本気で
ちょっと判断に困る事例だ。
ホテル、マンション、アパートが「404」号室を忌み、欠番扱いとするように。
一九二〇年代、フランスの一部列車には「69」を座席番号に
例の石川光春が確認したことである。「フランスの汽車の座席に打ってある番号に69が抜いてある、詰り68から飛んで70になって居る」のだと。それでいささか不審に思い、現地の伝手をたどっては色々訊ねてみたところ、「仏人は一般に69の文字を避ける習慣である事がわかった。何か御幣を担ぐのかと思ったら其んな神秘的な事では無く、6と9を男女に象れば二つ巴になって居るのが気になるからだと云ふ。何故二つ巴がそんなに気になるか人に聞いても笑って答へず」──そりゃあ笑って誤魔化すしかないだろう。私でもそうする。いい歳をした紳士が白昼、真面目な顔して話すには、馬鹿らしくもあり際どくもある沙汰事だ──「鈍感な僕には未だに此の謎が解けない。然しあまり結構な事でも無いらしい。兎に角仏人には常識的にこんな考が頭の中に往来して居るものと見える」。
さて、ここまで目を通し。そろそろ冒頭の疑問に返る。
いったい石川光春は本当に理解っていないのか、それともあるいは彼一流のユーモアセンスを発揮して、無智を偽装しているのだろうか。
私は文系出身だから、作者の真意の所在とか、そのへん諸々全般を大いに考えたく思う。
もし後者なら、まったく大したタマである。
たとえ前者であろうとも、それはそれで我らが先人諸君らの純朴ぶりに胸を打たれるべきだろう。
今日び「69」が何を意味する記号であるか、成年どころか中学生でも八割方知っている。
一世紀を費やして、日本人の性的知識の水準もフランス並みに「向上」したと、ここは喜ぶ場面だろうか? いやはやなんとも悩ましい。
──「69」以外にも、理学士・石川光春はフランス滞在期間中、度々数字で面食らわされたものだった。
一概にアラビア数字と言ってはみても、その書き方には列強諸国で各々独自のクセがあり、フランスはそれがとりわけ強い。
論より証拠、ごろうじろ。
よく見るとここにも誤字がある。
「かなはない」と書くべきところを一字抜かして「かなはい」になってしまってる。
しかも修正されてない。
らしくもなく、迂闊なことだ。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓