投稿元:
レビューを見る
「モナリザにスプレーをかけた女性」とだけ聞くと、ただのヤバいやつか?と思ってしまうけれど、実際はそんなことはなかったようです。
「障害者」と「女性」というダブルマイノリティとして社会と闘うことは相当大変なことだったと思います。心から米津さんのことを尊敬します。
自分も、生産性で善し悪しを判断する価値観には徹底して抗っていきたいと思いました。
投稿元:
レビューを見る
ウーマンリブというと過激でヒステリックなイメージがあったが、今回その主張を知って、ものすっごく真っ当なことを主張していたのだと知った。確かに言葉や手法は過激だ。でも、女性が当然のように男の下にいた時代に、男女同権を理論的に語っても誰も聞がなかっただろう。女をナメんなよ!と裸で叫んで初めて気づいてもらえる存在だったのだ。
そして、米津知子という主人公が「片輪」としての「惨めったらしい」自分と向き合い、痛々しいまでに真っ直ぐに自らの存在を問うていく姿勢にも心打たれた。青い芝の会の主張も然り。女たち、障害者たちは、どれだけのエネルギーを燃やして、答えのない問いに突っ込み続けていたのだろう。モナリザにスプレーをかけた、といういかにもヒステリックな女を、本を閉じるときには心から尊敬していた。
同じくマイノリティに属する人間として、私は自らを、社会を、問うてきただろうかと顧みずにはいられなかった。
投稿元:
レビューを見る
普通の人ではない方、男ではない方として、名前を与えられない人たち。
一見、突拍子もない行動に隠された、その人にしかわからない意味。
「人には、人生を語ることでしか語り得ない動機や理由があるはずです」
投稿元:
レビューを見る
凛として灯る、何が?
女性の権利を解放すること、子を産み育てること、障害を持って生きること。それを諦めないで解放運動をした1970年代の人の話。今子どもを育てている男の私も、その戦いの延長線上にいるのだなと感じた。苦しみはどこから来るのだろうと思っていたが、子育てはある意味で社会との戦いなのだなと思った。
投稿元:
レビューを見る
「ハンチバック」で第169回芥川賞を獲った市川沙央さんが影響を受けたという米津知子さん。
モナ・リザに赤いスプレーをかけようとして逮捕されたウーマン・リブ活動家であり、障害者でもあった彼女を知りたくて、この本を手に取った。
「ハンチバック」の主人公が “妊娠して中絶したい” という思いの源流を見た。
市川沙央さんから「凛として灯る」の荒井裕樹さんへの往復書簡(往)
↓
《だからおそらく、『ハンチバック』は私なりの、「モナ・リザ」にスプレーをかける試みだった、という読み方もできると思います。》
「プロテストノベル」という表現は素敵だ。
この本は市川沙央さんの文脈で手に取ったわけだが、それを抜きにしても素晴らしく、出会えてよかった!
投稿元:
レビューを見る
モナリザ
実際にルーブル美術館で見たことはありますが、あの絵にスプレーをかけたとは
どんな事情があったのだろうと、読んでみると思った以上の深い理由
差別や偏見は、決して今の時代でも無くなってはいない
なくそう、なくそうと声をあげていてもなくなる気配は見当たらない
障がい者だから、可哀想な存在でなければならない
こんな風潮は今でも続いている
私も、誰もが排除されない世界がきて欲しいと思います
投稿元:
レビューを見る
モナリザにスプレー噴射、何も知らない人から見たらただのヤバい過激な人ってなってしまうけれど、すべての行動には意味がある。その背景を考えずに表面だけの浅い発言をしないような人になりたい。
この本を読み終わった後にもう一度この事件を考えると、そうまでしないと気づいてもらえないこの社会のせいであの行動を起こしたのだと感じた。
凛として灯る、排除のない社会への米津さんの想いが心に熱く残った。
投稿元:
レビューを見る
レポートの課題図書として読んだが、読んでよかった。女は一度、ウーマンリブを読むべきかもしれないと思った。(もちろん男にも)
あの時代にウーマンリブを通して彼女たちが伝えたかった、男たちへ、社会へ、権力者たちへ向けた「女の叫び」をこの本から浴びた。今はフェミニズムという言葉に置き換えられているかもしれない。それでも女であること、社会に染みついた「女」をしてしまう己や社会を恨んだ彼女たちの言葉は現代を生きる私にも深く響いた。「妻」や「母」という型にはめられ続けた女の歴史の先に生きているからには、真っ向から女たち男たち権力者たちと向かい合った彼女たちを忘れてはならない。何故なら今も解決していないから。