東京湾にサメが出た。
単騎にあらず、二頭も、である。
時あたかも明治二十一年五月半ばのことだった。
かなり珍しい事態だが、まんざら有り得なくもない。確か平成十七年にも、五メートル弱のホオジロザメが川崎あたりに漂着し、世をどよめかせていた筈である。
ただ、平成シャークが発見時には既に死骸になっていたのに対照し、明治のサメはピンピン元気に水切り泳いで獲物を狙える、ーー「海のハンター」の面目を十二分に発揮可能な状態だった。
実際そういうことをした。
狼狽したのは佃島の漁民ども。どうやらこのサメ、かなり気性が荒っぽく、しきりと海中を荒らすので、船を出しても仕事にならんとすっかり困惑したらしい。
(戦前昭和の神田川)
「あん畜生をどうすんべぇ」
と膝つき合わせて協議して、やがて出された対策が、なんとなんとの「神頼み」!
同地の鎮守の神である住吉様へと「鰐鮫退散」の効験をひとつ現していただこう、と。正気も正気で頷き合って、そのための祈祷を大真面目に開始した。
天晴である。八百万の神霊棲まう国として、これほど相応しい情景もない。
翌々年には「護符」に版権を認めるか否かがかまびすしい問題となり、代議士どもが議会にて怒号混じりの激論を恥ずかしげもなく繰り広げている。
まこと日本は神の国に違いない。
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