大河ドラマ『どうする家康』で輝くお市の方~戦国時代の女性の活躍について
大河ドラマ『どうする家康』の第30回「新たなる覇者」で、北川景子さん演じるお市の方が躍動しました。かっこよかったので、思わずお絵描きカキカキしてみました。
■お市の方と柴田勝家の結婚
この回では、羽柴秀吉の野心に反発するお市が、柴田勝家と結婚し、彼を支えることで対抗しようとします。お市と勝家は、信長の遺志を継ごうとしますが、調略により前田利家はじめ裏切りが続出し、賤ヶ岳で敗北。そのまま滅亡を迎えます。脱出を進める勝家へ「この戦の総大将は、この市であると心得ておる。敗軍の将はその責めを負うもの。一片の悔いもない。織田家は死なぬ。その血と誇りは、わが娘たちがしかと残していくであろう」と険しい顔で死出の旅路へ赴きます。
いやぁ美人は眉間にしわよる険しい顔しても美人なんだなぁ~~。とこのお顔に惹かれました。
さて、お市の方の再婚については、現在堀秀政に当てた柴田勝家の書状などから秀吉自身が斡旋に乗り出していることがわかっています。婚姻についても秀吉自体発案したものなのか、話が出た段階で取り持とうとしたかについてはこれからのようですが、いずれにせよ柴田勝家ら反秀吉派に恩を売るために間に入ったことは間違いないでしょう。
■お市の方が主催した信長の百日法要
ところで、ドラマでは「反秀吉方の総大将」とまで捉えられる働きを見せたお市の方ですが~。その真骨頂は実は戦になる前の輿入れと、妙心寺での信長の百日法要にあると思います。
戦国の女性というと、なにかと自由がないとか女は政治に口を出せないと言われていますが、家や地方などにより特色に違いはありますが政治に関与しないということはありません。お田鶴の方や井伊直虎は伝説だとしても、九州の龍造寺隆信の母である慶誾尼や今川氏真の母寿桂尼ように女戦国大名として国を動かす例もあります。どうする家康で志田未来さんが演じられた北条氏康娘の早川殿ですら短い期間ながら行政に関する書状が多数残っています。その後の時代も家康側室の阿茶局と淀殿妹の常高院とで外交を展開した記録があるのに不思議な戦国論です。
そこでこの時期の主役を羽柴秀吉・柴田勝家ではなく、あえてお市の方(小谷殿)を据えてみると、ガラッと見える風景が変わります。実は織田信長の百日法要は妙心寺にて、お市の方の名において執り行われているのです(そこから織田信長・信忠のお墓は妙心寺にもあります)。これに慌てた羽柴秀吉は養子にしていた信長四男羽柴秀勝を喪主として大徳寺で大々的に大げさすぎる信長の葬儀を行って満天下に次の主は自分だとアピールしました。この時点で、お市の方は「信長の葬儀」というイベントを起こすことで秀吉を出し抜くという政治力を発揮したといえます。
■お市の方の意志と行動
この葬儀についても、柴田勝家が主体でお市に執り行わせたというのが一般の論調なのですが・・・それだと、腑に落ちない点があります。もし柴田勝家が取り仕切るのなら、歓心を買うため信長の次男北畠信雄に喪主をやらせるなり、三男神戸信孝との軋轢を懸念するのであれば、このとき信孝が庇護している三法師を立てて執り行うのが政治パフォーマンスとしては最適でしょう。そこを北ノ庄への移転まもなく慌ただしくしている自分の室のお市にやらせるというのは、秀吉を出し抜く政治ショーを思いついたにしてはインパクトが弱いといえます。また穿った見方をすれば室であるお市の方を通じて織田家の切り盛りをさせるようにも見え、勝家こそ織田家を簒奪を企てているとの批判を招きかねません。
ただ、これをお市の方が自分で強く言い出して自身が織田家の差配をする態度を示したすると割りとしっくり来るのです。
従来、柴田勝家に嫁いだのも一般的には信長の三男神戸信孝が柴田勝家の歓心を引こうとしたためといわれます。しかし、お市の方が秀吉に先んじてこの葬儀や織田家の差配を実現させるため後ろ盾に勝家を選んと考えてみると・・・まぁお話として提示してみたレベルですが~この流れも結構しっくりきて面白いと思いませんか。
■お市の方の最期と浅井三姉妹
しかし、秀吉に対抗することはお市の方と柴田勝家にとって滅亡の道でした。北ノ庄城で追い詰められたお市の方は、「筑前守殿は信長公のご厚恩がある御人」だからと、最後の手紙を自らしたため秀吉に送ります。そして秀吉に茶々(淀殿)・初(常高院)・江(崇源院)の浅井三姉妹を託しました。最期は、信長の妹として、秀吉に対して敵意ではなく敬意を示したといえます。そして、勝家の介錯を受け死出の旅に出ました。
■織田信長のお市評
織田信長は妹のことを「市は男であれば名将になった」と評したことがあるそうです(「戦国を生きた姫君たち」より引用)。その言葉通り、お市の方は戦国時代の女性として、自ら意志を持ち、行動した人物だったのではないでしょうか。
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