投稿元:
レビューを見る
「2人のロッテ」しか読んでない私がこれ読んで楽しめるかな?思ったけど、めちゃ楽しめました。
作家の自伝好きだからなぁ。
投稿元:
レビューを見る
ケストナーらしさがギュッと詰まったような自伝。まえがきにもあるように、子どもにも、子どもではない人にもおすすめ。第11章は、かつて子どもだった私と、いま母親である私の両方に深く刺さるものだった。
投稿元:
レビューを見る
存在は知っていたものの未読だった本で、新訳を機に初めて読みました。ケストナーらしい、優しく、たまに鋭く斬り込む文章で、まるで物語を読むのと変わりなく楽しみましたが、奥に秘められた故郷や家族親族への大きな想い、時代に対する深い慈しみと怒りのような、生身の感情が溢れていて、小説とはまた違ったケストナーの言葉を感じました。
タイトル通り、少年時代の終わりと共に終わっていて、あくまでも子どもの目線で見たままの世界がそこにあり、苦しさよりも、生き生きとした少年の日常の印象が強く、戦争の気配はまだないですが、ケストナーが生きた時代をより深く知るなら、この後、終戦日記を読むと、理解が深まるのかなと思っています。
投稿元:
レビューを見る
読後感の重いものを読むのが好きなので、好みの本の中で、読み終わって幸せな気持ちになる本はあまりないのだが、児童文学の名作は、読むと幸せを感じることがある。それは単に明るく軽々とした気持ちではなく、不幸やアクシデントが人生には必ずあるが、幸せに生きることは不可能ではないという思いが満ちるといった感じ。そしてその中でも特に切ない幸福感を感じられるのがケストナーの作品である。
そのケストナーのその人となりがどのように形成されていったかがわかるのがこの本である。
ケストナー自身が、祖先から始まって、第一次世界大戦までの自分自身のことを書いた、前半生の自伝である。
子どもにも読めるように書かれているが、ケストナーの家庭の特異さは伝わる。二十歳のイーダは、姉たちに、結婚は生活だからと説得され、「ぜんぜん好きになれない」と感じた、真面目な職人のエーミールと結婚する。これがケストナーの両親である。
これは非情な選択というわけではなく、ちょっと前の日本も同じ感覚だった。ましてや1892年である。
「結婚とは家事とやりくりと料理と子どもを産むことでできているのだから。愛なんて、よそいきの帽子くらいには大切かもしれない。でも、とっておきの帽子がなくたって、人生ちっとも困らない!」(P60)
結局イーダ、すなわちケストナーの母は生涯夫を好きにはならなかった。夫エーミールは真面目で穏やかで、子どもを可愛がったのに。イーダは一人きりの子どもであるエーリヒだけを愛した。エーリヒと母は気も合ったし、趣味も合った。そしてお互いに愛しあっていた。
たった三人の家族で二人だけが愛し合う。残された一人はどんな気持ちでいる?
そしてその一人の思いに、気づかないような二人ではないのだ。気づいていながら、それには触れない。それは、二人がどんなに朗らかに過ごしていても影を落とさないわけにはいかない。
ケストナーは子どもの心を忘れないからたくさんの子どもを主人公にした名作を書けたわけだけど、忘れられなかったというのが本当のところなのだろう。そのことが、彼自身の家庭を作ることにストップをかけたのではないか。
しかし、お陰で私たちは彼の作品を読むことができる。
不思議なことだし、ありがたいことだと思う。
「ぼくたちは幸せで不幸だ。不幸の中にも幸せがあったりもする。」(P207)
「忘れてしまったのは古いことで、忘れられないことはきのうのことだ。そこでのものさしは時計ではなく、大切さだ。いちばん大切なのは、楽しかろうが悲しかろうが、子ども時代だ。忘れられないことは忘れてはいけない!」(P20)
コルドンの書いた評伝も読まなくちゃ!
投稿元:
レビューを見る
長野の今井書店の高村さんの本。とてもよかった。絵本のこととそれにまつわる家族や息子さんや本屋でのエピソード。絵本好きなお父さまとの思い出はすごく温かくて、息子さんとのお話は切なくて痛くて。クスッとなったりグッときたり何度も心が揺さぶられる。こんなにも本を届けることに一生懸命な人がいる。地方の町の本屋さんの存在意義は大きい。頑張り続けている人がいる。
投稿元:
レビューを見る
文章がキャッチーで面白かった〜ケストナーの少年時代の日記を覗いているような感覚になった。ドレスデンは戦後復興して昔の美しい姿に戻ってるのかな?今年旅行で行く予定なの!楽しみ!