投稿元:
レビューを見る
<目次>
第1章 好機か脅威か?教育現場のAI~今、「教育の本質」が問われている
第2章 これからの「教師」はどうあるべきか~「捨てられる教師」「生き残る教師」の境目とは
第3章 これからの「授業」はどうあるべきか~一方的に知識を授ける授業は、もう通用しない
第4章 これからの「学校」はどうあるべきか~「新時代の学び舎」の理想像を描き出す
<内容>
前回の『学校の大問題』『先生、この「問題」教えられますか?』などと言っていることに変わりはない。chatGPTなどの生成AIの話が加わったくらい。そして、根本の部分では、この人の言っている方向に進むだろう。ただし、この人の書き方は過激すぎて、現場の教師をいらだたせるだけだ。実現可能な何かをもっと書くべきだろう(今回は、第3章中に「シンギングツール」の概略が書かれており、その部分は役立つと思うが…)。
投稿元:
レビューを見る
かなり未来の理想論。現在の教育現場は確かに、知識偏重で高次思考までできない授業に留まっている。未曾有の世の中が待っている世界では、さまざまな事柄に対処し得る力、考える力が必要であろう。しかし、その前提となる知識すら身につけられない子供たちはどうするのか、そこまで考えて未来予想図を作らなければならない。
投稿元:
レビューを見る
教師の存在意義、教育の目指すべき場所がこれからの時代、段々と変わっていくという内容の本であった。しかし、ファシリテーターとしての教師の役割、新たな価値を創造できる人材を育てるといった考えは、元々の教育現場で求められていたものであると思う。それが、入学試験の登場や、子どもの急増により、現在のような考えずにとにかく知識を詰め込む教育になっていったのだと思う。これからの時代に求められることは、戦後日本が求めていた教育の形に原点回帰したの形に近いと感じた。
教師にはこれからの時代、深い知識を持った博士先生と、社会で実務経験のある社会人先生が活躍していくと書かれている。この二つのパターンの先生はもちろんこれからの時代に大活躍すると思う。ただ、私はきちんと生徒と適度な距離を保ち、適切なタイミング、適度な強さで叱ることができる教師もこれからの時代は求められていくと思う。博士先生や、社会人先生には、生徒が尊敬を示し、その先生のようになりたいという憧れで学びに向かうと本書では書いてある。しかし、全ての生徒がそのように学びに向かうとは限らない。悪事を働く生徒や、自分の好きなことや興味のあることに対してすらも学ぼうとしなかったり、努力をしなくなってしまう生徒、悪事を働いてしまう生徒もいるであろう。昔のように強く叱ることが少なくなった今こそ、このような生徒に対しては、きちんと叱り、大人が責任を持ってやらせることがその子にとっては1番良いことである可能性もあるのではないかと思う。
まとめると、それぞれの先生のタイプは一長一短であり、生徒によって良い指導は違うと思う。だから様々なタイプの先生が協力し合い、それぞれの長所を活かしながら共に学び合うことや、学校生活を送れるようになることが求められていくのではないかと私は考える。
教師は、子どもが自分の得意な分野で、自分の力を輝かせられるように、子供に目の前のことを深く考える力、自分の考えを伝える力、他者と協力して新たな価値を創造する力を鍛えさせたい。そのために、きちんと意図を持って課題を出したり、AIを利用して高次思考的な活動時間を増やしたりするなど、教師は授業や考え方を進化させていかなければならない。
投稿元:
レビューを見る
グサグサ刺さる内容でした。AIに駆逐されるというよりも、時代の変化に対応できない人が捨てられていくのでしょう。いつまでも前時代的な指導や対応をしていく教師は、これからダメ教師のレッテルを貼られていくと思います。
投稿元:
レビューを見る
生成AIの登場により大きな衝撃を受ける分野の一つである「教育」の世界で、誰もが長年疑問にも思ってこなかった学校教育の枠組みが大きく音をたてて崩れ去っていく様子が目に浮かぶようでした。
投稿元:
レビューを見る
内容はその通りかと思う。ただ、教育の場で実践するとなるとハードルが高い。
ジェネラリスト、専門家、探究型を分けるのは極論。すべてつながっている。
戦前戦後教育を検証し、改めて根本から見直してこそ教育改革かなと個人的には思う。