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22歳のダーウィンが南米大陸からオーストラリア、喜望峰を回った地球一周の探険の旅のうち、上巻は南米での自然、住人観察。ダーウィンの観察眼に改めて魅入られると同時に、1830年代の南米には想像以上に”未開”の地が多かったのだと改めて驚いた。
自然現象や動植物、地形の観察などは、門外漢の私にはとても興味深く、馬に乗っての移動、水の少なさ、インディオの襲撃など、ダーウィンの探険にはやはりかなり危険も伴っていたようだ。ある生物種の絶滅の原因が人間なのか、天敵の増加によるものかを正確に区別することは難しいとダーウィンは書く。彼はどんな観察についても、推察だ、こうだろうと思う、分からないが、という一歩引いた姿勢を崩さない。一つの種が絶滅することに驚く人間について、病気自体を死の前兆と認めていながら、病人が死んでしまうと急におそれおののき、この人は暴行を受けて死んだのだ、と信じ込むようなものだと書いている。
フエゴ島の「未開人」との接触の記述は驚きの連続。19世紀だということを考えると、そこから1世紀の間の変化というのはかなり激しいということが分かる。だが、彼らは平等だ。集団生活を営み、指導者に従って生きる本能を持つ種は大きな進歩をとげる。進化の進んだ種ほど自分たちで築き上げた統制システムを持っている、という分析には目からウロコ。統制がなく、完全な意味で共和的に仲良く暮らしている部族は劣る文明段階にしか到達していない、と。ある意味高度な統制システムを持ちながら平等な社会を目指す現代は、この時代のダーウィンの目から見てもなかなか困難な時代なのだろう。