小説ではありません
2023/07/15 14:58
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヴィクトリア朝のイギリスでも看護師は賤業扱いだったのをナイチンゲールが打破したが、明治時代の日本でも同様だった。
武士の娘であった大関和は、別宅の愛人の元に入り浸る夫や重労働を命じる姑に反発して子どもを連れて実家に戻った。女中をしながら英語を学びキリスト教を知り、そこから看護師として一人立ちしようと決意する。
そこからの目覚ましい働きには驚かされる。
看護師の職業を日本で確立させた女性たちの人生が描かれている。
看護師が賤業なんて…
2024/08/04 23:47
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
賤業扱いされていた看護師。そういう時代を経て、今のような看護師制度があるのですね、なんだか、日本の医療制度の明治時代が何百年も昔のような気がしました。医師は、江戸時代だって、尊敬されていたのに、看護師は……。
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看護婦が「賤業」とされた明治時代。離婚して二人の子を育てながら、生涯をかけてその制度化と技能の向上に努めた大関和の生涯を描く
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本書は明治期に看護婦の黎明期として活躍した大関和の伝記であり、日本の医療と看護を歴史的時代背景の中で広く捉え、看護婦養成制度の基礎などを学ぶ事ができる書籍である。明治に入って「金のために汚い仕事も厭(いと)わず、時には命まで差しだす賤業(せんぎょう)」と見下され、看病婦や莫連(ばくれん・すれっからし)、時には姦互婦(かんごふと当て字)して、派出先で売春を行っていると蔑(さげす)まれた看護婦たち。
大関和は、幕末の喧騒(けんそう)に翻弄(ほんろう)されつつも嫁いで2子を授かるが、妾との関係を清算しきれない夫に三行半を突きつけて離別する。当時としては、許されない女性からの離縁であったが、家父長制、男尊女卑、一夫多妻制など、当時の女性蔑視に対する嫌悪感が大関和の根底にあるように思える。生活のために、鹿鳴館で働き、英語を学び、キリストの洗礼を受け、窮民救済活動などにも参加する。明治20年(1878年)桜井看護学校に入り、学んだ英語を活用して級友とナイチンゲールなどの書籍を翻訳し、看護の知識、技術を習得する。座学と実習の充実した2年間を過ごして卒業し、日本にトレンド・ナースの草分けとなる。病院外科病棟の看病婦取締(婦長)として、手腕を発揮するが、医師達との軋轢で失職。人脈もあり越後高田の「知命堂病院」で大関和を理解する医師に恵まれ、後進の育成を旺盛に進め、地域の疫病であったコレラや赤痢などの感染対策でも手腕を発揮する。家族との離別の生活に終止符を打ち、帰京。東京看護婦会に関わり、今でいう訪問看護の先駆けともいえる派出看護婦として、複数の書籍も執筆し、後進の育成や看護婦の資格や地位向上も取り組む。人の命を奪い合う日清・日ロの両戦役で、人のいのちを救う看護婦の地位が確立される。生涯をかけて看護婦として実践で活躍し、生活困窮層への炊き出しや医療支援なども行い、女郎として売られた女性にも積極的に関わり、女性の更生施設、今でいう女性のシェルターにも主体的にかかわり、女性の独り立ちを支援する。大関和を中心とした家族愛やシスターフッドの歴史を学ぶ書籍としても、非常に勉強になる1刷となった。
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図書館の新刊コーナーにあったので何気無く借りたがとても面白くほとんど一気に読みました。
男社会の中で女が事業を立ち上げ発言をしていく勇気は並大抵ではなかった。常に慈愛と奉仕の精神で生き抜いた人々がいたことを改めて知ることが出来た。
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弛まない努力、集めた取材源、多数の文献等きっと伝えたい使命感のようなものが著者の根底にあったのではないか、大関和、鈴木雅、多数の看護婦に寄り添う眼差しが優しく、何気に著者に敬服してしまう。
看護婦の先達、先駆者として初めて知る大関和と鈴木雅、無私で弱者救済の境地で精神性に重きをおく和、経済的合理性を主張する雅、どちらも看護婦の地位向上に欠かせない要素。
一家言物言う嫁、天は自ら助くるものを助くる生き様。
思いがけない邂逅2点、1つは昔読んだ渡辺淳一著の花埋みの荻野吟子、もう1つは富士見町教会、古い壁と人気のない入口が独特の雰囲気を静かに醸し出していた当時の教会が懐かしく思い出される。