非常に詳細で、現代でも参考になる内容です。
2022/10/17 09:42
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
古代ギリシアでは、どんな政治が行われていたかを説明した1冊です。
読んでいて、古代ギリシアという大昔の話をよくぞここまで調べ上げたものだ、歴史研究ってすごい、思わず感心するほど内容は非常に詳細でした。
また、古代ギリシアの政治は、現代でも遜色なく参考になることに気付きました。読み終わり、視野が広がった、読んで良かったと思いました。
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”近代民主主義の基本が「代表する」ことにあるならば、古代民主制の基本とは何か?それは「あずかる」、あるいは「分かちあう」ことであると思う” p237
と本書で強調される古代ギリシャ人の政治参加のあり方に、とても共感しました。
「基本的人権」「個人主権」「自由意志」といった観念が形成される以前の人類社会のあり様を、近現代の視点から断じることが、いかに視野狭窄であるか。
”意思”や”権利”が個々人に根差すのではなく、世界全体(cosmos)のなかに根差しているという思想(理論的体系的にはその後のストア派の思想が参照される)が、今日の公共性、社会倫理を考えるうえで十二分に参照されてよいと思います。
本書で知った「アムネステイア」(「記憶の抹消」の意、英語アムネスティーの語源)という言葉が、とても印象に残りました。30人政権の恐怖政治の後、改めて共生の道を模索するなかで「大赦玲」に踏み切ったアテナイ。復讐の連鎖を断ち切るという非常な困難をともなう方法へ向かう人々の勇気を見いだせた。
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古代ギリシアで民主的な政治が行われていたということについて柄谷行人を読んだときから非常に興味があった。古代イオニアにおけるイソノミア、そこは自由と平等が両立するユートピアのような世界だとイメージしていた。もっと詳しく知りたかった。本書を読んでイメージはがらっと変わった。なんともどろどろしている。暴力は多発していた。繰り返し戦争をしている。民主政から僭主政や寡頭政へと次々と仕組みは変わっている。それでも、2500年前に民主政は確かに存在していたし、存続させようとしていたのだ。不正行為が行われにくくする仕組みが巧みに考えられている。陶片追放などという仕組みがあったことは初めて知った。何よりも少数の人間に権力が偏らないようにと、持ち回りで政治が行われている。そして、本当に多くの人々が政治の場である民会に頻繁に集まっている。もちろん日常のこまごました仕事は奴隷に任すことができたという事情はあっただろう。しかしそれを差し引いても、よくまあ集まって議論をしたものだ。私も、今年度、自治会長をしているが毎月区の協議会に1時間ほど参加するのもおっくうである。他の人たちも、早く終わってほしいから余計な意見を言う人がいようものならみんな舌打ちをしている。そう、他人ごとだから興味もわかないし、楽しくもない。楽しくなければ続かない。だからきっと政治はもっと自分ごとで、議論が楽しい場でなければならないのだろう。大人数なので自分の意見を述べる時間はそれほどなかったかもしれない。きっと、何人か代表の意見を聞いて、近くにいる人といろいろ意見を交わしたことだろう。そうやって盛り上がるのがきっと楽しかったのだろう。祭り気分だったかもしれない。だから、月2回とかでも遠くから歩いてでもやってきたのだろう。さあ、ここで一つ疑問な点がある。それは、やはり最終結論は多数決で決められていたということなのだと思うが、結局少数意見は切り捨てられていたのだろうか。並行して「子どもたちに民主主義を教えよう」(工藤・苫野)を読んでいたので、その点が気になってしまう。それから、歴史的に見て、この古代ギリシアの民主政は否定的にとらえられてきたのだという。いわゆる衆愚政治ということなのだろう。ソクラテスを死刑に追い込み、プラトンが否定した民主政なのだからそれも仕方のないことかもしれない。しかしそれがここ数十年における考古学的研究によって覆されてきている。その事実こそが本書のおもしろさでもあった。著者は軽く見てきたように2500年前の様子を語っているが、おそらく相当多くの碑文と呼ばれるような文章を読み込んできた上での話なのだろう。そう考えると歴史研究というのも本当に大変な作業なのである。頭が下がる。
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図書館の新着コーナーで手に取った。
紀元前5世紀から数世紀にわたるギリシアの民主政について簡潔にまとめられている。
当時のギリシアでも人口が5万人ほどという、いわゆる当時の国家単位(?)である「ポリス」における政体ということだ。当時としてはギリシアの民主政は異彩を放っていたということだ。僭主政に脅かされながらも何とか維持していた政体も、ローマの共和政により終焉を迎えてしまう。
そんな民主政を哲学者ソクラテスもプラトンも衆愚政治と言って憚らなかったという、この身の浅学を反省する機会となった。当時でいう「デマゴーグ」であるとか、今の「ポピュリズム」というのは確かに「感情」に流される危うさがある。が、一方で「賢人政治」にしても、いまの国家規模での中央集権的な政体は「腐敗」の温床をつくってしまうし。
たまたま本著に出会ったことで、今ざわついている政体のあり方について考えるよい機会となった。
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現代民主主義のあり方に限界が来ているのは誰もが感じていると思う。今のやり方でいいのか?と。
そんな時代に引き合いに出されるのが、古代ギリシアの民主政だ。ここでは明らかに持ち上げ過ぎだけど(もちろん狙ってそう書いている)、現状の政治システムを見直す機運のきっかけになる一冊だし、そうなって欲しい。
ただギリシアの直接民主政って、そもそも参加できる人間が限られていたんだよねぇ。そこはあんまり知られてないけど。
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目次
はじめに
第1章 民主政の誕生
第2章 市民参加のメカニズム
第3章 試練と再生
第4章 民主政を生きる
第5章 成熟の時代
第6章 去りゆく民主政
おわりに
あとがき
図版出典一覧
関連年表
主要参考文献
概要
橋場先生による、古代ギリシアの民主政治についての通時的概説書。最新の研究に基づき、民主政治が生れたアテナイの歴史の歩みと、アテナイを通じてペロポネソス半島のアルゴスやシチリア島のシラクサなどのポリスに伝播した民主政治の様子を描いている。
本書のモチーフは、著者が明言するように、ソクラテス裁判などを理由にアテナイの民主政治を「衆愚政治」と呼ぶ、プラトン以来のヨーロッパの知的伝統や、奴隷制を理由にアテナイの民主政治を批判する近現代の左翼思想の反批判にあるが、その試みは半分しか成功していないように感じた。
というのも、古代ギリシアの民主政治への批判は、19世紀半ばまで欧米でも一般的だった奴隷制のみならず、女性の権利の制限についてもなされており、しかも古代ギリシアの民主政ポリスの女性の権利制限は、市民権という概念に基づいて行われていたからである。奇妙なことに、本書ではこの事実については触れられていない。そのため、以下に引用するような、古代シュメールの都市国家では、古代ギリシアの都市国家よりも女性の社会的地位が高かった(例えば法廷に出る権利があった)ことなどについて、残念ながら著者の考えは示されていない。
“ 姦通についても、ウルナンム法典第七条に「もし人の妻がほかの人に従い、ともに寝たならば、女は殺される。その人は自由である」とあるように、女性のみが罰され、家を担う男性は罰されない。
古代ギリシアのポリスでは、市民の権利が明確になったことに反比例して、女性は社会的権利を狭められた。女性は家長に服するという点で奴隷と同じく家内的存在であり、私的な家庭内で主人として振る舞いえても、市民社会に生きる者ではなかったとされる。
前三千年紀メソポタミアの社会において、ギリシアと同様に女性の社会的地位が低かったかといえば、一概にそうとはいいきれない。ウル第三王朝時代の文書に、女性が財産を保有し、その保全のために出廷し争った記録がある。一つの裁判文書を示す。
寡婦となった女性が所有する家宅と奴隷について、息子が、それらは父の遺産に含まれるので、父の相続人である私に所有権があるとして、法定に訴えた。裁判のプロセスは概略次のようであった。訴えられた寡婦の家宅は、寡婦からいえば夫、息子からいえば父が関与することなく、彼女が自らの銀で購入しており、家宅購入証書も存在した。そのことを彼女は法定で証言した。奴隷については夫から贈与されたものであり、証拠となる証書も存在した。奴隷贈与を証言する証人も出廷した。提訴した息子は、彼女に有利な証言をした証人の言葉を認めた。逆に、息子の提訴理由について、息子側の証人たちは確認の証言をしなかった。それによって、彼女の家宅と奴隷の所有権は確定した。
この裁判は、寡婦となった女���が自らの資金でおこなった、家屋を購入するという経済活動を認めている。夫から贈与された財産の内容に関して、この女性は夫から奴隷を贈与されていた。ウル第三王朝時代〈←214頁215頁→〉の文書によれば、夫から妻に、家畜や奴隷、それに貴金属を贈与する例がほかにも知られており、娘に土地を分与する例もある。
女性が土地を含めた財産をもち、それを維持するために公的な場である裁判に出廷することも辞さなかった。女性の地位が社会的に認知されていたといえるが、ただし、それによって前三千年紀メソポタミアの女性の社会的地位が高かったといえるかどうかは、にわかに判断できない。メソポタミアの女性がある程度の社会的活動を許されていたのは、女性の権利が保護されたというよりも、ギリシアと異なって、厳密な身分規制がゆきわたっていない「市民権なき自由民」が中心となっている社会での、個別的な現象であるとみるのが妥当だろう。”
(前田徹『古代オリエント史講義――シュメールの王権のあり方と社会の形成』山川出版社、2020年10月30日1版1刷発行、214-215頁より引用)
また、後世のアテナイ民主政治批判は、決してソクラテスを死刑にした「衆愚政治」ということについてのみ言われている訳ではない。アテナイよりもスパルタの方が女性の地位が高かったことや、軍国スパルタよりもアテナイの方が好戦的なポリスだったことについても言われているのである。
“ 逆説的なことに、民主政を敷くアテナイよりも閉鎖的な軍事社会であったスパルタにおいて、女性たちは自由で自立していた。スパルタでは、少女たちは短い軍用キトンを着て運動場でスポーツをしたし――“太腿を丸出しにした女たち”と、ほかの町のギリシア人たちは眉をひそめて呼んだものだ――、特別〈←104頁105頁→〉な祝祭のときには全裸で踊った。既婚女性は公の場に自由に出入りできたし、男性と同様に財産を所有・贈与することができた。息子の出陣にさいして名誉ある“盾渡し”の儀式を厳粛に行ない、かの冷徹な教え――≪これを携えて、さもなければこの上に乗って(戻りなさい)≫つまり、戦いを放棄するぐらいなら、死んで祖国に戻りなさい、という意味。戦死した兵士の遺体や負傷兵は取っ手に槍を通して担架のようにした盾に乗せ、戦友たちが祖国に連れ帰る慣わしだった――を授けるのも彼女たちの役目だった。
スパルタにおいては、父系社会ではきわめて珍しいことに、女性たちの教養が大変高かった。そのことは、プルタルコスのおかげで一部が伝えられている『スパルタの女たちの箴言集』と題した作品から知ることができる。ここでは、スパルタ女性たちのおかれた環境を示唆する、ひじょうに興味深いエピソードを紹介しよう。イオニア地方のギリシア人たちの使節団がスパルタ王クレオメネスに援軍を要請するため、スパルタを訪れたときのことだ。王は四つん這いになり、娘のゴルゴを背に乗せて歩きまわっていた。それを見て驚いた使節たちに、王は言った。「異国の客人をお迎えするのにふさわしくはないことはわかっている。しかし、諸君も人の親ならわかってもらえると思う」このエピソードから、スパルタでは、幼いころに家族のもとを離れ兵舎暮らしを始める男の子よりも、女の子のほうがはるかに両親から愛され、かわいがられていたことが想像できる。オリュンピアの競技大会の四頭立て戦車競走に出た馬たちの所属する厩舎のいくつかは、女性がオーナーだったこともわかっている。アスコットの競馬場で英国の女王や貴婦人の所有する厩舎のサラブレッドが走っているように、当時も女性のオーナーたちの馬が活躍していたわけだ。”
(ヴァレリオ・マッシモ・マンフレディ/草皆伸子〔訳〕『アクロポリス――友に語るアテナイの歴史』白水社、2002年11月、104-105頁より引用)
“ 「ひとつ、わからんことがあるんだが。どういうわけで、古代ギリシアでは役割が逆転していたんだろう。アテナイ人のような民主主義者たちのほうが好戦的で、寡頭政治を行なっていたスパルタ人のような守旧派のほうがいつも平和への道を求めていた。どういうことなんだね?」
「理由はひとつしかないと思う。いかにも、きみの大好きなソフィストたちが言いそうなことなんだけどね。つまり、こういうことなんだ。人間は自分が得をすることをする。イデオロギーなど問題ではない。言い換えれば、アテナイ人たちにとって、戦争は戦艦の漕兵たちがもらう給料、造船所や武器製造工場や軍事物資供給業者が得る利益、奴隷商人が濡れ手に粟で手にする莫大な富、原住民たちを追い出して作った軍事拠点に駐屯する者たちがただでもらえる土地を意味していたんだ。ようするに、支払いをしてくれる“帝国”があるかぎり、戦争はじつに儲かるビジネスだったというわけさ。スパルタ人たちだって、心の優しい平和主義者だったとは考えられない。ただ、彼らにとって、戦争はやっかいなことでしかなかったんだ。“やっかいな”というよりは、“なんとしても避けたい”と言うべきかな」
「だけど、スパルタ人というのは子どものときから戦闘訓練ばっかりしていたんじゃなかったかね?」
「そこなんだよ。だからこそ、戦争の怖さを誰よりもよく知っていたのさ。でも、それより重大なのは人口問題だったんだ。軍籍をもつ市民階級は定員制だったし、土地を所有している者にしか共同食堂の給食費や武具などの維持管理費を賄うことができなかったからね。多くの子どものあいだで土地が分割贈与され、数世代で財産がすっかり散逸してしまうのを防ぐために、厳しい出産制限をしていたんだ。戦争は兵士階級の弱体化、ひいては町の衰亡を意味していた。スパルタ人にとって、人口問題は寝ても覚めても頭から離れない大問題だったんだ。……”
(ヴァレリオ・マッシモ・マンフレディ/草皆伸子〔訳〕『アクロポリス――友に語るアテナイの歴史』白水社、2002年11月、256頁より引用)
この件についても奇妙なことに著者の考えは示されていない。著者は、ルネサンス以来の西洋の知識階級の大衆蔑視を伴うエリート主義から始まる流れと(本書229-232頁)、奴隷制を理由にアテナイを批判するマルクス主義の流れ(本書233頁)を、思想界の「反民主主義の伝統」の潮流として挙げている。しかし、上記引用部で示したように、アテナイよりもスパルタや古代シュメールの方が女性の地位が高かったことについては、民主政治の主体となる「市民」についてのアテナイ人の理解が投影された結果であるし、現実政治において、アテナイは決してスパルタよりも平��的に振る舞った訳ではない。私は本書を読む前に、これらの点について著者がどのように回答しているのかが気になっていたため、私の読解力の不足かも知れないが、その答えを見出せなかったのは残念な読後感であった。
なお、最後に、リビアの革命指導者カダフィ大佐は、古代ギリシアの民主政治を20世紀に復活させようとして、「ジャマーヒリーヤ」体制という世界でも類を見ない革命体制をリビアに築き上げたが、この体制について著者がどのような意見を持っているのかも知りたかった。多くの観察者が見ているように、直接民主主義を打ち出しながら、肩書としては一介の大佐に過ぎない革命指導者のカダフィに強大な権力が集中するリビアの政治体制と、「一〇人の将軍の一員にすぎなかった」(本書166頁より引用)ペリクレスが多くの決断を下していた古代アテナイの政治体制はどれほど異なっていたのか。「古代アテナイ人がもし今日の議会政治を目にしたならば、それを民主政ではなく、極端な寡頭政と見なすであろう。彼らにとって統治の主体とは代議士ではなく、市民自身だったからである」(本書237頁より引用)との著者の思いには私も賛同している。上記で古代シュメールやスパルタがアテナイよりも優れていたと思われる点について書いたものの、私自身としてはアテナイ人の直接民主主義を今日に活かすべきだと考えるものとして、議会政治や政党を否定して直接民主主義を打ち出したカダフィ大佐の実験について、著者がどのように考えていたかは興味が尽きない。
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古代アテナイについての優れた概説書。
塩野七生氏の物語や伊藤貞夫氏の概説書をとおして、古代ギリシア史についてある程度知っている方が読むことにも耐えると思う。
(むしろ、そういう方こそ、今まで馴染んできた話との違いをとおして楽しめるかもしれない)
古代ギリシア史は、圧倒的な文字資料が残っているアテナイを中心にした記述にならざるをえない。その状況は、ここ数十年で考古学的知見が大量に取り入れられるようになっても変わらない。
そして、アテナイは、土地や人口の規模が類を見ないほど大きな都市国家であった。そんな例外的な存在をもとにして、古代ギリシアの全体像を描かなければならない。そのため、アテナイと古代ギリシア全体とをバランスよく見通すことは難しい。
しかし、本書は、古代ギリシアの民主政というテーマにおいて、それに成功しているように思える。
アテナイ民主政の成立にも影響したアテナイの特殊的例外性を考慮する一方、
アテナイにおける民主政のノウハウが他の都市国家に影響した考古学的な痕跡に言及して、古代ギリシアの他の民主政との関連も視野に入れている。
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古代ギリシアの民主政について、最新の知見に基づいて書かれた概観書である。古代ギリシアにまったく詳しくないため僭越ではあるが、とてもよくまとまっており、おもしろく読めました。
古代ギリシアにおけるポリス群も出てくるが、本書における主役はやはりアテナイである。アテナイにおいて、どのように民主政が生まれ、盛衰を繰り返しながら、歴史のなかに溶暗していったかが書かれている。
本書の終盤でも触れられているが、思想史にすこし詳しい方なら、いかに民主政が嫌われてきたかを知っているかと思う。それは、民主政を衆愚政治と捉えたり、君主制や貴族制が支配的であったり、最終的にアテナイがローマに支配されたこともあってアメリカやフランス革命がローマ共和政を範としたり、ソクラテスの処刑やプラトンの民主政批判が影響していたり、理由は様々である。現代の民主主義は恐ろしく歴史が浅い。
われわれが馴染みのある民主主義は間接民主主義だが、アテナイの民主政は直接民主主義である。代議制などといったまだるっこしいことはせず、抽選で選ばれた民衆たちが政治の意思決定をし、権力の行使をする。
そのため、本書でも個人名が頻出する。陶片追放(現代でもなぜ行われていたのかはっきりとはわからないようだが、特定の人物を投票によってアテナイから10年間追放する制度である)の話では、追放された人物たちもほぼ判明しているらしいが、なかにはなぜ追放されたのかわからない人物もいる。(おひとよしのメノン。特に有名人でもないらしく、いくつもの陶片にわざわざ「おひとよし」と書かれているらしい。おひとよしなのに、なぜ追放されたのかもよくわかっていない)
民主政とタイトルにあるが、抽象的な概念の話は少なく、固有名詞で話が進んでいくので具体性をもってイメージができ、わかりやすいと思う。