産まるる匂ひがする
無より有 産み出す力
  こが 無限 成り

与わるるを変化さするは
  唯物展開 有限の域成りて

真の無限たる無の真理は
  己がたま にて 無より有 生ずる力


想像を超へて 想念をはるか超へゆきて
そら の一片 けい と成すが 無限

力水ちからみず 在りて
 
神水かむみず 在りて
ざが そは龍人達(*1)たま にて
      産み出したる 無限の水


水で在りて
  水で無きぞ


そは果て無き 宙のひとつ
ひとつで在りて 全てであり 無限なるぞ


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                                            画:旃檀

我 くに のすべて与へしも
尊きそら なるものは 己れの霊一つにて産み出すものぞ


無限に霊 住みおるゆへ
 無限 産むのぞ

そが天宙の摂理ぞ


《 天上 》


(*1)龍人達
 神の意を継承する人間のことを表す

 



◇ 人類の文明は水から始まった

 生命は水から誕生し、水によって育まれ、水を基盤に進化を続け、様々な発展を続けてきました。
 これはチグリスユーフラテス川流域のメソポタミア文明を始め、ナイル川流域のエジプト文明、インダス川流域のインダス文明、そして黄河長江流域の中国文明と、世界五大文明の起源をみれば明らかです。
 人類の文明は水とともに発展しました。
 
 地球が水の星であったことが、生命誕生という奇蹟をもたらしたことは語るまでもありません。


◇ 水の惑星から"水"が枯渇しはじめている!?

 ですがこの頃、地球の世界各地で水問題が騒がれております。
 中国では旱魃が続き、湖の底から600年前の仏像が現れる等の異常がみられました。水力発電も停止し日本の大手企業の工場にも多大な影響が及んでおります。ヨーロッパでも農作物は枯れて例年のような収穫ができず、来年以降の食糧難が危惧されています。
 またケニアでは昨年から今年にかけて旱魃が悪化し続けており、サバンナで暮らしている象やキリンの群が渇きで命を落とし、草のない大地で干乾びた亡骸を晒す様子がニュースで報道されておりました。水の奪いあいは動物たちの間だけではなく、人間と動物の間でも勃発しており、ケニアでは飢渇による死の危険にさらされている人達が290万人に達しているとのことです。

 この大きな原因となっているのが、人口増加と気候変動といわれています。
 インド南部では熱波とモンスーンによる淡水湖が乾上がって水不足による暴動を招いています。地表水や地下水の枯渇……特に今年は、世界同時多発的な旱魃に見舞われ、それによる食糧価格が上昇し始めています。

 食糧難については下記の記事でも詳しく書かせていただきましたので、ご興味のある読者様がおられれば、ご一読いただければ幸いです。

  ▼   ▼





 現在、世界人口の40%にあたる約36億人が水不足に悩まされております。
 当たり前にあるはずの水がないという事態は、「水ストレス」と呼ばれる現象を引き起こします。
 現在、高水準の水ストレス状態に直面している地域は、世界18ヵ国およそ18億人にのぼるといわれており、実はこのなかに「日本」も含まれています。

 その理由は日本のきわめて低い自給率にあります。日本は現在、国内で消費する食料の六割を輸入に頼っており、このなかには食料を生産するための水が含まれています。例えば作物を育てるための水、あるいは工場で食品を加工するためにも水が必要になるため、結果的に日本は海外から輸入した水に頼りきっている状態ということになるのです。

 私達は日常で「水がない」という事態に直面することはめったにありませんが、絶えず海外の水に依存しているというわけです。つまりは世界規模の水不足の影響も、受け続けているということになります。

 事実、世界規模で加速する旱魃による砂漠化の進行により穀物の生産が半減し、酪農の現場では飼育動物の飼料の大幅な高騰で乳価の引き上げも検討されています。
 こうした影響を受け、現在北海道の市場では子牛一頭が100円で売買されていています。子牛を成牛に生育させ、販売するほどの余裕がないということで大幅の値崩れを起こしているのです。

 このままでは北海道の酪農家が数年後には半分程廃業するではないかと危惧されています。
 また植物にかんしても、肥料の原料が七割高になったことで品薄に陥り、肥料の奪いあいが起こっています。

 世界規模の食糧難が騒がれていますが、日本もまた例外ではありません。

 当たり前にあったはずの水が、水の惑星である地球から消えようとしています。もしもこれが水ではなく酸素、大気であったら……私達は一瞬で生きてはいけなくなるかもしれません。
 
◇ 無から有を産みだすとはなにか

 人間が水を造りだすことは可能なのでしょうか。
 
 理論上は可能です。
 現在空気から水を生産するという最新技術が話題になっていますが、これは空気中の水を集め、飲用水に変換しているだけなので「水を造りだす」とはいえないものとみなします。

 水を造るために必要なものは、水素と酸素です。
 それでは水素と酸素はどうやって造るのか。これもまた「有る」ものから「有る」ものを造りだしているにすぎません。
 また水素と酸素で50グラムの水を生産するには膨大な熱が必要となるため、結果的に空気中の水分を失いながら水を造ることになります。まして湖をひとつ造りだす、等ということは人類には不可能です。

 こうした生命にとって最も必要なる「水」も、天地の循環のなかで地に還元される天恵のひとつであり、やはり神からの預かりものといわざるを得ないでしょう。

 つまり、人類の進化とは「有」から更に利便性の高い「有」に変化させるものであり、「無」から「有」を生産することはできない、ということになります。


 天地循環によって、神から与えられた水のひと雫は、まさしく「無」より「有」を産みだす力です。人間の力等が及ぶはずもございません。

 それでは人間が「無」から「有」を産みだすとはいかなることなのか。

 それは「心」……ではないかと私は考えます。
 人の心を潤す「水」これは人間が無から産みだせる唯一のものです。細やかでも優しさのこもった言葉ひとつが「水」になり、信頼する方から教えられた教訓もまた、人という木を育てる「水」になる。
 それが神謡の語る摂理というものではないかと考察する次第です。


 旃檀



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