自死者を葬送する
2023/03/21 23:31
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投稿者:令和4年・寅年 - この投稿者のレビュー一覧を見る
自死者が遺した物に取り込まれていく。生きている者は、死者のことを考える。何度も繰り返して。コロナ禍で希薄化した死者を葬送することの意味を台湾の葬儀で考えさせられた。
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過去の台湾の歴史にもふれ台湾での日本との風習の違いなど知らないことばかりあなたも読んで深く感じて下さい。
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生と死。
続いていく生と、その先でたどり着く死。
それは絶対的なものでありながら、
その捉え方は異なる場合もある。
様々な視点、観点から台湾に触れ、
固まった思考が色々なきっかけで流れ出し、
価値観が騒ぎはじめる。
この作品にはそんなスイッチがあって、
読み進めるうちに起動するシステムがある。
私たちそれぞれのパレードに想いを馳せる。
思考が深い場所を巡り、
ひとつひとつを繋げていくうちに、
魂の音が重なり合う。
しっとりと心を揺さぶられる作品です。
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台湾と日本
かつて、日本が統治していた歴史がある。
その中で、湾生と呼ばれる統治時代に台湾に生まれ、第二次世界大戦後に日本に引き揚げられた日本人たちがいる。本作の主人公の祖父もその湾生の一人だった。
祖父の葬式のために、久しぶりに故郷に帰った主人公だったが、どこか雰囲気の違う葬式に戸惑った。参列者が母と叔母だけで、執り行われていたから、その原因は、祖父の自死にあったから。
祖父のルーツを辿るべく、台湾に向かう主人公は
そこで、何を感じ取るのか、何故自死に向かったのか、死生観を考えさせる、生と死、両方の側面から見た作品でした。
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『ふと、私の首が、私の叫びとともにスポットライトの中でごとりと落とされたら、ここにいるたくさんの人たちはどうふるまうだろう、と妄想する。事実このときの私は、たくさんの人たちの前で斬首される受刑者とたいして変わらないと思えた。私が自分の作品の一部、創作活動の一部として自分の死を差し出すふるまいをしたなら、この場の人たちはどうそれを鑑賞するんだろう。などと考えながら、にもかかわらず、曖昧で無毒な困惑の笑みを浮かべながら、拍手と光に満ちる舞台にずっと立っている』
保坂和志なら、これも(こそ)小説というだろう。けれど、一般的な意味で小説にプロットを期待するなら、これはその期待を裏切るだろう。しかし高山羽根子の書くものに(初期の作品はともかくとして)判り易い筋書きを求めるのがそもそも、筋違い、ということなのだ、と考え直す。
それにしてもこの作品は小説というよりも随筆のような趣があって、ともすれば主人公に作家本人を重ねてしまいそうになるのだが、書かれていることと言えば、表現することにまつわるもやもやとした思いであったり、閉塞的な地方や古いしきたりへの感傷であったり、民族間の文化の相違や類似から派生する取り留めのない感慨であったり、死にまつわる思いや死生観のようなものを巡る感情であったりと、自由に逸脱する思考のオンパレードだ。それを面白いと思えるかどうかについては、案外と個人差が出るかも知れない。例えば、前出の保坂和志や柴崎友香の小説を面白く読める人であれば、きっと高山羽根子のこの新作も面白いと思うに違いない、くらいは言っておいてもいいだろうか。
もう少し個人的な趣味で言うと、堀江敏幸のちょっと嘘くさいエッセイを思い出したりもするのだけれど、堀江敏幸といえば上手な嘘に巧みな伏線回収というイメージがあるのに対して(あくまで個人の感想です)、この高山羽根子の散文には回収される伏線じみたものがほとんどない。主人公の祖父の死、美大の同級生の死、バイト先の知り合いである美術を学ぶ台湾人の父の死、あるいは異国で出会う正体が知れないまま消えてしまう人物と、断ち切られたものが残してゆく幾つもの謎は提示されるのだが、それに答えることに費やされる頁数は極端に少ない。思えば「如何様」でも「居た場所」でも、断ち切られた後の余韻や残像に余計な言葉を添えないのがこの作家の特徴でもある気がする。そして、どこで読んだのかは忘れたけれど、以前保坂和志が何かの対談で「男と女が出てきたらどこかでセックスするみたいな、判り易い話は書きたくないんだよね」と言っていたのを思い出しもする。要は、全ての謎が解かれなければならないという思い込みこそが物事をつまらなくするのだ。読んで何だか頭の中が掻き回された気になるというのが、保坂和志のいうところの小説というもので、だとするとこの作品は実に小説的な小説だとも言える。
そう言えば、最近こんな風に不意打ちを喰らった小説を読んでいなかったなあ、と独りごちる。
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台湾の文化にまつわる部分が興味深かった。
ブクログの感想で、どなたかが「伏線が回収されないところが高山作品」と書かれていて正にその通りで、そういう読み方の小説ではないです。
最近こういうタイプの本を読んでいなかったせいか、はたまた加齢のせいか、最後の数ページは飽きて読む気が失せてしまい、どうでもよくなって流し読みになってしまいました。
随所に興味深い文章や考え方があってハッとしたり共感したりして、面白いと思ったんだけど…。
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主人公である芸術家が、祖父の死をきっかけに故郷に戻る。そこで祖父が台湾で生まれ日本に帰った“湾生”であることを知る。そのことから以前アルバイトで知り合った台湾出身の梅さんと繋がり、彼女の祖父の葬儀に招待される。
本書には3人の死と葬儀が描かれているが、主人公は台湾で行われた知人の祖父の葬儀にしか参列できない。なかなかに難解で手こずったが、決して読みにくくはない。
……タイトルの意味はそういうことなのかなあ?
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おもしろい。おもしろすぎた。。
こんなに少ない言葉で、こんなに複雑なことが伝えられるんだ、と、素晴らしい文章がことばが、あふれている。
物語に巻き込まれる、というように、私は主人公として話に没入しました。文章が映像的なのかなぁ。シーンがずっと頭に浮かぶ文章。
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「周到に、慎重に、順序だったシステムで私たちの生のパレードは晴れがましく死へ進む。」
祖父の自死、そこから判明する何も知らなかった祖父のルーツ、祖父のルーツを訪ねて知人を通して台湾という見知らぬ文化の地へ誘われるわたし。台湾の文化や風習を知っていくことで、祖父のこと、友人の死のこと、自身の芸術や美術作品への向き合い方へと思いを巡らせていく。
物語は複雑に、慎重に、静謐に、絡まり合いながら「わたし」の思考は解きほぐされていく。
このように鮮やかに死へと連なる生という名のパレードについて、そのあらましを描けるものなのかと感嘆した。
本書に、台湾では死者が返ってくる鬼月には顔と名前を死者=鬼に知られてはならないという風習があるらしい。
この物語に出てくる登場人物は主人公のわたしを含めてみな、名前はわかっても下の名前や苗字だけだったり、あだ名だったり名無しだったりする。
容姿の描写もなく顔が見えない。やはり意識して書かれているのだろうか、だとしたらなんとも周到なと舌を巻く。
「生きている人が酒を飲み、涙と汗を流すいっぽうで、死んでいる人が水分を失っていく祭りが、お葬式というものだということに私は気がついた。」という文章がやけに印象に残る。事実だからかもしれない。
読了してから改めて表紙を見る。
私たちの生が数々の仕組まれたシステムのうちに存在するパレードであるならば、この表紙は私たちの人生そのものだ。
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公私に渡りバタバタでなかなか本を読むことができなかったのだが、この本が「おい、読むのはいまだぞ」と自宅最寄駅から帰さぬような豪雨を降らせ、私を喫茶店へいざなったのかと思うほどの、今読むべき、どんピシャな内容であった。人の死とは。誰もが生きてきたその道のりとは。高山羽根子さんの本は初めてだったけれど、心満たされる、好きな文章で、他の作品も読みたいと思った。
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祖父が自死して、私はかつて祖父が幼い頃に住んでいたという台湾に興味を持った。
興味といっても、生前の祖父にたいする強い思いがあったわけということでもなく、自分の為でもあったのかもしれない。
昔のバイト先で台湾出身の人と一緒に飛行機で渡った台湾という地で、お葬式を通じて見てきたこと。
かつて一緒に美術を学んだ、死んだ友達のこと、祖父のこと。
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日本と台湾をめぐる死生観を描いた小説。
200ページ弱の中で、それがしっかり描かれていて、静かに埋没するように読むことができた。どの登場人物も淡々とした描写のみに押さえられていて、独特な雰囲気を醸し出すような感じだった。
「台湾は昔からいろんな人が来て住んでいますから、産んだり、育ててくれたりした人のほかにも、まわりまわって世界の中でお世話になっていると考える人は多いです。あらゆる場所に縁があるというな。ですから、自分とは直接に関係ない人に対しても、この時期におもてなしをするんです」(p.83)
「大きな駅を離れ、建物や車や人が減るにつれめ、線路のそばに生えている木が大きくなり本数も増えていく。街中でも感じていたのと同じで、日本の風景と似ているようで、ずいぶんちがっている。幅広のヤシの葉とかそういうものが線路やその上を通る車両に触れながら、時に列車にすべてを取りこんでしまうほどの勢いで育っている。流れていく田んぼや畔、そこに生える稲も一本一本、すべてが日本とちょっとだけちがう」(p.106)
「生と死のあるこの場所は、においと音楽で満ちている。微細なその粒子は私の周囲で絶えず動き続ける。逆を言えば、生と死がある場所である以上、そこは自然に、においと音楽で満ちる」(p.169)
「周到に、慎重に、順序だったシステムで私たちの生のパレードは晴れがましく死へ進む」(p.174)
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台湾が出てくるお話だと知らずに読んでいたけど、大好きな台湾が出てきて嬉しかった笑
主人公がいったいどんな作品を作る人なのか、友人がどういう仕掛けで亡くなってしまったのか、文章しかないので想像で読むしかないのだけれど、そういう想像する余白がたくさんある作品だなぁって思った。
台湾また行きたいなあ。