リリー・フランキー、60歳の苦言「ルールを押し付けられるとおじさん・おばさんは苦しい」
リリー・フランキーさん(60歳)が、国際的な合作プロジェクトである映画『コットンテール』に出演。亡き妻に導かれて息子夫婦とともに異国の地を訪れる主人公を演じています。
贖罪や和解、認知症や介護、孤独といった普遍的なテーマを描くヒューマン・ドラマです。
現在独身であるリリーさんは自身のことを「典型的な独居老人」と言いながらも、心を閉ざしてきた不器用な小説家の父・大島兼三郎というキャラクターに近いと自己分析します。
社会や家族と距離を置いてしまった主人公のように、リリーさん自身も今の社会との距離感について考える機会が増えたと言います。お話を聞きました。
――本作は日本人の家族のドラマなのですが、外国でのロケーションもあり、不思議な味わいと奥行きのある作品だと思いました。リリーさんは、どうご覧になりましたか?
リリー・フランキー(以下、リリー):まったく他人事じゃないですよね。イギリス人の監督とヨーロッパ人のスタッフが作ったことに意味があると思っていて、たとえばこの問題を日本の中で作られていると、とある家族の話になるんですよ。ひとつの日本の家族の話を描いた、となるけれど、外国人が描いてるから誰にでも起こりうる話に見えるというか。ドメスティックじゃないからこそ意識できる、考えられるっていうものがあると思います。
――観ていて他人事がしないという背景には、そういう効果があったのでしょうね。
リリー:これからみんなが全般的に長生きになっていくっていうことは、こういうことですもんね。ただ、長生きであることは当然いいことではあるけれども、伴う弊害もやっぱり大きい。それはお金も病気もそうだし、生活にしても。
――それはリリーさんにも当てはまると言いますか、主人公の大島兼三郎役をリリーさんが演じていることもよい作用があったように思います。
リリー:あとはやっぱり、認知症ってみんなちょっと誤解しているけれど、この映画の中には、いろいろな知らないことがいっぱいありました。この映画やりながら、勉強になりましたね。
――妻の認知症や介護のシーンもありますが、主人公に中高年の普遍的な孤独も感じました。そのこととは無縁そうなイメージのリリーさんは、あのキャラクターをどうとらえたのでしょうか?
リリー:僕は典型的な独居老人ですから、この人に近いとは思うんです。だから感覚的には、とても分かるんですよ。むしろ僕は奥さんも息子もいないので、どこともつながっていないですし(笑)。
兼三郎は、仕事もパッとしないまま歳を取っていって、息子には忙しかったと詭弁を言っていましたが、この感覚は世界中のおじさんたちが持っている感覚なのかも知れないですよね。家族を顧みなかったから、このおじさんの旅は悔恨の旅であり、自分の中の葬儀を終わらせようとしている感じだと思うんです。
――リリーさんの場合は、仕事があるから人とつながっている感覚でしょうか?
リリー:僕は仕事がなければ家から全然出ないですし、兼三郎ももう普通に社会とつながりたいと思わなくなってきているんじゃないですかね。僕もどんどんそう思い出してきましたし、もう面倒臭いというか(笑)。僕は決まった人としか会わないですから。知らない人と飲むってこともほぼなくて。何にもなければ家から出ないですし。この人もたぶん面倒臭いと思っているんですよ。
イギリス人監督が日本の家族の“認知症の問題”を描く意味
「僕は典型的な独居老人ですから」
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