政府の支配がおよばない地域があったりする。それは、地方によって用いる言語が違うことや、山岳地帯のために地理的に隔絶されていることなどによる。
こうした背景のところに、ロシアという大国が圧力をかけ、さらに不安定化させている。アメリカやヨーロッパの存在感も見え隠れするのだが、ロシアという軍事的な大国と接していたり、共和国として組み込まれていることの大変さは、想像するに余りある。
ロシアという国も「ロシア連邦」としてのまとまりを維持するために、いろいろな形で影響を及ぼさなくてはならない。連邦内の共和国が独立していくと、ほかの共和国にも連鎖していく可能性があるからだ。
なかでもチェチェンの苦難は相当なものだ。最初は、ロシアからの独立運動であったのが、ロシアの思惑で「チェチェン紛争のチェチェン化」が図られる。つまり、チェチェン内部に、過激なグループを作りだす一方で、親ロシア政権を樹立し、チェチェンを分断させていく。
国際社会も当初はロシアを非難する声明を出していた。しかし、プーチン大統領(当時)がチェチェンの独立運動をテロ扱いすることで、米国での9・11同時テロ以降、国際社会は声をあげるのがむずかしくなってしまった。
コーカサスのもともと複雑な事情に、国際情勢が影を落とし、紛争の解決がさらに困難になっていく。こうした悪条件の土地に生まれ、暮らしていく人たちへの言葉にならない思いが膨らんでいく・・・。
これにくらべれば日本など、かなり単純な図式の中にあることが分かる。大国になりつつある中国の動静には注意を払っておいた方がよいが、現時点では、ほとんど困難と呼べるような事情を抱えていない。日本という国の幸運を知るべきだろう。
日米関係が揺らいでいるといっても、コーカサスの人たちの歴史的な苦難、現在の苦しみ、近未来にも解決しそうにないという予感の前には、軽微なものに感じられる。チェチェン共和国の都市の、空爆によって廃墟と化した光景は、見る者の心を荒ませる。
今は、イラクやアフガニスタンが大きな国際ニュースとなっているが、将来的にはコーカサスが世界情勢の不安定要因になりかねない。いろんなことを考えさせる書である。
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静岡県立大学准教授のコーカサスに関する概説書。コーカサスについて新書で読める点、また彼女の前著のように限られた地域ではなくコーカサス全体(南北)を概説している点は、非常に評価できると思う。学部生や社会人がコーカサス地域について知る良い本。個人的には、コーカサス研究者の多くは歴史研究ということもあり、濃すぎて一般の人には「マニアック」としかうつらない現状もある中で国際政治や現代の問題意識とコミットする書籍はもっと出るべきだと思う。
但し、廣瀬先生は北コーカサスは門外漢なので、いくつか誤りも・・・。俺の専門とするチェチェンに関する記述では、バーブ教という表記があったけど、これは『アラーの花嫁』の著者ユリヤ(ロシア人ジャーナリスト)自身あるいは邦訳書が間違っていて、チェチェンでバーブ教なるものは浸透していない。バーブ教とはそもそもイスラーム・シーア派で異端視されている宗派の一つで拠点はイラン中心、しかも現在はかなり衰退しており、ほとんどイラン国内外問わず教徒もいない(すでに絶滅したという噂もある)。仮に、イランで異端視されているバーブ教を異端という意味で過激派とするのであれば、まあ理解出来ない事もないが、スンニ派のチェチェンでシーア派のバーブ教が影響を持つことは宗派的にあり得ない。これは単純にワッハーブ教徒(サウジアラビア起源のイスラーム過激派)の誤訳(あるいはユリヤの誤認)である。
またダゲスタンの民族問題や衝突の危険性として、99年のバサーエフとハッターブのダゲスタン侵攻、及びそれと関連したイスラーム過激派の動向のみをあげているが、これは最近見られたものに過ぎず、基本的には他の少数民族間の対立(アヴァール人とダルギン人の対立、アヴァール人とクムク人の対立、アキ・チェチェン人とラク人の対立、レズギン人のダゲスタン及びアゼルバイジャンにおける統一運動等々無数ある民族対立)の方が構造的な問題としてダゲスタンにあるはずである。まあ、北コーカサスを研究する人が日本ではほとんどいない上、現在の紛争を取り扱う事は政治的リスクもあるので、誤認や理解の不足は仕方ないとも思う。
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グルジア対ロシアの開戦直前という絶好のタイミングで刊行されたカフカス情勢の解説本。ジャーナリスティクな視点の目立つカフカス関連本のなかでは、どちらかというと教科書的な書で、だからこそ状況の整理に有用でもある。何故ロシアはカフカス地方にこんなにこだわり、紛争の火種が山のようにあるのか。エネルギー政策の観点から語られることの多いこの地方の事情がうまくまとめらた一冊なので、グルジア戦争でカフカス地方に興味を持った方は、この本をまず手に取ることをおすすめします。
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北京オリンピック直前のタイミングでグルジアが軍事行動を起こした。世界の耳目が集中する時に図ったようににコーカサスや北朝鮮などで騒動が起きた。エネルギー問題などを中心に南北コーカサス地方をわかりやすく説明してくれた入門書。門外漢の自分が驚いたのはその構成。北京五輪のタイミングで出版、弾薬庫のようなコーカサス、そして終章では2014年のコーカサスにある冬季五輪開催地ソチへつなげていく。大きな流れや読みは的確、と思わせる組立てです。
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アゼルバイジャン、グルジア、アルメニアの3国からなるコーカサス地方だが、多様な民族・言語・宗教の交錯するこの地域のありようは、私(たち)の想像を超えて複雑でなかなかに理解がとどかない。アゼルバイジャン国内には〈ナゴルノ・カラバフ共和国〉、グルジア国内には〈アブハジア共和国〉と〈南オセチア共和国〉という「未承認国家」が存在しているということだけでも、この一帯の不安定さを表していよう。さらにカスピ海周辺のエネルギー源をめぐる周辺国の思惑が加わって戦争状態が収まらない現状をわかりやすく整理してくれ、現代世界のありように眼を開かせてくれる好著である。
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地政学の入門書とも思えるほど、懇切丁寧な解説。
コーカサス地域関連のニュースのよくわからなかった点が、この本を読むことで雲散霧消する。
むしろ、政治や国際情勢に興味の無い人にこそ読んでほしい。
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タイムリー.
グルジアなんかに興味がない人でも,
外交という理解し難い営みの催され方について学べるかも
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コーカサスブームでちょと真剣に情勢勉強
まだまだ知らん土地の
知らん問題がこんなにもあるねんなーて
無知さに改めて辟易↓
もっといろんなこと勉強せなな
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現在の南コーカサス3国の相互関係、外国関係のポイントがわかる。ロシア連邦内の北コーカサス共和国の連邦内外の紛争についても説明がある。
登場するのはロ、旧ソ諸国、欧、土、イラン。"謎の国" トルクメニスタンもカスピ海の石油・ガス資源の文脈で僅かながら登場する。
文章中に「前述のように」「(P.~で後述)」や、( )内での文章による補足説明が多く、もとの文が分断されるのが少しだけ気になる。前でも後ろでも「(P.~)」を句読点の前に置くだけの方が分かりやすいと思います。(2009/10/9)
著者の管轄ではないですが、帯の「日本人がいちばん知らない地域」というあおりは首肯しがたい。もっとも、「よその国の人はみんなしっている!いちばんしらないのは日本人だ!」と喝を入れている意味に取ることも不可能ではないが。
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コーカサス地方っていうとチェチェンなんかの問題が特に有名ですね。
世界史の先生の紹介で知りました。
その日の帰り道に本屋で見つけて即買い余裕でした^^
買ってよかった。すごく分かりやすいです。
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[ 内容 ]
コーカサスは、ヨーロッパとアジアの分岐点であり、古代から宗教や文明の十字路に位置し、地政学的な位置や、カスピ海の石油、天然ガスなどの天然資源の存在により、利権やパイプライン建設などをめぐって大国の侵略にさらされてきた。
またソ連解体や、9・11という出来事により、この地域の重要性はますます高まりつつある。
だが、日本では、チェチェン紛争などを除いて認知度が低いのが現実である。
本書では、今注目を集めるこの地域を、主に国際問題に注目しつつ概観する。
[ 目次 ]
第1章 コーカサス地域の特徴
第2章 南コーカサスの紛争と民族問題
第3章 北コーカサスの紛争と民族問題
第4章 天然資源と国際問題
第5章 コーカサス三国の抱える課題
第6章 欧米、トルコ、イランのアプローチ
終章 コーカサスの今後
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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出版後数年を経て各国の情勢は変化しているとはいえ、コーカサスをみる上で基本的考え方を提示してくれるよい本。国際政治を学ぶ人には必読の一冊。
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中東・ヨーロッパ・アジアの挟間の地域、コーカサスの国際問題に焦点を当てています。旧ソ連地域であるため、その中心はロシアとの関係と、それにおける問題。ニュースなどで聞く単語が、一体どのようなものか。
コーカサスと言う単語からして日本になじみの薄い地域ですが、チェチェン紛争、カスピ海ヨーグルトなど意外なところで多くの人に聞き覚えがあるでしょう。
また、2006年当時の外務大臣、麻生太郎元総理が打ち出した外交政策「価値の外交」「自由と繁栄の弧」の中核地点に当たることからも、日本にとって重要な地域であることがわかります。(本作の中にも簡単に解説あり)
同著者の『強権と不安の超大国・ロシア』の方が、日本に良いかかわりのある国々の話が多くて読みやすいですが、そちらが読めた人ならこちらも読めます。
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コーカサス地方といえば,聞いたことはあってもよく知らなかった。コーカサスという言葉を聞くたびに何かオリエンタルな感じがするのはそのためだろう。日本からは遠く,情報も少ない。しかし,最近話題の相撲取り兄弟の出身地もコーカサスなら,南オセチア問題でロシア軍の侵攻があったグルジアもコーカサスにある。後者は今日のクローズアップ現代でもとりあげられていた。
日本語で手に入るコーカサス情報は,断片的すぎたり,専門的すぎたりで,なかなか手頃なものがないが,本書は,この地域の地理や歴史,対外関係をコンパクトにまとめている。刊行は今年七月で上記の事件より前だが,大注目のコーカサス,今になって図らずも売れまくっているに違いない。
旧ソ聯南西部,カスピ海と黒海に挟まれた地域がコーカサスである。周囲を取巻く国々は,北にロシア,ウクライナ,南にイラン,トルコ。カスピ海を挟んで東には,「中央アジアの北朝鮮」の異名をとるトルクメニスタン,世界最大の核実験場跡(セミパラチンスク)を擁する非核国カザフスタン。黒海の向うにはバルカン半島が位置する。
コーカサスは,アジアとヨーロッパの境として古くから多様な人々が住み,今でも民族の展覧会と呼ばれるほど複雑に入組んだ地域である。近代以降ロシアの侵略を受け,スターリンの強制移住政策が民族雑居に拍車をかけた(因みにスターリンはグルジア出身の靴職人の子)。抑えられていた民族運動がソ聯崩潰後に噴出したのも当然で,今もテロや紛争が絶えない地域である。油田があり,油やガスのパイプラインが通る,エネルギー戦略的に重要な地域であることも,問題解決を困難にしている。
この地域はコーカサス山脈によって大きく南北に分れる。南コーカサスはグルジア,アゼルバイジャン,アルメニアの三つの独立国からなる。これらはかつてソビエト聯邦を構成していた共和国が,91年に独立したものだ。これに対し,北コーカサスは今もロシア聯邦に属し,チェチェン,イングーシ,北オセチア,ダゲスタン等の共和国がある。
南コーカサスには,本国の主権が及ばない地域が散在する。民族問題に起因する事態で,アゼルバイジャン内のナゴルノカラバフ(アルメニア人多数),グルジア内の南オセチア(オセット人多数),アブハジアなどが深刻だ。これらを「自治州」,「自治共和国」と呼ぶこともあり,「自治」という語からは,それほど敵対的な感じを受けないが,独自の軍隊をもち,本国に税金も払わず,事実上の独立状態にあるという。その他,アルメニア内にアゼルバイジャンの飛地(ナヒチェバン)があったり,様相は複雑だ。各地でテロが起き,民族浄化の動きもある。
「民族浄化」という言葉には少数民族殺戮のイメージがつきまとうが,必ずしもそれだけではない。要するに地域内の民族を一元化することによって民族間のトラブルに終止符をうとうとすることを指し,追放,住民交換,同化等の手法もとられる。英語では"ethnic cleansing"。90年代のユーゴ紛争に際し,米広告会社が批判キャンペーン用に依頼されて作った語ともいう。もちろん虐殺でなくても,住み慣れた地を追われれば難民が発生し,問題は長期化する。
コーカサス三国にとり,隣国ロシアはいわば旧宗主国。そのロシアは独立勢力を支援するなどこの地の紛争に干与している。三国への影響力を維持したいロシアとしては,南コーカサスにくすぶる民族問題は願ってもない存在だ。調停等を外交カードとして用いて,エネルギー等の政略で譲歩を引出し,欧米に近づきすぎるのを牽制する。もっとも最近のロシアは強硬で,今回のグルジア進軍は新たな冷戦を引起しかねない。
南とは対照的に,北コーカサスの民族問題はロシア自らが抱える問題である。チェチェン紛争に代表されるように,いくつかの民族が分離独立を目指している。ちょうど七年前に,「テロとの闘い」という大義を獲得したロシアは,チェチェン武装勢力をテロリストと呼称し,弾圧を一層強化した。国際社会の批判が小さかったことを見ると,実質はどうあれ「大義名分」の果たす役割は極めて重要である。国家というのは随分とえげつないことをする。ロシアは,反体制的ジャーナリストの暗殺や,モスクワでのアパート爆破等,一部のテロに干与していると噂される。爆破テロを自作自演して,これを独立勢力の仕業とすれば,侵攻・鎮圧の良い口実になるというわけ。プーチン恐るべし。
親ロシアの北オセチアで300人を越す犠牲者が出た小学校占拠事件も記憶に新しい(04年)。この惨劇の背景には,侵略者ソ聯に迎合しスターリンの強制移住を免れたとかで,オセット人が他民族から嫌われていることもあるらしい。民族自決の要求をロシアに認めさせるべくテロ攻撃をするのだが,それなら地理的にも近い,憎き北オセチアを狙えという話だろう。もちろん,民族問題とはいえ,民族内の指導者が必ずしも一枚岩であるわけではない。チェチェンの独立派にも過激派から穏健派まで多様だし,独立を目指さない親ロシア派だっている。ロシアは親ロシア派を支援することで,自身があからさまに介入することを避けることもできる。チェチェン紛争では,戦死ロシア兵の母たちを中心に反戦の機運もあり,「チェチェン問題のチェチェン化」も進んでいるらしい。要するに傀儡政権を樹ててチェチェン人同士でやりあうようにしむける。なんだか70年も前の話のようだが,歴史には進歩ってないのだろうか。
南コーカサスへの諸外国のアプローチもよくまとめられている。三国は歴とした独立国であり,ロシアの影響が大きいとはいえ,経済的・政治的に欧米やイラン・トルコなどとも関係が深い。三国中でもアルメニアの対外関係が特色あって興味深い。
周囲にイスラームが多い中,アルメニア人はキリスト教(アルメニア教会)を信仰する。かつてローマ帝国版図であったためか,ヨーロッパ意識が強く国際的。本国の人口は少ないが,世界中に多くのアルメニア系移民がいて,「ディアスポラ」(もとはユダヤ人についての言葉)と呼ばれる彼らは各国で大きな力をもつ。彼らの政治的はたらきかけは「アルメニアロビー」といわれ,米仏などのコーカサス政策を左右する。アルメニアは隣国と概ね仲が悪く,特に西接するトルコとは,大きな歴史認識の相違を抱える。それはオスマン朝末期のアルメニア人大虐殺で,加害者とされるトルコはこの事実を認めていない。フランスでは「アルメニア人大虐殺否定禁止法」が可決されたとか。ロビー活動ってすごい。
トルコとの間にはこんなよくできた話もある。アルメニアの国旗にはアララト山が描かれているが,この聖なる山はトルコ領。はた迷惑なトルコは,自分の物でもないのに勝手に国旗にするなと難癖をつけたそうな。アルメニアの反論は,「おまえとこだって,国旗に月や星を描いてるじゃないか!」ホントの話かなぁ?
あまりまとまらないが,まだまだ不安定なこの地域,今後も注目していきたい。