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山崎努、贔屓の俳優である。
『雲霧仁左衛門』『早春スケッチブック』『必殺仕置人』『タンポポ』『刑務所の中』『お葬式』、主役ではないが『八つ墓村』『僕らはみんな生きている』『影武者』などなど。
端役でも映画が締まるため、最近では「それ用」に使われることが多く、まさに役不足の場合が多い。このような俳優をうまく使える監督が減ったのだろう。
さて本書。最初は普通に読んでいたのだが、数ページ読んだのち、線を引きたくなる箇所が多いため、エンピツをもって最初から読み直す。
自分は演劇関係者ではないが、表現する仕事にかかわっているため、参考になる言葉が多いかったのだ。
俳優がこういう人ばかりだと、さぞかし映画や演劇は面白くなるだろうに。
舞台の立ち上がりから楽日までのドキュメンタリーという流れのなかに、一流の表現者の葛藤や考えが折り込まれており、飽きない。
ゴーストライターではなく本人が書いているところが生々しく、グッド。
これは少しでも表現する仕事にかかわっているすべての人に読んでもらいたい名著だ。うん。
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ベテラン俳優山崎さんの、日記ノート。
著者が演劇学生時代(昭和30年代)授業中の演技で
興奮しすぎて本当に失神したことなどもリアルなエピソード。
東急線に乗って移動するなど、山崎さんの
普通の生活も見えることが面白い。
惜しむらくは自分がその「リア王」の演劇が
どれだけすごいものかが全く知識がないことでした。
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これまた凄い本です。一つの作品をここまで掘下げるのか,ここまで考え抜くのかと感動しました。この本も,自分で自分を叱る本リストに登録します。
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【万人を感嘆させるプロフェッショナル魂】舞台『リア王』の緻密な演技プラン。役を生きることで自分という始末に負えない化けものの正体を知る――。名優が残した迫真の記録。
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「『リア王』の稽古は一九九七年十二月から始まる。初日が年を越して一九九八年一月十七日だから約一ヶ月間、休日と舞台稽古を除いた稽古実数は三十四日である。〜 この日記は、稽古開始四ヶ月前からのものである。」
この一文から全てが始まる。
まず、この本を知ったのは、ある女優さんがブログで紹介していたから。
短く簡潔な一文だったけれども、とても読みたくなる一文だったので、翌日には、即購入。
とても、濃密な読書体験でした。
「走り書きで書いたもの」でありながら、準備段階からの「リア王」のイメージ作り、毎日の稽古の内容、些細な日常での出来事など、かなり丁寧に、子細に書かれている。
山崎さんの肉声が聞こえるような文章である。
(自分は、脳内で山崎さんの声に変換して読んだので、読み終えるのにかなり時間がかかってしまったが、濃密な読書体験だった)
いかに、山崎努さんが、「リア王」という役に向き合い、取り組み、妥協を許さず、一人の俳優として生きているというのが、文章の端々から感じられるのである。
稽古に入ってからの、日記が本当に圧巻である。
台本をもとにした、細かい修正内容や、その日の発見、ありとあらゆることが書かれている。
セリフの内容、舞台での体の動かし方、演者との間などなど、そして、日々変わる「リア王」のイメージを丁寧に書き留めている。
舞台稽古で、かなり疲れているだろうが、休むことなく日記が綴られる。しかも、かなり細かく、長く、丁寧に書かれている。
「リア王」に身を捧げているようで、迫力がある。
鬼気迫る内容もある一方で、休日における家族との心温まるエピソードや、友人との話も書かれており、一人の人間としての一部も垣間見られるのもよい。
(あの独特な“微笑み”が頭に浮かびました)
舞台本番数日前〜当日、本番前数時間前、直前の心境まで書かれているのも、すごい。
公演が始まってからの日記は、その日の公演内容についての善し悪しが書かれている。
「完璧」というものはないだろうが(追い求めても追い求めても、届かないものだろうが)、飽くなき探究心で舞台に望んでいることに胸を打たれる。
本書は2000年に単行本として刊行され、2003年に文庫化され、2013年に新装版として同じく文庫として出版された。
書かれた時は1997年〜1998年のもので、今からもうすでに、約20年以上前のことだが、色褪せることなく、今もみずみずしく感じられるのは、この『俳優のノート』という「日記」にそのすべたがつまっているからだろう。
俳優の香川照之氏が「解説」を書いている。
本書を読んでいて、自分が感じながら読み進めていたことと、ほぼ同じこと書いておられたので(失礼)、少し長いが冒頭部分を引用する。
「あなたがもし俳優ならば、あなたは即刻この本を『教科書』と指定すべきである。そして神棚高く飾るべきである。さらに、その日の自分に有用なしかるべき箇所を読んでから、毎日���事場なり舞台なりに向かうことを強くお勧めする。/一方、あなたがもし俳優でないなら、俳優という人種がどれだけ『演じる』ことにおのれの精魂、人生、意識、肉体、信念を注ぎ込むことが可能であるのか、その最高レベルの探求をとくに堪能できたことだろう。」
「神棚に祭るべき」というのは、やや大げさ(ユーモラス)であるが、まさに香川氏の述べる通りであり、この「解説」も秀逸な文章で、読み応えがある。
山崎努氏の舞台『リア王』を追体験ではありながらも、希有な体験を得られる、とても素敵な良書である。
お薦めしたい。
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俳優がここまで一本の演劇に情熱を注ぎ込むのか、ということが実感として迫ってくる作品。自分自身の仕事への取り組み姿勢を反省させられる。松岡訳の『リア王』は読んだことがないので、来年読みたい。本書のもとになった芝居をみたかった。
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山崎努さんの「俳優のノート」を読む。
新国立劇場のこけら落公演『リア王』の準備は1997年7月から始まる。そこから4か月、台本を読み込み演出家と対話を重ね自らのイメージを作り上げていく。12月から稽古。共演者と演技を重ねイメージをさらに明確にしていく。翌98年1月17日初日。2月3日千秋楽。本書は、日本を代表する俳優が「リア」と格闘し舞台で演ずるまでを日記の形でたどった記録である。
科白のための呼吸法だとか、舞台での所作といった技術論も語られるが、メインは、山崎さんがいかに「リア」を立ち上げていくか、その過程にある。日常生活を送りながら、自身を「リア」にオーバーラップさせシンクロさせる。本当に「リア」になっていく。一つの人格のなかに、生まれた時代も場所も境遇も異なる人物を生み育てていく。本当にスリリングだ。
▼7/19 リアは捨てて行く男である。リアの旅は、所有しているものを捨てて行く旅である。財産を捨て、王冠を捨て、衣服を捨て、正気を捨て、血縁を捨て、世を捨て、身軽になって行く。丸裸になる。そして生命を捨てる。リアと一緒に捨てて行く旅を体験したい、と思った。
▼7/25 この劇を自身の問題として追究すること。演技すること、芝居を作ることは、自分を知るための探索の旅をすることだと思う。役の人物を掘り返すことは、自分の内を掘り返すことでもある。そして、役の人物を見つけ、その人柄を生きること。演技を見せるのではなくその人物に滑り込むこと。役を生きることで、自分という始末に負えない化けものの正体を、その一部を発見すること。
▼12/11 我々はこの十日間の本読みで、各々役づくりの手がかりを見付けたはずだ。その手がかりを頼りに先へ進もうとする。つまり、声の調子や感情の流れなど、うまくいったところをなぞろうとしてしまう。それは間違いなのだ。手がかりに拘り、なぞった瞬間、演技が演技もどきになってしまう。役の人物が、役を説明しようとしている俳優の姿に変わってしまう。我々は毎日白紙の状態で演技しなければならない。きのう描いた絵はきのうのもの、どんなにうまく描けた絵でも捨ててしまうこと。
▼12/19 晴れ。休日。
午後一時起床。今日は台本を開かず「マリネ」の日とする。魚を酢につけておくように、芝居のことを忘れ、何もせずに、役が身体に染み込んで行くのを待つのだ。
▼1/1 リアは今はっきりと存在している。あとはそのリアに滑り込むことだ。あるいはそのリアに自分の身体を貸してやること。ただそれだけだ。
▼2/3 リアは長い旅をした。唯我独尊のリアは、その狂気の旅の中で、他者を発見し、人間の悲惨を知る。準備、稽古、公演と、この道をくり返したどり続けた。リアと一緒に。同行二人の旅だった。リアとの旅はスリリングだった。今もまだリアの囁きは聞こえてくるようだが、しかし旅は終わったのだ。 リアよ、さらば。
山崎さんの筆運びの巧みさに、読み進めるうち自分も山崎さんと一緒に「リア」を造形している気持ちになる。千秋楽のあと湧き上がってきたのは、心の澱がきれいにすくわれるカタルシス。
俳優の舞台にかける思いのすごさ、演��のもつ力に圧倒されてしまう。
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蒼井優さんおススメ!
役を生きることで自分という始末に負えない化けものの正体を知る―。名優が残した迫真の記録。
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山崎努さん大好きなので読みました
ひとつの作品に対しての考え方とか準備とか、どんな思いでやっているのかとか知れて良かった
リア王未読なので読んでからまた読みたい
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演技をすること、芝居をすることは、自分を知るための探索の旅をすることだと思う。役の人物を掘り返すことは、自分の内を掘り返すことでもある。そして、役の人物を見つけ、その人物を生きること。演技を見せるのではなくその人物に滑り込むこと。役を生きることで、自分という始末に負えない化けものの正体を、その一部を発見すること。
効率を狙って安心を得るのではなく、勇気を持って危険な冒険の旅に出て行かなくてはならない。手に入れた獲物はすぐに腐る。習得した表現術はどんどん捨てて行くこと。
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俳優の役の臨み方が、日記を追うごとにわかる。セリフやストーリに自分をはめるのではなく、自分の腹に落とし込んでから演じることで、人ごとから自分ごとに変えていく本質が見える。
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名言の嵐で、読むたびに内容の濃さと熱量に圧倒されます。
ひとつのことをつき詰めた人には、実際神が宿るんだなあ…風姿花伝ぽい。現代の風姿花伝。
朗読を習っているので、練習中の思いを呼び返しつつ読むとさらに重みが増します。「俳優は登場人物に溶け込んで消えなければいけない」というくだりには濃いマーカーが引いてあり、マーカーやら書き込みやら本がもうカラフル。
山崎さん、思いを文章にして世に出していただいて本っ当にありがとうございます(拝礼x10)
一人芝居で、舞台上で兄と対話しながら兄の具体的な人物像を脳内に浮かべられないでいた時、後で観客から「兄が見えてこなかった」と言われた、というお話にわあーと思いました。演じ手の頭の中にあるものって、(十分な技術があれば)目に見えなくても正確に観客へ伝わっちゃうんだなと。
ジュディ・デンチのくだりでは猛烈に実物を見たくなって、「チャーリング・クロス街84番地」の映画を見始めたらすごく面白くて、今度はその原作が読みたくなって…(映画にジュディはそんな出てませんでしたが)
そんな連鎖式読書も楽しいです。
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読み始めた時はこの本を最後まで読めないかと思った。馴染みのないシェイクスピアの台本(改行なくページに余白なくびっしり)を読み飛ばそうかと思った。でもひとつひとつ丁寧によんでいってよかった。山崎努さんがそれらをどう捉えてどう表現するのか、その軌跡を一緒に辿ることができたから。
舞台が段々と終わりに近づくにつれ寂しい気持ちになった。
俳優という仕事は演技をする仕事ということは知っているし、なんならいつも見ているけど、あとがきの香川照之さんが言う「具体的な実態や確かな有効性が酷く曖昧な俳優という仕事」をここまで言語化し曝け出したものを拝見する機会は中々ないと思う。
そして役と徹底的に向き合う=自分や自分の家族と向き合うところも含まれている。それも惜しみなく曝け出している。
随所に娘さんへの愛情、奥さんへの信頼を感じる日記だと思ってたけど、私にとってはほっこりする箸休め的な箇所もリア王を演じる上で向き合うべきこととして箸休めではなく重要な記述なんだと感じた。
翻訳の松岡和子さんが彼女の著書でリア王に父親との思い出に触れたように、娘を持つ父親である山崎努さんはリア王を演じるからこそ自分の家族のことも避けては通れない向き合うべきことなのだ。
「人は皆己の身の丈にあった感動を持つべきなのである。読み齧ったり聞き齧ったりした知識ではなく自分の日常の中に劇のエキスはある。日常を見据えること。」
この本が発行されてだいぶ経つしもう山崎努さんも87歳と知って驚く。リア王の時は60-61歳、もう20年以上たっている。
正直不動産を観ているときに偶然この本を見つけたのがきっかけだがこの本に出会えて良かった。
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そもそも本書との出会いは全くの偶然。
テレビでの再放送を観て原作を読みたくなった「白い巨塔」を探してブックオフを訪れた際、その著者名「山崎豊子」を探す書棚の中に偶然「山﨑努」著になる本書を見つけ、「え?俳優の彼が本なんか書いてたの?」と意外に思い、思わず買い求めてしまったというわけだ。(ちなみに目当ての「白い巨塔」は品切れで買えなかった)
そして読み始めて驚いた!コレは凄まじい本ではないか!
先ず文章がスゴイ。下手な小説家やエッセイストの文章より巧い。冗長な表現や不要な修辞も殆どなく、シンプルで骨太。グイグイ読ませる魅力ある文体は、さて一体どのようにして体得したのだろう?
次に、俳優としてのプロフェッショナリズムの凄まじさ。そしてそれを余すところなく文章に書き表してみせた自己分析力と表現力。
これが「一俳優」の手による作品だとは到底思えない。
そして、自らが主人公を演じることとなるシェイクスピア戯曲を読み解こう、自分のモノにしようとする過程を綴った文章に現れる、驚くほどの知識、教養、知性。
語弊も恐れずに言えば、とてもとてもイワユル「俳優バカ」には逆立ちしたって成し得ない芸当だ、コレは。
恥ずかしながら、ぼく自身は「リア王」をマトモに読破したことが無い。これはやはり何としてでも近々一度試してみる価値がありそうだ。
蛇足ながら、巻末に付された香川照之による解説は、テレビドラマで定評のある彼自身の演技にも似て、ややシツコくクドクドと表現過剰な印象を受けたのはぼくだけだろうか...
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私はシェイクスピアとの関わりからこの本を手に取りました。そしてこの本では『リア王』と真摯に向き合った山﨑さんの姿を知ることができました。
単に頭で考えて理論を組み立てるのではなく、生活すべてをかけて全身でリア王にぶつかる!そうして生まれてきた深い思索がこの本で語られます。これには驚くしかありません。シェイクスピアを学ぶ上でも非常にありがたい作品でした。
俳優という職業とはいかなるものなのか、そして俳優という一つの仕事の枠組みを超えてあらゆる職業におけるプロフェッショナリズムというものも考えさせられる作品です。