今に始まったことでもないのですが、脂っこいものが食べれなくなりました。
でも、例えば肉であっても、食べれない肉と食べれる肉があるのは不思議なものです。
やはり、質(=お値段)によるんでしょうかね。
揚げ物も同じで、食べれるものと食べれないものが発生しますが、やはり素材の質や油が違うのでしょうかね。
さて。
そのように、自分自身の変化を認めていながらも、目やセンスは、若い頃のままなんです。
それがどういうことかと言うと、買い物に行くと、美味しそうだから、食べたいからと食べ物を買うも、食べきれずに残してしまい、後悔することになるのです。
私と同い年でも若い頃のようにがっつり食べれる人もいらっしゃいますが、そういう方は、運動したりとかして代謝がすごくいいとかなんでしょうか。それとも、人間の造り、人間の質から私とは違うのでしょうか。
例えば、この季節は鍋をしますけども、締めにウドンなどの麺を入れるとか、米を入れて雑炊にするとか、すごくしたいんですが、絶対にそこまでたどり着かずに満腹になってしまいます。やっと最近になり勉強をして、そのための麺や米を準備しなくなりました。
じゃぁ、そもそも鍋として食べる食材を減らして早く締めになるようにすればよいじゃないか、とも思うんですが、買い物をしていてメインである鍋の具材を探していると、いやいやこれだけでお腹一杯になるか?と。締めはあくまで締めなのだから、締めを頼りにするのならはじめっから鍋じゃなくてウドンや雑炊を作ればいいわけで。
でも、そうするとデンプン摂りすぎるなぁ、とか、そういう若い頃にはない懸念も頭をよぎりまして、結局、これで大丈夫だろう、というぐらい、主たる鍋の具材を買い込むと、もう締めまではいけません。
そう。
食べれない、と同時に、食べてはいけない、も増えたのですね。
デンプンと言いましたが、米とか麺とか粉モンとか、なんでも「食べてはいけない」になってきました。
なので、カップラーメンとかたまには食べたいのですが、明らかに今の私には毒にしかならないだろう、と。
若い頃なら、食べたいからわざわざ夕飯をカップラーメンにはしたりもしましたが、今はまさに非常食としてしか買いません。わざわざカップラーメンを食べるなど自○行為だと言わんばかりの思い込みです。だいぶ罪悪感に苛まれるようになりました。
そして、極めつけは、そんな食生活をしていても、太る一方という私の体。
ほんと、若い頃とは体の反応がいちいち変わってきました。
こんなことなら、若い頃にもっと暴飲暴食しておくべきだったかなぁ、と、もはや重病人のようなことを思う今日このごろです。