投稿元:
レビューを見る
感想
いつの時代も変わらない。光を目指して足掻き続ける。今がどれだけ暗くても。先が見えなくても。ひたすら手を伸ばし続けなくてはいけない。
投稿元:
レビューを見る
ヴァージニアウルフの本を一度読んでみたいと思い、9月に新訳で文庫化されたこともあり購入。前知識なく読んだので、正直、第一部は読むのがすごくしんどかった。あまりにもしんどかったので一体、どういう本なのか調べたら、「意識の流れ」という手法であることが分かり、そこから文体の流れに思考を任せるつもりで読み進めると不思議と読みやすくなった。最後はキャムやリリーの意識の中にいるような不思議な気持ちになり、爽快な気持ちで読み終えた。訳者あと書きもとても興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
Twitterで見かけることが多く手を出した。著者の名前はみすず書房などで目にしていた。これはどうかなあ。率直な感想を書いておくと、ストーリーが全く展開しないということと、とにかくさらっと読んでいたのでは誰が考えていることかが分からず、人物も全然浮き上がってこないということ、そんなことがあって読むのはかなりしんどかった。「百年の孤独」はまだ話がどんどん展開するので読み応えがあった。ただ、父親と子どもの関係だけは身につまされた。自分も子どもたちからするとこういう父親になっているのかもしれない。「刺そう」とまでは思っていないかもしれないけれど。そう願っている。訳者のあとがきなどを読むと、当時こういう書き方は画期的だったのかもしれない。だけれど、それが受け入れられたかどうかは別問題で、芸術的かもしれないけれど、万人受けはしないのだろうと思う。ただ、夏目漱石にしろ、なんにしろ、古典作品を読むときは最初の50ページくらいは退屈でしんどくても、絶対おもしろくなるから読み続けるようにと言ってきた手前、放り出すこともできずなんとか最後まで読み通した。まあ、こういう書き方もあるのだということを知れたのは良い体験であった。前評判を見ていて、実質2日分くらいの話であるというのは知っていた。きっと、心情描写がずっと続くのだろうと思っていた。そういう心構えがあった上での読書だった。そういう設定にはとっても興味があったのだけれど、結局、10年くらい時代は飛んでいるし、両親以外は誰が誰だか分からないし、灯台にはたどり着く寸前で終わってしまうし、次の日は本当に雨で船は出なかったのかどうかも分からずじまいだし、まあ、いろいろと不満は残ったのでした。マルケスは次の作品も読んでみようとは思うのだけれど・・・
投稿元:
レビューを見る
文学史上の傑作として名高い、ヴァージニア・ウルフの代表作。今回新潮文庫より鴻巣友季子による新訳版が刊行されたことを機に読んでみたが、個人的にはこの小説を読みこなす能力を持ち合わせておらず、ハッキリいってよくわからなかった。なにが難しいかといえばなによりもまず、ストーリイらしいストーリイがないことである。表題にもなっている「燈台」をめざすところが物語のクライマックスであるとは思うが、そこに至るまでにわかりやすい起承転結もない。普段読み慣れているような小説の構造とかけ離れていることとも相俟って、余計に読みづらかったのだと思う。登場人物も多く、ラムジーには8人も子供がいるが、「意識の流れ」という手法を用いて書かれているため、多くの登場人物のあいだをいつのまにか視点が移動してゆく。テクニックとしては素晴らしいのかもしれないが、たんにリーダビリティだけを考えるならば、この表現方法もまた本作を読みづらいものとしている。しかも登場人物個個人の描写についても、なんといつのまにか「ナレ死」する人物がいるなど、十分に描き切れているとは思えなかった。その人物にかんする理解が不十分なまま視点が移動してしまい、まるで食物を消化しきれていない状態の胃の中につぎつぎとあらたに食物が摂取されてゆくような感覚を味わった。帯には「小説にはこんなことができるんだ。」とあり、まさにこういう技法もあるのだということを知れたことは学びになったが、わたしにとってはおもしろい読書体験とはいえなかった。
投稿元:
レビューを見る
読み進めるのが難しい本だった。
場面転換が少ないなかで登場人物が多く、人と人の心理描写がいつの間にか移り変わる。で、その心理描写もやたらとレトリカル。
投稿元:
レビューを見る
自分の読解力の乏しさに悲しくなった
とにかく読みづらくてページを捲るのがしんどかった…
内容も全く入ってこない
これを楽しんで読める人尊敬する
投稿元:
レビューを見る
あちらこちらに海や舟に関わるたとえが散らばって表題がリフレインして、2部へと繋がっていくのが好きだった
投稿元:
レビューを見る
ある人に親しみをおぼえる人もいれば、近寄りがたく思う人もいる。また、ある人に対して素敵だなと感心する瞬間もあれば、面倒くさいなと呆れる瞬間もある。大好きな人が急に遠くに感じられたり、反対に苦手なあの人に一瞬だけ同情してしまったり。
相手と近いほど良いところも悪いところもよく知っていて、たまに嫌気がさすけれど、それでも大切な人。そうした関係性を様々な視点で描かれていると感じました。
読んだことのないタイプの小説でびっくりしたけど面白かったです!
投稿元:
レビューを見る
最初は退屈な物語かも、と思った。
登場人物がお互いに心に思ってることをひたすらモノローグで繋いでいって、一向に何か起きる気配がないから。
悪人も完璧な人もいない。
美しい母親と、ちょっとエキセントリックなお父さん。尊敬もされてるけど面倒くさい。
子供たち、書生、家庭教師。
登場人物同士の愛憎入り混じる感情、自己愛と愛。
モノローグでお互いの気持ちをふわふわと漂っているうちに、いつの間にか登場人物とともに歳をとって、彼らをお屋敷の物陰から覗いている、そんな感じ。
三部の美しさ、悲哀はちょっと筆舌に尽くしがたい。
あと、めちゃくちゃ共感したフレーズ。
「どうやら本というのはひとりでに増殖するものらしい」
投稿元:
レビューを見る
とにかく夢想と回想がたくさん描写され、一人の人間が様々な思いを巡らしているかと思っていたら、いつのまにか別の人物へと視点が変わりその人の心に入り込んでいるのだが、訳文がとても読み易くて「今、誰が語っているんだっけ?」と見失うことはなかった。読むのに時間かかちゃったけど。
一人の人間には多くの感情や考えが入り混じっており、そんな多くを抱えた複雑な人間同士がコミュニケーションするのだから、そう易々とうまくいくわけがない。こうしてほしい、褒めて欲しい、あの人と仲良くしてほしい等、様々な思惑があり、誰かの言葉や態度が憎くて許せなくて長年恨むようなこともある。あの人のあそこが許せないにおける“あの人”とは、現在目の前のあの人か。それともかつてのあの人か。はたまたあの人を纏った何かか。
一瞬の想いは幻のようで儚いもの。しかしその一瞬があるときふと呼び覚まされて心に焼き付き永遠となる。背景に溶け込むかのように離れていく想いと、魂の礎となる想い。いろんな想いの中をたゆたいながら、灯台の光へと目指すように自分というものを得る。
投稿元:
レビューを見る
イギリスの1920年代の"現代小説"。タイトルは知っていたけど、今回文庫化したのを機に初めて手を伸ばせた作品。充実の読後感。何の話を読まさせられてるの?という気持ちから、だんだん小説の全貌が分かるにつれ、心にくるものがあった。読み終わったあと、もう一度最初から読み直したくなる。生きている間の一日一日、人との関係性はすべて一期一会の奇跡の邂逅。人は決して理解し合えないけど愛に満ちている。そういう気持ちになる。
今まで読んだことがないような文体。最初はしばらく読みづらい。セリフも思考もカギ括弧なしで入り交じっている。たまに、誰かと誰かの思考の継ぎ目すらなく、読み進めていたらいつの間にか違う登場人物の思考だったこともある。それが不思議と面白い。考えてみたら、我々だって日常的に、何かを誰かに話しながら全然別のことを頭の中で考えていたりする。誰かと接しながら、思考はどこかへ漂っていたりする。それがそのまま文体に表れてる。
さらに面白いのは、登場人物それぞれの思考はすれ違いが多いこと。きっと普段から人は、相手について大いに誤解しながら会話を続け関係性を続けているのだろうな。
物語は3章からなる。
1章目「窓」は、8人の子供を持つ夫婦とその友人たちが、スコットランド沖にあるスカイ島に休暇に来ており、翌日晴れたら灯台に行こうと話し、夕飯を共にするシーンである。100-200ページほどが費やされるが、それ以外に事は起きない。午後〜夜にかけての間の、それぞれの登場人物の心の内の描写がほとんどである。そしてことごとく互いについての理解や思考はすれ違っていることが読者にはわかる。女主人であるラムジー夫人が印象的。
2章目「時はゆく」はとても短い。フラッシュバックのように、パッ、パッ、と、ロンドンに戻ったラムジー家のメンバーのその後が示唆される。時代は世界大戦をくぐりぬける。
3章目「灯台へ」は、10年後、再びスカイ島の別荘に、ラムジー家のメンバーと友人が集まっている。この10年の間に、家族の何人かは亡くなっている。喪失感がぬぐえない中、一行は、もう一度灯台を目指す。この章では、10年前もゲストであったオールドミスの絵描きのリリーの思考が大半を占める。
3章の中でリリーは、亡き人、過ぎた日を思い出しながら、この場所全てにいかに恋していたかという思考にふける。「愛には一千もの形がある。この世の中には、物事のなかからある要素を選び出して、それらを一つに並べ、そこに現実とは違う完成度を与える」ことがあるもので、「そうした思い出に人はいつまでも思いを巡らせ、そこに愛は戯れる」と気づく。
本当はどうだったかなんて、相手が生きていてもわからないもので、ましてやその人が死んでしまったらわかることなんて永遠にない、それでも、(本当のところはどうであれ)あの人はこうだったと思い出すことは愛である。それでいいのだ。生きている人でも亡き人でも、知ろうとすること、思い出し想いを巡らせることが、愛なのだ。
そういう小説だった。諸行無常であるが、想い馳せる限り愛はずっとそこにある。そして生きている人の人生やあり方や考えは様々あっ���いい。