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不謹慎ながら横尾先生が、まだ生きていらっしゃるとは驚きだった。書店で見かけ、即購入した。私と同じ事を考えていらっしゃるので、没頭して読み終えました。横尾先生の哲学に、完璧に賛同致します。これ以上はない考えだと思います。究極の思考であると理解できました。
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養父母と20代で死別。
仏教 不退転 転生しない。
滝、Y字路、涅槃(ねはん) 異次元への入り口。
考えない。できるだけ考えない。無為の中から出てくるものを絵にする。
AI 究極の反自然主義
グレー。曖昧さ。 自分にとって楽であること。 気分でものを決めていく。
人生は未完成。現生に生まれたということは未完。だから転生する。
歳とともに忘れる力が増すと、ボキャブラリーが少なくなり、幼児化していく。
ものの本質に使づいていく。
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運命というのは生まれたときから(生まれる前から?)決まっているし、この世界は規則に従って動いているのだからあまり物事に執着しないほうがいいよ、というのが筆者のスタンスだろう。欲を捨てられないと、死んだあと地獄に落とされるからね。
人間を物質的に捉える限り、肉体の死=無となるわけだが、筆者はこの見方に懐疑的だ。今の科学では取り扱う対象にすらならないが、霊性を取り入れれば、死んだら終わり、という見方ではなくなるだろうと主張する。この世に生まれてくるということは、すなわち人間として未完であるということだ。短い人生で人間として完成することは難しい。だから、死んでも魂が残って、再びこの世界に戻ってくるんだ、と。
人間はよっぽどのことがない限り来世も人間だと言うが、個人的にはそこは懐疑的。来世はカラス、ということだってあるんじゃないか。
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芸術家特有?の「マイルール的な解釈によりどこまでも突き抜けていける感」が、随所にあって良かった。
死後自体が理屈で考えられるものじゃないんだから、案外それで良いんだな、とも思った。
勿論、そこに至るまでにアレコレの勉強や深掘りは通過している前提だけれども。
「頭にいっぱい詰め込まないと、逆に空っぽにならないということです。」
→瞑想っぽい体験のときに次から次に雑念が出たあとで空っぽになる体験に対して、まず雑念をとにかく持つこともある意味必要と解釈する素直な強さ(自分に良いように捉える力?)みたいなものが、面白い。
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「そうしているうちに、絵を描くという行為自体が、実は僕が死と一体になることと同じなんじゃないか、同一化しているんじゃないかっていう」
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スピリチュアルで宗教的なアーティストらしい内容。普段この種の類の本はあまり読まないのだが、そういう人にこそ読んで欲しいという著者の巻頭言により最後まで読み通すことができたし、内容的にも面白かった。元々中学時代から横尾忠則には興味があり、作品展等にも行った事があるというのも影響しているとは思うが。