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スウェーデンの群島のひとつの小島に住むフレドリック・ヴェリーン、71歳。フレドリックの家が全焼したというところから始まる。全てを失ったなかで感じる孤独。この先どうすればいいのかという不安の日々に出会ったリーサという女性。リーサとなんとか近づきたいという思いや、一緒にいたいという気持ちを持て余しつつも、利己的に振る舞うフレドリック。決して好きになれないような造形の人物なのに、どんどん引き込まれていってしまう。自分の娘との関係や、近くの住民たちとの交流の不器用さがいいし、もっとフレドリックという人を知りたくなっていく。だからこの物語が著者の最後の作品というのが残念でもある。この文章、世界観がとても心地良い。〈ヴァランダー〉シリーズもそうだけどとても印象深く思い入れの深い作家さん。
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私フレドリックは70歳、医師をしていたが手術の失敗から引退して、祖父母の所有していた小さな島に一人住んでいる。がある未明、家が焼けてしまう。警察が調査にやってくると、火は放火で私が放火したのではと疑いをかけられてしまう。放火は一体誰が? 物語が進むと同時に私は若いころのことを折にふれて思い出し、だんだんにフレドリックのこれまでの暮しが読者にわかってくる。
若い頃パリに住んだ、楽器の修理を習った、など「流砂」で読んだマンケル自身のエッセイとも重なり、フレドリックに自身を重ねているようにも、またヴァランダー警部、バランダーの父にもフレドリックが重なって見え、フレドリックはマンケル自身と自らが想像したキャラクターの集大成みたいな感じがした。
スウェーデンの本土からほど近い群島。この群島暮らしの描写にも惹かれる。スウェーデンの群島はヴィヴェカ・ステンの「静かな水のなかで」を読んだ時に語られていて、そこでは群島を回る警察、というのがあったがここでも出てきた。島と島を自分のボートで自在に行き来する。自分で行けない時は誰かが本土や他の島に連れて行ってくれる。
また、フレドリックは娘の窮地を救うためパリに行くが、そこで行き交う人の中で自分が一番年上だ、という部分がある。これは近年自分でも感じる時があり、これは老年文学か? なんても感じた。
これがマンケル最後の作品。マンケル自身は最後まで仕事をしていたわけだが、年をいった一個人がどう過ごしているか、どう考えるか、それが静かに語られている。
火事のあと、長靴を履いて逃げたが両方左だった。新しい長靴を本土に頼むのだが、なかなか来ない。長靴はおしゃれな外国製ではなく、スウェーデンに昔からある銘柄の「スウェーデッシュ・ブーツ」がいいんだ、とフレデリックはいう。
「イタリアン・シューズ」の続編であると同時に独立した作品である。また前作の8年後を想定している。と扉にある。
2015発表
2023.4.14初版 図書館
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2015年に亡くなったヘニング・マンケル氏の最後の作品。
これでもう、彼の本を読み続ける楽しみは無くなってしまったのだけれど残された本を再読してゆくじんわりとした楽しみが私には残されている。
相変わらず情けない老境にさしかかった男が主人公で、この本は自身ががんに冒されていることを呑み込んだ上で書かれているので、
「老いること」そしてその先の「死ぬということ」を真に迫って読むことが出来る。
スエーデンの群島でおきた火事や、馴染みの浅い娘との交流、(年がいもない)恋愛への妄想もリアルな表現。
『イタリアンシューズ』の続編だけど登場する靴のその差は大きい。
ミステリーとしてのストーリーだけでなく、現代のヨーロッパ全域に渡る問題提起もしてくれる。紛争や貧困、障害者や格差や移民問題。
ヴランダー刑事シリーズの時に教わったアパルトヘイトも思い出す。
この作家さんをあまり知らずにこの本を手にした読者の人の中には情けない男…という印象ばかりが残るかもしれないけれど、生涯を文章を通して読者に社会問題を投げかけてくれた彼に深く頭が下がる思い。
エッセイ集「流砂」にも描かれていた死生観をもう一度、紐解きたくなる。
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ヘニング・マンケル最期の作品なので、
読んでみたけれど・・・このテンポ・・・
『北京から来た男』を読んだときに感じたとの同じで、
読むテンションを維持できない。
苦手ではないけれど長く感じてしまう。
『イタリアン・シューズ』を読まずに
本作を読んだことと、
ストックホルム群島をイメージしていたのがいけなかったかな。。。
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スエーデンの小島に住む老主人公の家が火災になったところから物語ははじまる。
全てを失った老人の孤独が、晩秋の群島の描写と重なり胸に迫ってくる。私なら絶対に好きになれない描写の主人公だが何故か引き込まれてしまう。ささやかな日常と連続火災事件の対比ももの悲しい。イタリアンシューズの続編。
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死を目前にした人間が一瞬にして自分の人生で起きたことが走馬燈のように浮かぶという、あれ。または、老人性による認知症の人間の夢かうつつかわからない話を読まされているという気持ちで読んだ。作者のヘニング・マンケルがこれがスウェーデンで出版されてからまもなく亡くなったという情報が意識にあったせいかもしれないが。
最後、
「だが私はもはや暗闇を恐れてはいない。」
ってポジティブなトーンで終わる。このことばはやっぱりマンケル自身の想いが反映されいるんだろうな。そうでなければ何?
『イタリアン・シューズ』の続編、CWAインターナショナルダガー賞受賞と知り読んだ。これには2つの誤算。
1. 『イタリアン・シューズ』を読んでいなかった。『タンゴステップ』と勘違いしていた
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人生終焉前の寂しさと恐怖… 価値観の偏りや歪んだ欲望の醜さが悲しい #スウェーディッシュ・ブーツ
■きっと読みたくなるレビュー
既に現役の医者をリタイヤして、静かに暮らしている主人公。しかし胸に秘めた人間性は、なかなかのキモさと偏見で形成されている。
年甲斐もなく色恋沙汰を期待したり、嘘をついたり、人の領域に土足で踏み込んだり…
動機は自らの寂しさや恐れからの回避なんでしょう。人生を悟るべき年齢にもかかわらず、あまりにもカッコ悪い。正直読んでいると嫌な気分になってくることも多々あります。
しかし、気持ちは痛いほど分かる。
私も年齢を重ねてきました。どんなに頭でわかっていても、価値観の偏りや歪んだ欲望を正規化できないことがあるんですよね。ただ甘えたいだけなんです。
主人公が過去のことを思い出すシーンが度々登場するのですが、これが胸に沁みるんです。私も人生を重ねれば重ねるほど、遠い昔のことを思い出すんですよ。まるで昨日のことのように明確に。
楽しい思い出ではなく、むしろ何でもない日常のことや不安だったことが目に浮かぶ。読めば読むほど彼の人生に引き込まれてしまうのです。
そして人生の終焉にある、目に見えない境界線の向こう側に行く恐怖。どうすれば死を学ぶことができるのか…私も知りたい。
マンケルの遺作である本作ですが、作者の苦しみとむせび泣きが聞こえてくるようでした。
また本作の謎解き要素は、放火犯が誰なのかを探っていくことになるのですが、これもただただ切なくなる真相です。
強く、正しく、人に優しく生きるべきなんて正論は、いくらでも言えます。世界から忘れ去られた人間の悲しみ、たどり着いてしまった孤独の闇は、まさに死の恐怖と重なるのです。
■ぜっさん推しポイント
自分の不利益になっても、価値観と違っても、面倒でも手間でも、人の不幸を受け止めてあげる。どんなに弱い人間でも、唯一できる愛情表現だと思います。
物語の後半、リーサが過去の痛みを初めて語った場面…主人公が行った言動は、悲しくそして許せなかったです。作者からの最期のアンチテーゼとして、しっかりと嚙み締めなければならないと思いました。
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祖父母から受け継いだ小島の木造の家で一人暮らすのは元医師フレドリック。
秋の夜、就寝中に強烈な明るさで目をさましたときあたりは灰色の煙が充満していた。
なんとか逃げ出したフレドリックだったが、家は全焼する。
警察の調べで火事の原因が放火であると判明するが、保険金目当てではないかと疑いをかけられる。
いったい誰が…真相は…となるが
その間、港の店主が亡くなったり、駐車場の持ち主も…。
そしてそのあとも2件の火事で家が全焼となる。
火事では幸いに死者は出ていないが、誰が何の目的でとなるのである。
犯人の目的もわからないが、その間のフレドリックの周辺のジャーナリストや娘とのことが多く心を揺さぶる。
70歳のフレドリックの心のうちも老境に差し掛かっているが故になのか、回想も多く悲哀を感じる。
真実は、彼だけが知っているというのも辛いではないかと思った。
フレドリックが、ずっーとゴム長靴のことを気にしていたのが、なんだか妙にひっかかった。
実用的なものの代表格のゴム長靴に最後まで拘り続けていたなぁと。
これをタイトルにした意味を考えた…。
火事で家が燃えた日から家が再建されるまでの一年間、ゴム長靴はずっと不在のままなのに物語にあり続けるという意味を。
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北欧ミステリの帝王マンケルの最期の作品。
2015年執筆というか絶筆・・67歳という若さで、あっという間に去ってしまった。
子育て期は忙し過ぎて、文字がないと生きていけないほどなのにかぎあいモノ、まして社会派ミステリは読解しうる脳のキャパがなく読めなかった・・のでマンケルを手に取ったのは60歳になって。
直ぐ虜になった。
この作品、前作「イタリアン・シューズ」の続編の呈に感じられるが、フレデリックは70歳・・似ていて非なりのフレデリックである。
「・・シューズ」が続いた題名の意・・訳者柳沢さんも考え込んだとある。予測たがわず、加齢オシャレなイメージの前作と異なり、土臭い武骨な路線を狙ったとあった。
突然の火事の後ほうほうの体のなかで履いた右だけの長靴で始まり、サイズ違いから再注文して、やっとゲットするまでの一年がドラマの舞台・・だからこの題名。
「私は・・」の語り一人称の設定と思いきや、時折、リーサとの場面で「この2人は・・」と書かれていて何かしらの意図があるのか、わからなかったが。
フレデリックと、この30歳以上年下のリーサ(始終、想いを募らせ。。る様が面白いというか)、そしてふぃっと現れ、不機嫌に消える娘ルイース。
それに狭いながらも小島に住む人々の癖のある個性が出たり入ったり。
フレデリックの家の火事の後、放火の嫌疑をかけられ・・しばらくして複数の放火が起き・・放火犯は自ら消えてしまう~鎖をぐるぐるに巻き付け?、船がだれにも見つからない方向に向かった姿は消えた。
サスペンスともいえるけど、かなり時間をかけてゆっくり味わった作風は最後の日記とも受け取れた。
中を流れる河はエイジズム、冬の訪れる気配を秘め、決してそれを恐れぬ強いいすら感じさせる【行動作家 マンケル】の星の輝きにも似ていた。
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放火犯は誰かというミステリーでもあるが、小島に住む孤独な元医師の老人フレドリックの回想と老人性生活への欲望と娘との関係改善に至る日記でもある。
しかしこの主人公はかなり自分勝手な男で30才も年下の新聞記者へのアプローチには正直気持ち悪さが先に立ち彼女がそれをそこまで嫌がらないのが不思議。作者が男性なので仕方ないのかなあ。
犯人は分かったけれど動機がはっきりわからなかったのは残念。
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自分と同じ年齢のマンケルの思いが、重なる。
アーキペラーゴの中の、霧の中に静かにボートに乗って消えた。イエテボリで友人のヨットに乗って同じような岩礁に行きサンドウィッチと白ワインを飲んだ。年に似合わない生々しい思いを抱えて、私も消える。
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ヘニング・マンケル最後の長編小説。マンケル自身ががんの末期であることを承知の上で書かれた小説と考えて読むと色々と考えさせられる。
本作は「イタリアン・シューズ」の続編(時系列のずれはあるけど実質そういうことだろう)で、主人公の外科医崩れフレデリックは相変わらずのクセが強いちょっと根性がヒネくれたクソジジイである。
家が火災で燃え尽きる場面から物語が始まる。前作のタイトルにもなった、イタリアミラノの凄腕靴職人が作ったハンドメイド革靴も金属製のバックルを残して燃え尽き、それ以外の家財もほぼ焼き尽くされて途方にくれるフレデリック。しかも警察からは保険金目当ての自作自演放火と疑われだす始末。
可哀そうだと思うが、前作や本作での主人公の行動を読むと「バチがあたった」と思わなくもなく(ちなみに主人公は犯人ではない)、それくらい彼の言動はひどい。まぁその非道さがまた読み処でもあるのだが。
色々あって(そこは読んでもらいたい)、「だがわたしは、もはや暗闇をおそれてはいない」と言い切るラスト。フレデリックが言ってると思うと「うっさい、もうええわ」と思うのだが、自分の寿命を悟ったマンケル自身の言葉と考えると、なんだか哀しいような良かったなぁと思えるような。
70歳になった時、あるいは死期を悟った時の俺は、こんなことを言えるのだろうか。「死にたくないし、苦しいのも痛いのもイヤだ」と無様にうなされてるだけのように思うけど…。
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マンケル作品として個人的には初となる『イタリアン・シューズ』を読んでから5年。スウェーデン・ミステリーの代表格的存在である刑事ヴァランダー・シリーズは第一作と最終作しか何故か読んでいないという体たらくでお恥ずかしい限りなのだが、作者の遺作となる本作は『イタリアン・シューズ』とセット作と言いながら、さらに厚みを増して、なおかつ描写の丁寧さ、深さを考えると人生を振り返る作者と本作の主人公フレドリック・ヴェリーンは、分身ではないかと推察される。しかし、ヘニング・マンケルには『流砂』というノンフィクションの遺作が遺されていて、これが彼の<白鳥の歌>として死後に出版されている。
故に本書はフィクションとしては最後の作品である。『イタリアン・シューズ』を継いでの物語となるのだが、作者自らはそれぞれ独立作品として読んで頂いても一向に構わないという立場で本作に臨んだらしい。時制が一作目と矛盾したりするなど、確かに連作と見るには不確かなところもあるらしいのだが、読んだ印象としては登場人物たちも、舞台となるフィヨルド地方にしても両作共通する地平にあると見て構わないというところだ。
内容もまた『イタリアン・シューズ』の正当なる続編と見て良いと思う。但し、本作には謎の火災により島の家が全焼するといういささかショッキングな導入部があり、その犯罪的要素から鑑みて本書は『イタリアン・シューズ』に対し、ミステリーとしての性格を多分に孕む。そもそも刑事ヴァランダー・シリーズがミステリーと言いながら相当に人間の心を描いてしまう純文学的小説としての要素を孕んでいる作品であるように思う。
本書では、主人公フレドリック・ヴェリーンには存在すら知られていなかった実の娘ルイースが登場する。前作『イタリアン・シューズ』の終盤にも登場する娘だが、彼女との改めての関わりの時間が生まれてゆく様子、彼女の秘密などをパリを舞台に描くシーンが挿入されるなど、前作に比べるとバラエティに富んでいる。
しかし、老いたるフィヨルドという舞台は相変わらず静謐過ぎて、孤独を際立たせる舞台である。その中で病や老いによって知人が死んでゆく。全体に初冬から真冬までの時間を設定した一人称小説であるのだが、その中で大きな流れとしての時は過ぎ、家族というこの物語の中では変則的な人間関係、そこに入り込む新しい女性キャラクター、リーサ・モディーンというジャーナリストと年齢差を往還する二人の微妙な恋愛感情なども、どことなくリアルで危うい。
大きな物語としては、家が焼けることで生まれる疑惑。解決しない捜査活動は地味でありながら、フィヨルドの孤島の家が結果的には数棟全焼するに及ぶ。緊張を孕んだフィヨルドの村と美しい冬の景色、そして老齢の主人公の孤独がきんと響いてくるヒューマン・ノヴェル。ヘニング・マンケルでなければ作り出せない空気感と危うい人間関係の紋様を読みながら、この小説の持つ不思議な魅力に強く惹かれつつ、美しい言葉で満ちた一ページ一ページを味わった。
どの作品も優れた小説であり、完成度も高いように思うが、何よりもデリカシーと感性に満ちた一人称文体が味わい深い。ストーリーに派手な動きがなくても、しっかりとしたページターナーと言える辺り、名手ならではの作品である。ヴァランダー・シリーズの未読作についても、じっくり時間をかけて味わってゆきたいと思う。
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読了。北欧小説らしい重さはあるが類似作にはない展開だった。伏線を楽しむ作品だがどんでん返しはない。前作読んでいないので読みたいと思わせられる展開だった。
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面白く読み終わりました。
小説としては…
推理小説としてはイマイチですね、推理事なく終盤を迎えてしまうし、犯人がわかっても動機が分からないなど文句を付けたい点多し。