美味しい。けど苦い。
2019/02/09 19:58
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:shau - この投稿者のレビュー一覧を見る
これが70年以上前に書かれた本という事が信じられない。
非常に分かりやすい所もあれば、難解で飲み込むのに時間がかかったり、
何度読んでも素養が無ければ理解しがたい箇所もある。
というのは、「グローバリズムは良いことだ」という頭脳の持ち主には、耐え難い事が書かれているからだ。
大学で学んだ経済学は何だったのか…
学費を返せと言いたい。70年以上前のこの本一冊で論破出来るものを
何十時間もかけて高額の授業料を払って教わってきたのだと考えると、
本当に無駄な時間だったと思うしか無い。
本のレビューというより間違った進路を選んでしまった後悔だが、
この本はそういう「気付き」が無数にある。世に流布する「常識」を疑う事が大事だと、
気付かせてくれる。
この本と、オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」は共に読むべき古典の名著。
福澤諭吉や伊藤仁斎らと共に、本棚に一冊はほしい所。
グローバル資本主義の危険性を解き明かす現代の古典です!
2017/11/22 10:12
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、経済市場と社会との関係を追及した画期的な内容です。自己調整的市場がもつユートピア的側面と破壊的側面の両面を文明史的に解き明かした、まさに政治経済学の一大成果とも言える書ですが、内容はかなり難しいです。ただ、現在のグローバル資本主義の根本的な危険性を知る上では、ぜひ読み解きたい書でもあります。
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●未読
「週刊東洋経済2009.07.25号」ブックレビューで紹介
市場は社会に何をしたのか?
自己調整的市場のユートピア性と破壊性を文明史的に解き明かした政治経済学のモニュメント!
待望の新訳完成。
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グローバル化とともに拡大する自由。しかし、自由の拡大に見合うだけの幸福感を手に入れているか。実感としてはいつも余裕なく急き立。てられ、人と人の関係もぱさぱさな殺伐とした味気ないものになりつつある。
カールポラニーは、共同体の牧歌的結びつきを解体していく市場経済を「悪魔のひき臼」(イギリス詩人ウィリアム・ブレイクの言葉を引用)と呼んだ。
そしれ、われわれにとってのもうひとつの大きな重圧、猛烈に速い「変化のスピード」。市場のスピードにあわせて、組織も人間も変化することを求められる。それでいて、人は「不動の価値」を求める、愛や宗教・・・。変化を求めながら、変化しないものを求める・・というそう反する欲求に精神を引き裂かれている
(Refer from 悩む力)
文明が進むほど、人の孤独感が増し、救われがたくなっていく・・
「自我」「自由」「マネー」「働く」「知性」・・・
苦悩する人間、激流のなかで本質を見抜こうとする姿勢、そこに生まれたマックス・ウェーバーの社会学と夏目漱石の文学に学ぼうではないか。
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本書は、「19世紀に全盛となった市場経済というひとつの特殊な経済システムのもつ社会的な意味をあきらかにすること」(マッキーバー) にある。その結論は、近代の市場経済的資本主義は、人間の本源的要素である土地・労働・貨幣を商品にすることによって、市場に従属させた。それは、人間関係を解体し、自然を破滅させるものであった。今日の市場主義をすでに半世紀前に批判していた書
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ヘビーだ。。古典で完全に消化不良。でもむちゃむちゃ面白かった。。またゆっくり読も〜。輪読のレポートを発見。http://ow.ly/PX2D
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自己調整的な市場経済は、人間と自然を商品へと転化させることで成り立つ。それは確実に社会と自然環境を破壊するので、必ず人々の抵抗にあう。自己調整的市場の論理に基づいて、世界平和と物質的繁栄による最大多数の最大幸福の実現とをはかった19世紀の文明は、その論理の矛盾ゆえに崩壊した。
(以上、本書の要諦)
アダム・スミスは、個々の人間が自己の利益を追求していけば、「見えざる手」の導きによって社会の繁栄と平和がもたらされるという、古典派経済学の基礎となる考え方を提唱したけど、ポラニーからすれば、「見えざる手」はむしろ、そういう自由主義的な論理の根本的な矛盾を現実化したのだ、ということになるだろう。
「見えざる手」の働きは、「社会」だけでなく、「自然」からの抵抗として現れることもあるというのは、ポラニーの時代にはまだ大きな論点になっていなかった(これは、21世紀の課題になっている)。その働きが人間だけにとって都合よく作用することは、絶対にありえないし、その働きによって苦しめられるのは、往々にして弱者たちだったりもする…
ポラニーは、「複合社会における自由」を打ち立てるためには、まず自由主義的な市場ユートピアの夢を放棄すること、そして社会の現実に向き合うことが必要だと説く。それは、「忍従」の上に打ち立てられた自由となる。これは、「惑星地球上の複合社会における自由」についても適用できる観念だと思う。
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新訳、ですって。はたして、それに価値があるものなのかどうか?栗本慎一郎にそそのかされて、経済人類学なるものに手を染めたのは、若気の至りというのは、少し言い過ぎかもしれませんが、結局は経済学なんて無能で、何の役にも立たないんだと諦観してしまったのは、あまりにも性急だったかもしれません。マルクス主義経済学とケインズ経済学という相容れないものに惹かれて・・・・その両方でも片付かない現代の問題は、いったいどうするのだという問いに誰も答えてくれないで、ただ誤魔化している情況の時に、ポラニーの語り口は魅力的でしたが、切り口は面白くてワクワクしたものでしたけれど、実際にはあまり役に立った覚えはありません。その後も、さじを投げたにもかかわらず、ガルブレスやシュンペーターやスーザン・ストレンジなどと、気ままに興味を示してきましたが、やはり大学で講釈される死体の分析などというものは、それだけでしかないということです。つまり、1929年の経験があって人類の英知を集めた様々な試行錯誤の研究が行われたにもかかわらず、何故79年を経て去年のリーマンショックやサムプライムローンの問題で世界的大恐慌が再び起こったのか、ということです。ひょっとして、株式や金融に携わる人々、経済学者はもちろん独占資本家やありとあらゆる関連する者たちが、いま現在の資本主義の動向をとらえられなくなっていることの証左であるのでは?あっ、ひとつ断っておきますが、私は大学などという強制された制度へは行っていません。授業中に5分間に一度くらい笑わせてくれるものや、受けたい教授の講義を全国から寄せ集めてくれるのなら行きたかったのですが、それは無理というもので私の方から拒否しました。国公立や有名私大4つを受験してすべて合格しましたが、私の方から不合格を突きつけてあげました。そのかわり私自身がプロデュースして、私自身の大学を作りました。関心のある分野の、現代において最高の教授陣を揃えて、たったひとりの自主講座です。とまあ恰好つけていますが、要は独学ってことですね。決まった授業時間や試験もなんにもないのですが、やったからには完璧に近い形にしないと気が済まないので、機会をつくって他流試合というか、各分野の詳しい人と話したりして自分の力量を試していますが、今のところひどくガッカリしたということはなかったので、概ね成果は出ているのかなと思っています。考えてみると、これって、偶然にも安藤忠雄がやったことと同じなんですね。
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現代資本主義がどのように生まれてきたかを述べる、ポラニーの大著。
A・スミスなど古典派は、「人間には交換性向がある」としたが、ポラニーは未開人の「互酬・再配分・家政」などの文化から、人間の交換性向は、後付に依るものだと結論づける。
ポラニーはマルクスの唯物史観を一定程度評価しているようだが、マルクスが分析したイギリス資本主義でさえ、一定程度の社会保障が存在したことは、ポラニー曰く「分析されていない。」とする。エリザベス救貧法に代表される、貧民への給付である。これは自由主義者などから批判はされつつも、存続した。資本主義はつねに単独で存在するわけではなく、社会との密接な関連の中で生まれていた。もちろんマルクス研究者の中には、上部構造の反作用性を主張する者もいるが、どれほどまで、マルクスはプロレタリアの革命を期待したのか、少し疑問に思った。
またポラニーは「労働・土地・貨幣は擬制商品である。」という。本来売り買いされるものではない。むしろ生産の本元要素である、とする。囲い込み運動で労働者が大量に吐き出されたことも特筆されがちだが、土地もこの時期に売り買いされるようになった。
ポラニーは、このように「経済と国家の密接な関連」を紐解くことによって、その資本主義の「後天性」「植えつけられた物」であるとする意見を声を大にして云っている。新自由主義の台頭によって国家の経済への不干渉を主張するが、その不干渉の政策もまた国家によるものにほかならない。そもそも経済は国家の営みの中で生まれてきたかのようにも思えるし(未開経済)、そんなことは不可能なのかも知れない。認識を根底から改める必要性が、あるように思える。現に、ニューディール政策やファシズムの台頭は、自由主義経済への不安から生じた。
もう一度、その「資本主義の特殊性」のヴェールを取り、どのように成立していったのかというのを、読み取る必要がこの本からありそうだ。
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大転換は、経済の大転換、経済学の大転換、環境問題の大転換のさまざまな意味がある。
ポランニーは、社会経済学の先駆けで、玉野井芳郎が取り上げてきた。
槌田敦の資源経済学とともに、エントロピー学会の理論的な源泉の一つ。
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本書は近現代に至るまでの自由市場を批評した政治経済学本である(但し、ここで言う政治経済学は、経済学の中の一分野である政治経済学ではなく、政治と経済を論じる学問という意味での政治経済学である)。たくさんの歴史的な実証から、筆者は自由市場というものを批判している。
結構知らない事だらけだったので概ね楽しく読めた。しかしながら、欲を言えば、(本書の趣旨ではないのかもしれないが)自由市場のもたらした良い面などについてもしっかり評価した上で、自由市場がなぜダメなのかを論じてほしかったと思ったりもする。
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この時期読み返してみました。
本書は、19世紀文明(自己調整的市場を母体にバランス・オブ・パワー・システム、国際金本位制、自由主義国家)の誕生とその興隆、そして20世紀前半におけるその滅亡の物語です。
ボリューム/お値段とも半端では有りませんが、内容は「目からウロコ」、編集は「良」です。
【「目からウロコのご紹介】
○滅亡の原因を「自己調整市場」という考え方がまったくの「ユートピア」であったとしている。
○自己調整市場の制度は、社会の人間的存在と自然的実在を壊滅させること無しには一瞬たりとも存在せず、「経済人」に依拠する人為的な社会は、19世紀のイギリスが生んだ突然変異であるとしている。
○自然で生来的な社会は、「互酬」「再分配」「家政」「交換」の4つの原理で経済をモデル化する必要があるとしている。
○近代の経済学は、擬制商品(労働、土地(自然環境)、貨幣)が本来商品と全く同じように機能すると言う間違った前提に立っているとしている。
最近の「経済学の教科書」にはお目にかかれない「着眼点」です。
大変難しくボリュームのある本なのですが、「序文」「紹介」「訳者のあとがき」だけでも全容が把握できます。さらに各章の先頭ページに良くまとまった「訳者による梗概」が有ります。
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院生時代から積読本。やっと読んだ。
市場と国家の関係について深い洞察がされている。
また読みたい(∵難解だったので…)。
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第二次大戦中に書かれた市場経済史の古典的名著。日本では1975年に邦訳版が出版され、28刷を記録するロングセラーになっているそうです。金本位制などを特徴とする「19世紀文明」の崩壊と、ファシズムと自由主義市場の登場という「大転換」をテーマに、19世紀文明の誕生とその隆盛・20世紀前半における滅亡を描いた「20世紀の古典」なのです(メチャ大作!)。
続きはこちら↓
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歴史的名著をようやく読み終わった。経済社会をとらえる視点が斬新かつ明晰で、現代文明を批判する視点は極めて貴重である。