やっと涼しくなってきた。
十月も一週間を経てやっと。
これでも未だ平年並みには程遠い、だいぶ高温傾向なのであろうが、それでも体感はずいぶんマシだ。
暑いと駄目だ、モチベーションまで溶けちまう。何もやる気が起こらない。
盛夏に於けるアスファルトの路面とは、火を通された鉄板上も同然だ。靴越しでなお足の裏を炙られる。炭火で焼かれる生肉の気持ちに仮令シンクロしたとして、それがこの先の人生に、どう役に立つというのだろうか。
熱中症のリスクに怯え、滝行の如く汗に濡れ、そんな労苦を負ってまで、求めるべきなにものが戸外に在ると云うのであろう。冷房の効いた一室に閉じこもっていた方が、百万倍もマシではないか。
――そうした事情でここ数ヶ月、すっかり出不精になっていた。
しかし今、漸く気温は下降気味。
それに呼応するようにして、私の中の外出欲が疼き出す。
ついに抑えきれなくなって、そもそも抑える必要性が存在しないと気が付いて。まず手始めに、神田明神へ行ってきた。
山脇玄の葬儀について書いた時から、いつか実地に訪ねてみたいと思い続けていたわけだ。
(神馬・あかりちゃん)
神社仏閣巡りをやるに、東京は都合よろしき処。何故かというに江戸時代、諸大名が菩提寺やら氏神やらを引っ張って来まくったからである。
「仏閣について江戸を通覧して注意すべき点は、一般にその数が多く、またその境内が比較的大きいことであって、徳川氏が開府以来繁盛した都市であるとはいへ、余りに多過ぎる観がないわけではない。しかしそれは諸大名が各菩提寺を置いてゐたことを思ひ合せると、何も怪しむに足らない。またその宗派が雑多であるのもこれがためである」
「お宮にもまた大名がその家の氏神や、藩地の氏神を勧進したものがあった。それ等の多くは大名の屋敷内に祀られてをったが、それが偶々一般民衆の信仰を得たために、これを屋敷のかこひの外に出して、民衆の礼拝に便したものがないではない。日本橋区の有馬氏の水天宮や、芝の京極寺の金毘羅の如きはかくて盛となったもので、今では東京でも名高いお宮に数へられ、特に水天宮は、毎月の祭日には参拝客が引きも切らず、電車も乗合自動車も、ここを一つの目標として運転系統をつゞけてゐるほどである」
以上は内田寛一の、東京帝大助教授時代の講説である。
なるほどと頷かされる部分が多い。実に平易で要領を得た内容だ。こういう場所で想うにはうってつけの人物だろう。
「江戸で到るところにあったので、犬の糞と並び称せられた稲荷神社」――やはり内田寛一の言。ひっでえ扱い。
(現在の神田明神)
(戦前昭和の神田明神)
つらつら戸外を歩いていても、書見で仕入れた、こういう古人の文章が常に頭にチラついている。
というよりも、修めた知識に肉付け色着け血を通わせる為にこそ、私は方々、遊歩するのやも知れぬ。
今更ながらに、そんなことを考えた。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓