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安倍晋三元首相の暗殺事件で再び注目を集めるようになった「旧統一教会」。
「合同結婚式」というよくわからないイベントを行っている、キリスト教系の新興宗教、というようなう印象しかもっていなかったのですが、「カルト集団」というものの恐ろしさを知って愕然としました。
確かに、日本には「信教の自由」がありますから、個人個人がどのような宗教を信仰しても、それが「公共の福祉」に反しない限りは自由です。
しかし、その過程で「洗脳し、強制的に入会」させたり、「恐怖心を煽って(霊感商法などと呼ばれますが)高額な商品を購入」させたり、信者に高額の献金を要求して過程を崩壊させたりすることは、「自由」にしてはいけないのだ、と改めて感じました。
特に、本書の筆者は「カルト二世」で、親が信者になったため、その勧めを受けて入会することになりました。
「親から見放される不安」や「親の期待に応えたい」という子供の心理がありますから、親の主張に真っ向から異を唱えることは難しく、そのまま統一教会に取り込まれて悲惨な生活を送ることになります。
人間だれしも悩んだり落ち込んだりすることはありますし、その際に宗教(信仰)が心の平安をもたらすこともあるでしょう。けれど、宗教にのめり込むことで、実生活や周囲の人を傷つけ、巻き込み、不幸の連鎖を広げていることもあるのだということは自覚しなければならないでしょうし(洗脳を受けている間は不可能だが)、「過去の(先祖の)行いが悪かったから現世の苦しみがあるのだ」という思考回路では根本的な問題の解決にはならない、ということに気づく(気づかせてもらう)ことが必要なのだな、と改めて感じます。
また、筆者も言及していますが、カルトから脱会することがゴールなのではなく、そこはあくまで「スタート地点に再び立った」ということに過ぎません。カルトを信仰していた期間に失ったもの、という「マイナス」をかかえて生活を作り直してゆくことは並々ならぬ努力が必要となりますし、それを成し遂げた筆者に尊敬の念を抱きます。