愛に恋

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高峰秀子 part.2 

極度の緊張と疲労と安心と、すべてが入り交じった涙であった。その私を、やはり疲労で真青な顔をしながらも、じっと見守っていてくれる、今日からの夫、松山善三をみたとき、私ははじめて「結婚」の実感をおぼえ、涙は、生まれてはじめて流す「甘える」涙に変わっていった。しあわせだった。

映画職人、と自分を割りきっている私は、いつの場合でも「少しでもマシに」という職人根性だけは持ち続けてきた。どうつっこまれても、答えられるだけの自分なりの覚悟は持っていたつもりである。

笠置シヅ子】好きでしたねえ。あの方は関西の方で、歌も関西弁の発声ですね。そういうナマの声が当時世間にアピールしたんだと思います。いろんなブキウギだとか、「センチメンタル・ダイナ」とか「アイレ可愛や」とか、ほんとに素晴らしかったですね。

机をはさんで向き合った成瀬監督と私は、脚本のはじめから一頁、また一頁とめくっていく。「この台詞、いる?」「いらないと思います」二人の鉛筆がその台詞をスーッと消す。「こんな台詞、言わなくったって、芝居でねぇ」「はい、じゃ、三行消します」再び鉛筆が動いて、スーッと台詞が消される。

そもそも、役者はね、仕事のときに馴れ合っちゃいけないんですよ。『浮雲』なら森雅之と思ってはいけない。あくまでも、役は富岡。だから森雅之個人と話をするとこんがらがってきます。セリフ以外のことは話さない。だからあたし、森さんところに子どもがいるのか、夫婦二人でいるのか全然知らなかった。

仕事中、松山は私を「高峰さん」と呼び私は松山を「松山さん」と呼ぶ。ロケーションに行っても、むろん部屋は別で、松山は一人部屋、私はつきそいと二人である。仕事以外では口もきかないし、撮影所へ往復する車すら別である。

私は若いときは若いで自分を守り、結婚してからは夫婦の城を守ることに専心した。世界の、日本のどこに、どんな事件がもちあがろうと、私は私たちの家庭が、雨風も当たらぬ小さな瓶の中にある如く、平和で暖かくあることを、ただひたすらに願った。

高峰秀子恍惚の人(1973)◆高齢者介護の問題点をいち早く指摘し空前のベストセラーとなった有吉佐和子の同名小説を松山善三が脚色、豊田四郎監督が映画化。認知症を患う老父・森繁久彌と彼を介護する嫁・高峰秀子の壮絶な演技が話題となった。

田中絹代】あんな可哀相な方はいませんね。スターという虚名に、後ろから追っ掛けられて、追っ掛けられて。で、おしまいだってちっとも幸せじゃない。家庭も持たない。ひとりで。祭り上げられて。<中略>何が楽しみだったのでしょう、涙が出てきちゃう。

風というものは妙に人の心がわかれるが、特に今日のつむじ風は「大事なこと」の前だけ神経が落ちつかなかった。ラジオで対談することになっていたからで。
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