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安田峰俊さんは本当に「読ませる文章」が上手な方で、この本もすらすらと読めるのだが、内容と問題提起は常ながら実に深い。
なぜ諸葛亮の南征が、現代中国で肯定的に受け止められるのか。
中国の情報工作「認知戦」と紀元前に書かれた「孫子」の関係は。
「原神」のセリフや固有名詞は、なぜ中国古典や漢詩を踏まえているのか。
習近平は演説でしばしば古典を引用するが、「中国において歴史とは、現代の問題を肯定したり否定したりする材料として活用する対象だ」と安田氏は説く。
本書によると、日本には中国を、東洋史学、中国文学、哲学の観点から研究する「シナ学」(シノロジー)が存在したが、「2度にわたる痛恨の体験」で、その手法はすたれてしまった。
蔑視と憎悪のトンデモ論を排し、シナ学的の手法を示すことこそ、現実の中国に相対する武器になるのだ――という著者の主張に深く賛同したい。
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精力的に書き続けている中国・アジアルポライター安田峰俊の最新の一冊がこの『中国ぎらいのための中国史』。リアルにお会いしたことが何度かあるということで、応援の意味も込めて安田さんの本は全て購入しているが、本作は安田さんに取ってはホームともいうべき中国史に関する久しぶりの書籍だ。
ライターとしての安田さんの持ち味は現地取材や現在進行形の出来事を咀嚼し、中国国内の論理に照らし合わせて解説することだ。その安田さんが書くのだから、中国史に関する本といっても必ず現代に関する内容が入ってると想像していたが、 その想像通りに本書は中国の歴史的な事項が、現在においてもどのような意味を持つのかと言う観点から中国史を解説している。 中国史と言ってもいわゆる通史を書いているわけではなくコラムの集積という感じなので、中国に興味を持っている人であれば、あっという間に読むことができるだろう。
参考のために目次をあげれば、本書で取り上げる内容が大体わかると思う。
第一章: 奇書(諸葛孔明/水滸伝)
第二章: 戦争(孫子/元寇/アヘン戦争)
第三章: 王朝(唐/明)
第四章: 学問(孔子/ 科挙/漢詩と李白)
第五章: 帝王(始皇帝/毛沢東)
この目次を見れば分かる通り、本作では日本人が名前ぐらいは知っているけどよくはしらない、だけど中国では(学校教育の影響もあり)よく知られている題材を取り上げて、それぞれが現代中国でどのような意味があるのかを語っていく。こういう並びを見ると、ルポライターというのは題材選びが重要なんだなということを教えられるような気がする。
また安田さんといえば、真面目な考察の中にばかばかしいネタを放り込んでくることで文章の緩急をつけることが得意なライターだが、本作でも冒頭から「諸葛の姓を持つ人間が現在の共産党幹部に存在している」といういかにもなネタからスタートする。他にも日本でも人気のゲーム「原神」から題材を取ったり、始皇帝の部分では『キングダム』への言及を 忘れないなど、しっかり抑えるべきところを抑えていると言うところにニヤリとしてしまう人も多いだろう。
一方でこちらも同じく安田さんの本らしく、現代中国への批判的な視点をつけることも忘れていない。中国生活をしたことがある人ならわかると思うが、本作でも述べられているように、大学生以上の教養を持つ人間にとっては中国の歴史や漢詩というのは共通言語のようなもので、それを使った社会批判や権力闘争が行われていることを面白おかしく書いている。
ちなみに小学生でも漢詩を誦じれるというと日本人にとってはかなり驚きだが、我々だって「春はあけぼの」とか、「古池や蛙飛びこむ水の音」とかは普通に知っているわけで、文化に紐づいた教養というはそういったものなんだろう。トップクラスの大学に受かるレベルの人だと「漢詩でしりとり」をできたりするくらいなのだ。
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中国史や漢詩を読むのは好きだが、現代中国は嫌いだ。私もそうだ。それは当たり前でいいのだが、その二つを別々に考えてはいけない。常に結びつけて考えるべきだという。それは分かるが実際にはどうすればいいのか、そこにトライしたのが本書であるはずだが、そううまくいっているとは思えない。
ただ知らなかった事実はいくつかある。例えば諸葛宇傑なる人物が、将来有望かもしれないこと。2023広島サミットと同時に、中国西安で中国中央アジアサミットを開いていたことなどなど。興味深い話が出てくる。この著者はフォローしたい。
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Chinaに好意を持たない日本人は、9割に上るという。
だが日本人は、三国志とか諸葛孔明は好きだ。
日本人は、過去のChinaと今のChinaを別物として捉えているが、過去のChinaの歴史の上に今のChinaがあるのであり、特にChinaにおいては、歴史と古典は、実学として非常に大切なのである。
一見とってもいいことを言っているように聞こえるが、読んでみればほぼ、内容がない。
Chinaの歴史とか、古典についての雑学を散りばめた一冊にしかなっていない気がする。少なくとも著者の意図は成功していないように思えた。
歴史とか人物が現代近いのが彼の国とか言ったって、上澄の何人かが政治的にそうであったって、全体の「人民」があれやん。
上っぱりの知識を羽織った、あれやん。
過去に学んでいるというか、ほぼ科挙で、過去の言葉覚えて自分で考えへんあれやん。自己肥大のアレやん。
別段、三国志が好きといって、歴史じゃなくてフィクションでしょう。
素材として面白いからと言って、別その歴史に興味があるわけじゃなし、ましてや今のChinaとの関わりなんか、一切興味がない。興味持たせるんなら、もうちょっと本の構成考えた方がいいように思う。
なんか勘違いしてませんかね。