「おわりに」が最も胸に迫る
2019/07/02 22:50
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
永田和宏『現代秀歌』を読みました。
戦後の歌人を中心に百人の歌を一首ずつとりあげて、解説を加えています。
筆者自身が歌人であり、歌人河野裕子の夫であることが、この本をただのアンソロジーよりも質の高いものにしていると思います。
がんに倒れた妻のことを書いた「おわりに」が最も胸に迫る部分でした。
こういう本も珍しいかもしれません。
歌の紹介は本書を読んでもらうしかないのですが、短歌とは直接結びつかないこんな部分が心に残りました。
知らないことは決して恥ずかしいことではない。
しかし、「知らない」ということに対しては慎み深くはありたい。
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2018/12/22 20:46
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投稿者:十楽水 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「近代秀歌」で好きになった著者。現代版もとてもよかったです。時代が近いせいか、親近感を覚える歌が多いように感じました。生涯携えておきたいと思える歌がいくつかあり、メモに残しました。
私はこれまで小説は読んできました。短編であっても、文字の数では小説が圧倒します。でも時として、少数の文字でも小説に劣らぬ奥深さを我々に与えるのが歌なのかもしれません。三十一文字の世界に触れたい。素直な感動を残してくれました。
心に直接響く現代秀歌
2018/10/29 15:24
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投稿者:けんたん - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代の短歌は,古語を使った昔の歌よりも,心に直接響きます。
たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
河野裕子
作者を滋賀県出身と誤解してしまったほど,琵琶湖を美しく詠んだ秀歌です。
革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ
塚本邦雄
塚本氏の短歌は,難しいですが,魅力的です。
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自分には短歌の鑑賞眼がないなあとよく思う(他のものについてならあるのか?という痛い問いは置いとくとして)。何故というに、私がいいなと思うのは、どう見てもセンチメンタルな歌ばっかりだからだ。散文なんかだと、感傷的な気分がダダ漏れになっているものは忌み嫌っているくせに、短歌だとすぐにぐっとくる。泣いちゃったりする。そもそも短歌というのが、そういう湿った叙情によく合う性質を持っているのだろうが、それにしても、我ながらこの「女学生趣味」はちょっとどうかと思う。
本書の「はじめに」には、日々の暮らしの中で大切なことを大切な人に日常の言葉で伝えるのは絶望的に難しいが、歌でなら伝えられると書かれている。「歌を表現の手段として持つということは、そのようなどうにも伝えにくい、心のもっとも深いところに発する感情を、定型と文語という基本の枠組みに乗せて、表現させてくれるものなのである」と。
そうであるならば、やっぱり私はつくづく、ロマンティックでセンチメンタルなものが好きなんだろうなあ。この歳になってそうなんだから、こりゃもう仕方がなかろう。
ここでは「近代秀歌」以降の百人の歌人が紹介されている。正直言って、解説を読んで「ふーん」で終わってしまう歌も結構あったのだが(不勉強で面目ない)、女性歌人を中心に心ひかれるものも多かった。馬場あき子さん、栗木京子さん、中条ふみこさん、道浦母都子さん、そして、美智子皇后。やはり私は、どうしてもその実人生と重ね合わせること抜きに歌を読むことはできない。三十一文字の向こうに垣間見える「その人のありよう」が胸を打つ。著者は、過剰に内容や背景に寄りかかった「<意味読み>をしない」と読者を戒められているが、うーん、それはとても難しい。
心に残った歌をいくつか。
「退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らず さよなら京都」 栗木京子
「てのひらに君のせましし桑の実のその一粒に重みのありて」 美智子皇后
「かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は眞實を生きたかりけり」 高安国世
「階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅」 梅内美華子
「死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも」 齋藤 史
「一分ときめてぬか俯す黙禱の「終わり」といへばみな終わるなり」 竹山 広
「夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん」 馬場あき子
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少し前からまじめに作歌を再開した私だが、その前はアララギ派ばかり、言ってみれば古い短歌ばっかりに接していた。
作歌を再開して、今の短歌を読みだして、良い作品が豊富にあることに驚いた。短歌詠みなんてもっと小さな集団になってしまっていると思い込んでいたのだ。
短歌とは変容しつつも、生きる人の最も近くにあって、仕事、家事、事件、恋愛、病そして死、最も直接的に訴えることができる文芸なのだとよくわかった。
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近代秀歌と違い、本書は一人一首、全部で百首紹介されている。昭和初期~三十年代頃生まれの歌人が多い。31文字に閉じ込められた感情はシンプルで強く、共感できる歌が多かった。感情の土台は今も昔も変わらず、これからも変わらないんだろうと思う。
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永井陽子女史の「父を見送り母を見送りこの世にはだあれもゐないながき夏至の日」も河野裕子女史の「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」も美しくとても悲しい歌です。思わず涙しました。そして、著者永田和宏氏の『あとがき』の日付八月一二日は妻の河野裕子女史の亡くなった日であります。永田氏の妻と歌に対する愛情がひしひしと伝わってきました。
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現代秀歌だから当然評価が定まっていなくて、でも著名な歌人は一通り入っていて、まあ、重宝だが、近代秀歌のような取換え難さはない。そこが読みやすさでもしんどさでもあるが
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近代秀歌の続編.
永田さんの解説は前の本にも増して素晴らしい.
「第一章 恋・愛 第二章 青春 第三章 新しい表現を求めて」と普段の私から縁遠い分野の歌が同時代性をもって強く心に残る.
だが,それ以降の章では,短歌の現代的な広がりが解説を通して感じられるものの,共感の度合いは正直なところ強くなく,印象に残る歌はあまり多くなかった.ここらが私の現代性の限界.
最後の「おわりに」は痛切.
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歌うは「訴う」に通じる。
和歌に親しみの無い自分は、よくわからないまま読み進めた。それでも、その背景を知ったり、解説を聞くとわかった気になり、感動も覚えた。
和歌アレルギーを廃し、これからはしっかりと目にとめていこう。
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おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにはゆかぬなり生は 斎藤史
秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれて行く 佐藤佐太郎
夕光のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝を垂る 〃
岩国の一膳飯屋の扇風機まわりておるかわれは行かぬを 岡部桂一郎
ひじやうなる白痴の我は自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる 前川佐美雄
この向きにて 初におかれしみどり兒の日もかくのごと子は物言はざりし 五島美代子
たちまちに涙あふれて夜の市の玩具売場を脱れ来にけり 木俣修
p231 「この世に何を失はうともこれだけはと抱きしめてゐた珠は、一瞬にしてわが掌の中に砕け去つた。どんな苦悩に逢はうとも、この悲しみにだけはあひたくないと、念念の間に祈りおそれてゐたことに、つひに私は直面させられ、しかも、この不幸については、誰に訴へ歎くすべもない自責に、さいなまれつづけてゐる」(五島美代子『母の歌集』あとがき)
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現代の歌人たちが身を削るようにして生み出した作品を残していきたい、という思いを込めた本である。この本によって多くの魅力的な短歌と歌人に出会うことができた。そして、感動的なのは「おわりに」で書かれた著者・永田和宏と妻・河野裕子の物語である。歌はこれほどに思いを伝えることができるのだ。
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名著だ。今まで現代短歌は難解なものだと思っていたが、この本を読むとこんがらがっていた毛糸がするすると解けるようにその解釈も分かるし、その良さもびんびんと分かるのだ。現代の様々なことにどう短歌が関わって来るのかということもよく分かる。著者の解説は上手い!
「現代の共有財産として遺された歌の数々にふれてほしい」「日常会話の端々で、あるいはある場所や風景に出会った折に、私たちが受け継いできた歌が、ふと人々の意識と唇の端にのぼる」-こういう気持ちで著者はこの本を書いたそうだ。そう、事象に対する新しい見方、感じ方を示してくれるのが現代短歌なのだ。100人の歌人が紹介されている。
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『近代秀歌』の姉妹篇で昭和20年から現在までを扱う。
自分が生きている時代だからというのもあるのだけれど、
近代秀歌に比べると時代も価値観も多種多様に感じる。
改めて短歌というものの懐の広さを感じた。
そして最後の河野裕子さんの話は泣けた。
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「現代」であるが読めない(漢字,どこで切るのか,等)。情けなさを味わえる世界である。一方で,自分の心情を三十一文字に表せる技能への憧れる。現代だけに戦争が大きな位置づけにある。もちろん災害も。生老病死,愛別離苦,怨憎会苦,求不得苦,五蘊盛苦,歌には四苦八苦が読み込まれることが多いと思うけど,個人的には自然を詠む句が好きだ。まぁその自然の表現に詠み手の心が表れてくるのが面白い。自然を読んでいるものなら何でもいいという訳にはならないから。