作品が社会の反映であることはファンタジーでも変わることはありません。そしてこの作品が生まれた背景にはフェミニズムの運動があった。でも、私が感心するのはそれが今までの話と溶け合って自然で大きな流れになっていることです。
2009/08/18 19:44
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投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
1972年に三巻で完結したと言われていた『ゲド戦記』ですが、1990年に突然続巻としてこの本が出ました。そのとき、初めて私はこのシリーズを読み始めたのですが、これがさらに2001年出版の『アースシーの風』『ドラゴンフライ』に繋がって行くとは著者以外の誰も予想していなかったのではないでしょうか。
私もその一人で、これで終ったと思い、そうであればやはり完成度としてトールキン『指輪物語』には敵わないなあ、と結論付けました。今回の少年文庫版での読み直しは、最終巻まで通して読むことでその第一印象が正しかったかどうかを検証するためのものです。早速カバー後の案内文ですが
ゴント島で一人暮らすテナー
は、魔法の力を使い果た
したゲドと再会する。大や
けどを負った少女も加わっ
た共同生活がはじまり、そ
れぞれの過去がこだましあ
う。やがて三人は、領主の
館をめぐる陰謀に巻き込ま
れるが……。
●中学生以上
となっていて、カバー画・地図はマーガレット・チョドス=アーヴィンが担当しています。
この巻ではテルー(テハヌー)という少女が重要です。ゴハの暮らす村の近くの川原で野宿していた宿無したちが姿を消した時、半分焚き火の中に放り込まれ、目も頬も火に焼かれ、ケロイドになってしまった子どもです。火傷については繰りかえし記述されますが、レイプもされたとも書かれています。彼女の年齢はあまりはっきり書かれることはありませんが、幼児に対する性的虐待が米国で日常化していたことの反映でしょう。
最近では、日本でも幼児ポルノが規制される動きがあって、理解されやすい状況になっていますが、1990年に出たときはル=グウィンの表現の仕方もあって案外あっさりと読み過ごしてしまったかもしれません。ただ、彼女の存在と、求心力を失ったロークの賢人会議の様子は、既刊でも明るいとはいえなかった話全体に影を落とします。
『こわれた腕環』では少女だったアルハは、ル・アルビの大魔法使いオジオンの養女になり、その後、中谷で農園をやっていたヒウチイシのもとに嫁ぎ、ゴハとなってヒバナとリンゴの二児をもうけました。その夫も今は亡く、子ども二人も既に家をでているので、彼女は農園の主となって一人暮らしをしています。テルーを引き取って育てることになりのがゴハことテナーです。
そして、テナーは、己の死を予感した養父であるオジオンによってゴント呼ばれます。ハイタカの帰りを待っていたオジオンは、しかし自分の弟子が戻ってくる前に亡くなり、テナーによって埋葬され死後、アイハルと呼ばれようになります。そんなところに病を得たハイタカが帰ってきます。
オジオンの弟子で、ナナカマドの杖を持って、西に向かって行き、セリダーから竜のカレシンの背に乗って戻って来たロークの大賢人ハイタカことゲドは、病を得ていましたが、テナーとコケばばの看護で、元気になります。しかし、彼は自分の魔法使いとしての力は失せたいいます。
自分は魔法使いでもなんでもないというゲドの言葉を受けて、ロークでは新しい大賢人を選ぶ会議が開かれ、そのメンバーである呼び出しの長トリオンの変わりも決めることになりますが、ゲドという中心を失った会議は、何一つ合意に達しません。候補の名前すらあがらない会議で、突然様式の長が誰もわからないカルガド語で言いったのが『ゴントの女』の一言です。
一方、ゲドを死の世界から生の世界に連れ帰ったエンラッドのアレンことレバンネンは、秋の終りに戴冠式を控えていて、その式の折には友である大賢人から冠を授けていただきたい、とゲドを招待するために、自らゴントを尋ね、テナーに出会います。テハヌーを執拗に付け狙う男たち。
その間にも、世界から魔法の力は失われ、混沌が蔓延し、女性は女であるという、それだけで男たちから軽蔑され虐げられる。海には海賊たちが横行し、王の船団と争いを繰り広げていきます。この世界でゲドは、テナーは、テハヌーは、そしてレバンネンはどのような役割を担っているのでしょう。ゲドの帰還は、この世界に再び秩序をもたらすことになるのでしょうか。
最後に、目次を写しておきます。
1 できごと
2 ハヤブサの巣へ
3 オジオン
4 カレシン
5 好転
6 悪化
7 ネズミ
8 タカ
9 ことばを探す
10 イルカ号
11 わが家
12 冬
13 賢人
14 テハヌー
訳者あとがき
少年文庫版によせて
ゲド戦記にこめた作者のひとつの「解」を思う
2020/07/11 22:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
思春期に読んだ本を、大人になって再読。ゲド戦記も一作目から読み始めいよいよ4作目。ただし本作は、初読です。第3巻の出版から16年のときを経て初版は1993年。私はもうすでにすっかり大人の年齢で、ファンタジーを楽しむ余裕も無かったころにいつの間にか出版されていました。
この巻は他と比べて圧倒的に俗っぽくもあるという意味でユニークな印象。大人になってこの巻まできちんと読めてよかったとも思う。
これまでのテーマが生と死、悪と善、光と影...のような、他のファンタジーと共通したものが選ばれていますが、本作のテーマには、「性」が取り上げられている、そして「差別」も。それをファンタジー仕立てにする難しさと価値を考えます。
英雄だったゲドは魔法の力を奪われた弱弱しいオトコで、2巻で闇の国の大巫女だったテナーは、普通のおばさんとして登場します。しかし、これほど大地に足を着けた話、「性」をとりまくゆがみと「差別」への希望ある答えをはっきり提示してくれる物語はそうないだろうとも思いました。
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なかなか重かった。
魔法を使い尽くしてしまったゲドは、リタイアした仕事人間のよう。自らを巫女に祭り上げた男性社会への復讐か、なんと田舎の農民と結婚していた腕輪のテナーや、搾取され辱められ、社会の最下層の象徴のような少女テハヌー、蔑まれる魔女など、読んでてとても重苦しい気分になった。
しかし、ネタバレになるが、このテハヌーこそ竜の子であるとのラストが、ほんの少し救いだった。
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ゲド戦記の4作目。最初の3作から十数年の間を空けて執筆、出版されたものらしい。それなのに、作品の世界では時の流れをあまり感じさせず、「さいはての島へ」のすぐ続きへとなっている。
これまで、「はてみ丸」とともに多くの航海に出て、様々な島や街へと移動し続けていたゲドが、彼の故郷であるゴントというひとところにじっとしている姿が印象的だった。
大きな仕事をやりきったあとの達成感、そしてそのあとにやって来る二度ともう同じ姿には戻れないという虚しさ・・・
そんな思いがゲドから感じられた。そして少しうらやましく思った。
今作品では、幼い少女が登場する。きっと残りの2巻ではこの少女の生きる道について多少なり描かれるのだろう。未来への希望を残すことを忘れない。作者の心づかいである。
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今は、多分、この巻が一番好きだな。誰も彼も弱くなっていて。弱りきっていて、寄り添ったり、そっと見守ったりしている。力とか男とか女とか不条理だとか恋だとか愛だとか・・・・呆れるほど盛りだくさん。「子どもであるということ」まで描いてる。読む側にも準備ってものが要ります。
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色が違う。いままでと。
かなり大人向けだなぁ。
テナーはもともと不安定なとこがあったけど、
今回も不安定で、
でもテルーのことすごく思ってるのがわかる。
ハイタカが変わっちゃってるのが悲しくて、
テナーのいらいらもよくわかるわ。
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子どもの頃読んでいたらいろいろ考え方や生き方が変わっていたかも。
でも、おとなになった今読むからそう思うのかな。
これまでは個人の中の挫折と回復、成長を主に描いていた様に思うけど、4冊目はもっと社会からの影響みたいなものがどんどん出ていた。魔法という力の支配する価値観が揺れ動いている世界の中で、被害を受ける側、犠牲を払う側が自分の存在する意味や力を考える話。一度手に入れたものを失う人、最初から奪われ続けている人。
年をとっても面白いと思う。この先、幾度も読み返しそう。
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ゲド戦記の第四作。
回を重ねるごとに、どんどん暗くなっていくゲド戦記だが、この作品はマジに暗い。
親から虐待により、身も心もボロボロになった少女テルー(顔や身体の半分は醜い火傷)。虐待のおぞましい体験で心を閉ざしてしまった彼女を引き取る、魔法使いであった過去を持つテナー。
物語は、ふたりの女性を軸に、邪悪が支配しつつあるゴント島の人々を描く。
ゲドはどうしたか?
もはや力をなくし、世捨て人のような存在で登場する。
暗い。。。暗すぎる。。。
この物語、宮崎二世監督が映画化したらしいが、エンターテイメント要素は0なのに、子供達を喜ばせる事ができたのか不思議。
観てないのでなんとも言えないが、アニメになるような題材ではないと思う。
ファンタジーの姿はとっているものの、この作品は人間と世界の関係を哲学的な示唆をあたえつつ、寓話的にまとめた傑作だと思う。
怪物や魔法はほとんど出てこないが、大人のためのファンタジーといった印象です。
ちなみに本屋に行くと、「子供の読み物」ってところにあったりするのだが、小学生だと読み手をかなり選ぶと思います。
大人のためのファンタジーではないでしょうか?
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ゲド戦記四作目。
ここからは、テハヌーが主人公となる。
この作品だけは他の作品と比べて、かなり話の内容が違う印象。
テハヌーが主人公でそれを補佐するのがテルーなので、凄く
女性色が出てくる。物語の舞台が男尊女卑って感じなので
それがまた不思議な感じ。
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やっとここまできた~!という達成感。まだあと2冊残ってるけど。
今作はテナーが語り手となったテルーのお話。
未亡人となったテナーと、親に焼き殺されかけた少女テルーの元に
魔法の力を失ったゲドが竜に乗り現れ、共に生活をはじめます。
オジオンが亡くなり、ゲドが力を失ったことにより引き起こる禍がテナーとテルーにのしかかります。
これまでゲド戦記を読んできてずっと感じていたのが、物語の世界観は壮大だけど、暗くて抑揚がないということ。
ここはそんなに細かくなくていいなと思う部分で淡々と語り続けたり
逆に、ここはもっと書いてほしい!って部分が妙にあっさりしていたりして...。
日本語に訳してあるのに言葉の壁があるような感じがありました。
で、実は3巻を読み終わったあとジブリのゲド戦記を観たんです。
そうしたらまるで霧が晴れたように、モヤモヤ解消。笑
私の中でゲドもレバンネンもテナーもテルーもようやく動き出したみたいな感覚がありました。
とはいえやっぱり原作ありきですから、原作を読まなければここにはたどり着けなかったと思います。読んでよかった。
そして改めて児童書ってなんだろう?とも思いましたね。深い。
もし中学生くらいの時に読んでいたらどうなっていたんだろうな~。
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ゲド戦記4。ゴント島で一人暮らすテナーは、魔法の力を使い果たしたゲドと再会し、大やけどを負った少女とともに、共同生活をする。やがて、三人は、領主の館をめぐる陰謀に巻き込まれる。
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が、それだけでは十分ではなかった、正義と真実とでは。正義と真実との先にまだ何か、隙間とも、空白とも、深淵ともいうべきものがあった。
ゲド戦記4巻目。
相変わらず完成度が高いわ~。児童書というより哲学書に近い。
地に足をつける。
女の生きかた。
距離があってこそ愛することができる肉親。
偉大な人物では手に入れられないもの「幸福」。
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このゲド戦記シリーズは大魔法使いの一生の中で一貫して
人間世界がもたらした視野の狭い知識と知恵と所有意識によって
自然界の調和した食物連鎖に見る営みからはみ出した
人間の強欲と対立関係が必要とする嘘と秘密による暴力と
イジメ真理からなる無理心中とも言える共食い問題について
文化的な無限なるモノとして掘り下げている
この自滅的問題を逆手に取ることで自分とその環境が不安恐怖に陥り
全体観を見失っているという事実を知って
自らの意識をもって自然界の真理を解き明かし
自律へ向かう集いの道を切り開けるようになっている
このパラドックスこそが
無限なる全体観と有限なる部分からなる自己簡潔構造が示す
この世の有り様なのだろう
これは空想大冒険物語のメルヘンであると同時に
正しくリアルな知識と知恵を取り込んだ人間社会が抱える
大自然と遊離する対立と暴力の問題を取り上げた
ドキュメントの要素を十分に表現してその解決策を模索している
大人にとっても最大の難問を提示し
子供と対等な立ち位置に立って正面から取り組んでいる
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なんだろう、、生き方とか、考え方とか、
たくさんのことを教えてもらった気がする。
時間置いてまた読み返したい一冊。
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3冊目のゲド戦記から16年後に発表されたゲド戦記4番目のお話。訳者の清水さんが書いているように、竜の親分カレシンに乗ってゴント島に帰ってきたゲドを迎えたのは、2巻目でゲドとともにハブナーに伝説の腕輪を持ち帰ったテナーだった。
この巻は、そのテナーが再び主人公になり、養子に迎えたテルー、そして一切の魔法を失って普通の中年男になったゲドが脇役となる。
3冊目までの冒険小説ぶりとは全く違う内容なのだが、まず驚くべきことは、この話の主人公が40過ぎの中年の未亡人だということだ。どこが少年少女向けの小説なのか。私は中年女だから、このテナーのぼやきやら疑問やらが手に取るようにわかるが、若い人にはたぶん全然ピンとこないと思う。
相変わらずの対比、物事の相対化がすごい。この巻では、対比は男と女、そして知とそれ以外のもの、いわば生活のようなもの、が相対化して現れている。明らかにフェミニズム的な観点から描かれた小説である。
女が手仕事やら様々の家事仕事、女まじない師たちが司ってきた出産や葬式などの儀式が、ここでは肯定的に、なくてはならない生活の一部として描かれている。またそれを動かしてきた女そのものへの愛も感じられる。
知の象徴であることばは、つまりことばを操るアースシーでの魔術は誰のものであるか。男が元来占有してきたことばの世界とは、また別の世界、同じように大切で尊い世界を担っているのは誰か、というのがはっきり浮き出てきた感じだ。
こういう対比を全体としてドラマ仕立てにして提示できるというのは、相当の力量だと思う。書くという技術もすごいし、またストーリー展開もテルーという謎の子供を登場させることで俄然面白くなる。
テルーは、どうやら男女やら知と生活やらの対比の世界とは違うところにいるらしい、というのは最期のほうでわかるわけだが、それから5巻目に続く展開が楽しみでしょうがないという気分になって終わるところもすごい。
それにしても、3巻までのゲドの活躍ぶりとは打って変わった、ゲドの普通の男ぶり・・・。大賢人の見る影なく、しょんぼりと生きてるところをテナーの愛に救われるというのがまたいい。これで二人は同等の人間として愛し合うことができるようになったわけだから。