なかなか面白い時代
2024/06/03 09:28
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
確かに平安時代というと優雅な国風文化から武士の台頭という後半200年の印象が強く、前半200年の印象が私には薄かったので興味のある本だった、でも著者の言う通り「本来の王であったはずの天皇を操り人形にして社会をだめにした貴族」だけではない汗水を垂らしていた貴族の姿も見えた。桓武天皇の行き当たりばったりの「平安京」への遷都、前期よりも後期のほうが女性の地位が下がっている(実名で仕事ができる女官がいた、正当に氏女として出仕して紫式部であれば四位以上の位を得たかもしれない)、藤原道隆の妻、高階貴子は下級貴族の出身だが女官としての能力の高さを道隆に見初められたのかも、紫式部の父、為時の漢詩を「言葉こそ多いが浅薄だ」と貶した宋の人がいた、こういった面白い記述にあふれていた
平安時代を紐解く
2024/01/21 20:00
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
平安時代という長い時代枠は、イメージとして抱いている王朝文学が花開いた状況一色ではなかった。律令制度を日本という国に当てはめようとして無理がたたり、整合性を保とうとあがいた時代が、平安時代の前半だった。政治への女性の関りが奈良時代から少しづつ縮小され変遷し、王朝文学が盛んになる時代へ、変わっていった。 歴史は、面白い。
女性にとって実力本位の時代だった平安後期に驚く
2024/02/24 20:40
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投稿者:巴里倫敦塔 - この投稿者のレビュー一覧を見る
400年近く続いた平安時代だが、その知られざる実像に迫った新書。平安時代と言うと優美だがなよっとした貴族をイメージする。あるいは、NHK大河ドラマの影響で源氏物語、藤原道長、紫式部、清少納言が思い浮かぶかもしれない。十二単や陰陽師(安倍晴明)も平安時代のイメージである。しかし、こうしたイメージは平安時代の後期しか言い表していないという。本書は、転換期で激動の時代だった平安時代前期に焦点を当て、天皇を巡る権謀術数、天皇や皇后、貴族、官僚、女官、斎宮などの人間模様を詳述する。
興味深いのは、平安後期が実力本位の時代だったこと。女性も男性も能力があればのし上がれた。例えば、デキル女性が競い、その勝者が天皇側近としての地位をつかみ立身出世することが少なくなかった。家柄が物を言う平安時代中期以降とは大きく異なる。和歌の復権が、源氏物語や枕草子などの女流文学が花開くキッカケとなったというのも面白い。藤原摂関家(藤原道隆、道長、頼通)が、その娘である皇后を媒介に、天皇と数少ない皇子女を囲い込む摂関政治誕生までの流れもよく分かる。
本書には非常に多くの人物が登場し、とても覚えきれない。さらに複雑に絡まった天皇と関係する系譜には閉口するが、適当に読み飛ばしても本書を読み進むにはさほど不自由はない。源氏物語が誕生した時代背景を知ることができ、「光る君へ」の副読本として読んで損はない書である。
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
平安時代前期について、わかりやすく解説されていてよかったです。意外と謎に満ちていることに、驚きました。
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<目次>
はじめに 平安時代は一つの時代なのか?
序章 平安時代前期200年に何が起こったのか
第1章 すべては桓武天皇の行き当たりばったりから始まった
第2章 貴族と文人はライバルだった
第3章 宮廷女性は政治の中心にいた
第4章 男性天皇の継承の始まりと「護送船団」の誕生
第5章 内親王が結婚できなくなった
第6章 斎宮・斎院・斎女は政治と切り離せない
第7章 文徳天皇という「時代」を考えた
第8章 紀貫之という男から平安文学が面白い理由を考えた
第9章 『源氏物語』の時代がやってきた
第10章 平安前期200年の行きついたところ
<内容>
平安時代。今年の大河ドラマがこの時代だ。そしてそのテーマは『源氏物語』。我々もイメージするのは貴族たちの恋多き時代。しかしこれは11世紀以降のいわゆる「摂関政治」の時代で、平安時代の後半200年の始まりの頃の話だ。784年から1185年まで400年続く平安時代全体が、そうではあるまい。この本はそうしたことを教えてくれる。著者がわかりやすい表現、たとえをしてくれるのでわかりやすいこともあり、日本史教員として少し教えにくいこの時代を楽しく学ぶことができた。これを授業にどう取り入れるかだ…。
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闇に包まれた激変の時代が今明らかに。在原業平、菅原道真、斎宮女御、紫式部らが織り成す「この国のかたち」を決定づけたドラマ
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書店で目次を開き面白そうと思い購入。以下にまず目次を記します。
はじめにー平安時代は一つの時代なのか?/序章 平安時代前期二〇〇年に何が起こったのか/第1章 すべては桓武天皇の行き当たりばっかりから始まった/第2章 貴族と文人はライバルだった/第3章 宮廷女性は政治の中心にいた/第4章 男性天皇の継承の始まりと「護送船団」の誕生/第5章 内親王が結婚できなくなった/第6章 斎宮・斎院・斎女は政治と切り離せない/第7章 文徳天皇という「時代」を考えた/第8章 紀貫之という男から平安文学が面白い理由を考えた/第9章 『源氏物語』の時代がやってきた/第10章 平安前期二〇〇年の行きついたところ
平安時代というと、煌びやかな王朝文化が花開いた割合安定した時代というイメージがあるが、なんとも漠然としており自分な中ではっきりとしたイメージが持てない。平安時代ってほぼ400年続いているわけですが、それすらあまり意識しておらずこの時代を描いた歴史小説をあまり読んでないのもあって、なんとなく安定したいい時代くらいの認識しかなかった。
で、本書だが、目次を紹介させていただいたが、中々面白げな章題が並んでいる。いざ読むと歯応えがあり、夥しい人名の渦の中で理解が進まず途中からは斜め読みになってしまった。それでも、第10章に辿り着き、ここに著者の言いたい事はコンパクトに集約されていた。
一番の驚きは、女性の地位が奈良時代に比べて、大きく低下していると著者が認めていること。宮中(政治)の中で能力のある女性の活躍する場が減ったことが、サロン化された後宮の中で花開き、女流文学の隆盛に寄与しているという見立て。現実に紫式部も和泉式部、清少納言も本名すら伝わってないと言う。日本の女性問題には長い長い歴史があるんですね。
参考文献も沢山紹介されているのも親切だが、果たして自分の理解出来る本がどれくらいあるだろうか。
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歴史書をはじめ記録を残す文化だった活動的な奈良時代から、有職故実を内輪で継承するための日記文化へ変わり、よくイメージする退廃的で内向きの平安時代にどう移ってきたか、文献をもとに解説していて引き込まれた。小説やテレビドラマなどになりにくい中世以前を知る助けになる。中公新著らしい重厚な内容。要再読^^
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斎宮歴史博物館の榎村寛之氏による平安前期の概説。「謎」とあるのは、一般にわかりにくい、誤ったイメージを持ちがちな平安前期の認知状況を表現したものだ。他の通史と比べて、女官や斎宮の記述が多く、目を引く。また、現代で言えば〜といった例えが軽妙、ユニークで、読んでいてわかりやすく飽きさせない。下級官人である歌人をポケモンに例え、憐んでいたのは思わず笑ってしまった。9〜10世紀への興味がますますわいてきた。
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イメージが湧きにくい平安時代の前期200年を天皇、文人官僚、貴族、宮廷女性など多様な視角から描き出そうとする試み。人名などに馴染みがないので読み進めるのが難儀な箇所も多いが、時折平たく噛み砕いて説明してあるので、何とか読み通すことが出来た。
最後の第10章に全体のまとめがあり、これはわかりやすい。序章の年表もわかりやすい。ただ中身はそう簡単に理解できない。とくに第5章、第6章は読み返さないとついていけない気がした。
やや強引にまとめると、中国の律令制を模倣しようとして完コピに失敗した日本があらためて国家目標としたのは、「天皇を中心とした官僚制度」の確立であり、それは桓武天皇から始まりようやく醍醐天皇の時代に完成する。しかし、醍醐天皇の親政時代は同時に藤原支配体制の始まりでもあった。菅原道真排除に成功した時平・忠平以降の「護送船団方式」内の権力争いに最終的に勝利したのが、花山天皇の退位事件であり、新たな摂関政治が始まる。以後の200年近くが平安後期ということになる。
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一般的になよっとしたイメージを持たれがちな平安時代であるが、有名な紫式部や藤原道長などが活躍したのは平安時代の後半であり、平安遷都からの約200年間=「平安前期」は、時代の転換期で面白く変化に富んだ時代だったという問題意識から、桓武天皇の事績とその後の皇位継承、貴族と文人の関係、宮廷女官、斎宮・斎院、紀貫之を通して見る平安文学など、平安前期の様々なエピソードを解説。
確かに著者がいうように、平安時代としてイメージするのは平安時代の後半期のことが多く、平安前期については、高校の日本史で習った通り一遍のことは知っていても、その具体的なイメージはあまり持っていなかったので、本書の内容はとても興味深かった。「平安前期200年は、奈良時代に作られた律令国家を基盤として、律令国家という外枠を残しながら、古代から中世に向けてのいろいろな試行錯誤が行われた時代」だということがよくわかった。
特に、平安前期には地方出身のインテリが文人として出世する道があったが後期には閉ざされていったこと、また、平安前期までは宮廷女官も政治の中心にいたが、その後女性が宮中で活躍できる場が少なくなり、女房のサロンに能力のある女性が集約されたことで、女性による王朝文学が華開いたということ、あるいは、和歌の名手は出世とは無縁の人が多かったことなどは、目から鱗だった。
また、天皇・皇室に関心が強い自分としては、平安前期の天皇や皇室についての知識を深めることができたのも有意義であった。
著者は、斎宮歴史博物館の学芸員として長年斎宮の研究や普及に取り組んでおり、本書もその研究成果がふんだんに盛り込まれている(斎宮についての記述が異様に充実している)。また、一般向けの展示解説などの経験が豊富なこともあって、ポケモンやコミケなどの卑近なたとえ話が多いなど、文章もとてもわかりやすかった。
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大河ドラマの考証担当の歴史学者のインタビューか何かでおすすめされていたので、興味を持って手にとった。平安遷都から鎌倉の武士政権の誕生まで400年というのは江戸時代より長いわけで、たしかにその割に知識は薄く、内乱のような特筆できる史実が少ないのは安定していた時代だからとも考えられるけど、貴族の国風文化とか藤原氏の興隆といったざっくりした印象でしかとらえていない。
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平安時代の前半の政治から文学まで幅広く開設された一冊。皇族や貴族など多数の人名が出てきて、ちょっと難しく途中斜め読みになってしまった部分もありますが、最後まで読了。
一番印象に残ったのは、奈良時代は女性が女官として活躍していたのに、平安時代になると女性の活躍する場が失われていってしまったこと。奈良時代は天皇のそば近くに支えていた女官の姓名が記録に残っているのに、平安時代はそうではないこと。清少納言、紫式部や赤染衛門といった後世に名を残す才女も公的な女官ではなく、貴族に私的に雇われた女房にすぎないし、本当の名前も伝えられていない。平安時代は女性が活躍してたとばかり思っていたけど、女性の地位は奈良時代よりも低くなっていたとは知らなかった。
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400年続いた平安時代の前半200年で生じた政治や宮廷の変化を丹念に書かれていた。奈良時代には女性も政治の表舞台に出て、名前が残っているが、平安時代になると稀になり、今の大河ドラマで出ていた高階貴子以降、名前すら残りづらくなってくるという。また、中央と地方の関係も変わり、中央から派遣されることが減り、中央と地方でそれぞれのヒエラルキーが生まれていく様子も興味深い。200年の間に貴族の役割や体制が徐々に変わってきた要因も推測されて理解しやすい。
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読了:2024/5/4
たぶん応天の門つながりで予約したやつ…。
応天の門とか他作品で人物の人となりが頭に入ってる部分「第四章 男性天皇の継承の始まりと「護送船団」の誕生」などは頭に入ってきやすいが、安和の変の説明p. 123「清和源氏の源満仲の「冷泉天皇に代わり、皇弟為平親王を擁立しようとする謀反計画がある」と言う密告が、為平の妻の父である、左大臣源高明に飛び火して、ついに高明太宰府左遷に至る大事件に発展したものである。(中略)(源高明は師輔の妻の同母弟かつ師輔の女婿であり)準摂関家とも言える立場だったが、師輔が右大臣在位中に五十二歳で亡くなり、その後援を失った後は、為平親王の外戚となることをかえって警戒されたのである。」のあたりは出てくる名前が多過ぎ(本当は師輔の妻や娘の名前も一文中に全部書いてある)て一読では頭に入らなかった…知ってる人なら分かるんだろうけど。もうちょい家系図を小まめに入れてほしかったかも。
p. 105「良房は清和の外戚となるため、その異母兄で文徳も期待していた惟喬親王を排除し、幼い清和を傀儡として皇位につけた、とよく言われるが、意外に見落とされているのは、清和が父系でも母系でも嵯峨の曾孫だと言うことである。言うまでもなく、父系では嵯峨-仁明-文徳-清和だが、母系でも嵯峨-源潔姫-藤原明子-清和なのである。このように清和は他の皇族より優れた出自で、その母の明子は準皇族的な立場なので、清和即位後にすぐに皇太后となる。そして父の良房が、単なる外戚ではなく、天皇を中心に据えた父系母系集団の最年長者として、この集団指導体制を牽引する。つまり嵯峨上皇と同じ立場になる。良房は嵯峨の遺産を最大限活用して、文句の出ない形で自らの地位を固めたのである。」
→母系でも〜のところは言われてみれば確かに、と言った感じだった。良房には子が明子しかいないのは、天皇の娘を正妻にもらった(異例中の異例)結果、側室を置くことが出来なかったから、というのも言われてみればそうだよなぁ、となった。
p. 114 「不運なことに基経は寛平三年(八九一)に死去してしまった。ここで気づいて欲しいのは、基経家というものがまだなかった、ということだ。基経は長良の子から、いわば養子のような形で、良房に引き抜かれた。(略)そして義房は基経とその妹の高子に後事を託したのだが、高子とは陽成廃位に至る仲違いをしてしまった。基経は孤独な最高権力者だった。」
→応天の門で一番好きな基経なのでここの文にはグッときた。